先遣隊長ゴットハルトの進軍(後)

 翌朝。

 早い朝食のあと、慌ただしく露営地を引き払い、先遣隊は出発した。


 日が改まったからといって行軍の苦労が変わるわけではないが、兵たちの士気は上がっている。

 この先への期待がそうさせているに違いなかった。


 予定どおり1刻で峠を越え、遠く光るレド川の流れを見下ろしながら峠道を下る。

 山脈のあちらとこちらで地形が異なるのだろう、傾斜は幾分緩やかで、道の屈曲もさほどきつくはない。

 確かに、どうにか荷馬車を曳いて上り下りができる道ではあった。


 そのような道を下ること半刻。

 先遣隊は、レダン子爵が差し向けた輜重隊と合流した。


 小休止の間に、重い荷をいくらかと、そして負傷者や病者を馬車に載せる。

 ふたたび出発したあと、兵たちの足取りは明らかに軽くなっていた。


 たとえ怪我や体調の悪化で動けなくなるようなことがあっても、隊列の後尾を進む馬車に収容してもらえる、という心理的な余裕が大きいのだろう。

 無論、荷重に余裕が出たという物理的な理由も重要なことではあるのだが、それと同様に大きな要因ではあった。


 更に1回の露営を経て、ゴットハルトと先遣隊の将兵がレダンの市壁を目にしたのは、アラス峠を越えてからおよそ1日半後の夕刻のことだった。


 市壁の手前、街道沿いには、街のものであろう共同墓地がある。

 墓地の隅にいくつか、真新しい墓標が立てられていた。


 ――やはり死者が。


 街道を歩いていれば否応なく目に入ってしまうそれを見て、ゴットハルトは誰にもわからないように小さくため息をついた。


 レド川沿いで戦闘が始まっている、ということは、ゴットハルトを始めとした騎士たちから兵士のひとりひとりまで、全員が知っている。

 無論、そこで敵味方の双方に死者が出ているということも知ってはいる。その程度のことでは、士気は下がりはしない。


 だが、それが――死が、具体的な姿をもって目の前に現れるとなれば、話は少々変わってくる。

 いずれ自分も、と兵たちが思ってしまえば、士気の低下は避けられない。


 精強をもって鳴るマレス侯領軍が相手となれば、尚更の話ではあった。



※ ※ ※ ※ ※



 ややあって市門をくぐった先遣隊は、そこで待機していた子爵家の従士に、街の広場へと案内された。


「ここからはいくつかに分かれていただきます。

 騎士様はじめ指揮官の方は子爵邸へご案内いたします。

 下士官の方々は市中の宿にて分宿。兵の方々には、申し訳ないが、港の倉庫にてお泊りを。

 ああ、しかし、兵の方々も含めて、食事はこちらで用意をしております」


 従士はゴットハルトに丁寧な態度で告げた。

 ゴットハルトは頷いて応じ、配下の将兵に指示を出す。


 申し訳ないと従士は言っていたが、冬が近づいているこの時期、屋根と壁がある場所で寝泊まりできる、というだけで兵にとっては大きな幸運だ。

 まして今日は食事まで整えられているという。


「そこまで整えられるには、相当な――」


 ゴットハルトの言葉に、従士はいいえ、と首を振った。


「王都からの援軍とあれば、我らが為しうることを尽くしてお迎えせねば、と子爵も申しておりました」


「歓迎をありがたくお受けする。皆を御案内いただきたい」


 は、と頭を下げて従士が下がった。

 入れ替わるように下士官がひとり近寄ってくる。


 姿かたちこそ他の下士官と同様のそれだが、身に纏う空気が明らかに異質だった。


「隊長殿、我々はここで。

 5日程度を目処に動く予定でおります」


「わかった。

 殿下の御期待を裏切らぬよう」


「仕果たした折にはひとりを戻してお伝えいたします」


 頷いて会話を終わらせたゴットハルトに礼をするでもなく、下士官は――下士官の姿をした誰かは立ち去った。

