エズリン伯爵レナルトの錯誤
エズリン伯爵レナルト・リアルディは、執務室でその報せを受け取った。
「まことか」
報告を持ってきた家宰が、は、とかしこまる。
「書状は」
違和感を抱きながら、レナルトは確信を持てずにいた。
「こちらに」
封を切らぬままの書簡が差し出された。
受け取って慎重に封を切り、中を検める。
短い書状だった。
『エズリン伯爵 レナルト・リアルディ殿
陛下からお預かりした執政府式部省及び農部省の権限において、下記2項をただちに実施されるよう求める。
1 さきに公用使により送付したマレス侯爵令嬢の追放刑に関する件の受領確認
2 さきに公用使により送付した糧食等の備蓄に関する件の回答
前2項につき、ただちに公用使の持参により送付されたい。
執政府式部省書記官 アルフレート・クレーヴィング
執政府農部省書記官 バスティアン・デルヴァン』
――おかしい。明らかにおかしい。
読み終えたレナルトの頭の中を、疑念がぐるぐると回っている。
王都のマレス侯爵令嬢から、公用使によって指示が届けられたのは9日前のことだ。
偽公用使の出没と、それに関する対応を示したものだった。
それから3日後、訪れた偽公用使は、指示に従って捕縛され、牢に繋がれた。
背後関係を吐かせるべく、厳しい――殺さぬ程度に厳しい詮議が行われているが、結果ははかばかしくない。
警戒を強める伯爵公邸を、別の偽公用使が訪れたのが更に1日後。
こちらも同様の対処をしている。
偽公用使が出没しているということは危険極まりない話ではあるが、公用使のやり取りそのものに合言葉を設定する、という対処は簡潔かつ妥当なものと思われた。
姿かたちで見分けがつかずとも、公用使であれば伝えられているはずの合言葉で判別は可能だ。
だが。
1度目はわかる。東部国境の守りの要、マレス侯の一人娘の追放。
東方にある敵国が関わる偽公用使として、大いにあり得る内容と言えた。
2度目は糧食の備蓄確認。
これもまだ理解できぬではない。
軍を起こすとなれば必須の糧食の備蓄、その量を確認できれば、王国の備えの程度が知れるものではある。
だが、こちらからの公用使を捕縛できねば意味のない話で、そのようなことをすれば企みが露見してしまう。
3度目の今日は前2者の回答の催促。
明らかに、前2者が「通って」おり、かつレナルトがいまだ対応していない、ということを前提にした内容である。
謀略としては余計に過ぎる話だった。
頻度も問題だった。
この6日間、レナルトは正規の公用使を迎え入れていない。
偽公用使を誰かが操っているとして、その偽物だけが3回立て続けに来ることがあり得るだろうか?
偶然と片付けるには頻度が高すぎ、意図的なものだとすれば露見の危険が高すぎる。
自分が何かを見落としているのではないか?
しかし、見落としているのだとすれば何を?
「――閣下?」
訝しげな家宰の声で、レナルトは現実に引き戻された。
「――ああ、すまん。またか、と思ってな」
「いささか、多うございますな」
家宰も似たような疑念を抱いているのかもしれなかった。
「書状にはなんと?」
レナルトが黙ったまま書状を渡す。
一読した家宰が、唸るような声を上げたきり黙り込んだ。
「わからんのだ。
3通の書状はそれぞれ辻褄が合う。
だが――」
「謀略と考えるならば、謀略それ自体と辻褄が合わぬ気がしますな」
「ああ。
そして本物であるとすると、かの令嬢の指示と辻褄が合わん」
侯爵令嬢の署名は本物にしか見えなかった。
あれが偽造されたものか、あるいは――。
いやそんなことがあるはずがない、とレナルトの理性的な部分が否定する。
直感はそうではない、と告げていた。
――すべてが本物だとしたら?
侯爵令嬢の署名は本物。最初の書状は侯爵令