 兵たちの中に紛れ込んでいた、同じような雰囲気を持つ者たちが、めいめいに兵用の外套を目立たない別の外套に着替え、装具をその場に置いたままにして広場を出てゆく。


 ゴットハルトが会話を交わした相手は、本来ゴットハルトの配下ではない。

 軍にもどの省にも属さない、近衛と並ぶ王室直属のもうひとつの組織。


「隊長、あれが?」


 ゴットハルトの側で一部始終を見ていた騎士が、恐れと嫌悪感をない交ぜにした声音で尋ねる。


「ああ」


 務めて感情を態度に出さぬようにしながら、ゴットハルトは簡潔に応じた。


「王の影だ」



※ ※ ※ ※ ※



「駆けつけていただいたこと、まことに有難く」


 子爵邸の広間。

 レダン子爵ルーラント・ストラウケンは、丁寧な態度でゴットハルトに言った。


 ルーラントは略装――というよりも、いつでも上から鎧を纏うことのできる出で立ちだ。


「いいえ、閣下、防戦ぶりは殿下のお耳にも届いております。

 これまでご苦労をお掛けしましたが、まずは先遣隊をもって逆徒どもの侵攻を防ぎ、しかる後に軍を揃えて反撃を、というのが殿下の構想にて」


 ゴットハルトも丁寧に応じた。

 子爵の判断と素早い措置がなければ、今頃自分たちは勝ち目を失っていたかもしれない、とゴットハルトは思っている。


「ここまで見事逆徒を押し留められた閣下の功績は、必ずや正しく報われることでありましょう」


 ありがとうございます、とルーラントが答え、では、と指揮官たちに椅子を勧める。


「なにぶん戦の最中とて、十分なおもてなしはできませんが、食事を用意させました。

 現況のご報告と今後の方針については、食事をしながら、ということでいかがでしょうか」


 ゴットハルトたちには、無論、否やはない。

 すぐに食事が用意され、臨時の軍議が始まった。



※ ※ ※ ※ ※



「――わが領の正規兵のみでは到底足りないため、近在の諸領も含めて徴募を行いました。

 それでも規模は敵方の3分の1に満たない程度。橋を落とした後は、ひたすら河岸で防衛体制、という状況です」


 飾り気はないが温かく量のある食事を片付けたあとも、軍議は続いていた。

 皿が下げられたあとに地図を置き、ルーラントが状況を説明している。


「我が方の損害は――」


 説明を聞くゴットハルトの隣に座る騎士の頭がふらりと揺れた。

 疲労があり、そして腹がくちくなったという状況があるにせよ、あってはならない無礼だった。


「おい」


 低い声で短く叱責したゴットハルトは、唐突に目眩を覚える。

 己も自覚のないうちにここまで疲労していたか、と苦笑したゴットハルトは視線を上げて――視界に飛び込んできた光景に言葉を失った。


 子爵の配下を除く全員が頭を押さえ、あるいはがくりと首をうなだれさせている。


「な――なんだ、これは」


 強烈で不自然な眠気に耐えながら、ゴットハルトは席を蹴って立ち上がろうとする。

 ずるり、と膝が砕け、テーブルについた手から力が抜けた。


「は、はかったな、ししゃく」


 呂律の怪しくなった口で責めるゴットハルトを、ルーラントが冷たい目で見下ろしている。


「最初に見たいものを見せてやれば、あとは見たいようにしか見なくなる――かの令嬢の言葉どおりよな」


「ひ、きょう、な――」


「まったく見下げたやりようだ。そして、だからこそ効果がある。

 そなたの部下たちにも同じような食事を振る舞った。

 そなたたちには、我らの安全を保障するための捕虜になっていただく」


 ゴットハルトは、ルーラントの言葉を最後まで聞くことができなかった。


 王国軍の先遣隊は、レダン子爵の内通により、その全員がレダンで捕縛された。

 侯爵領軍に一矢も射掛けず、一度も刃を交えることのない完敗だった。

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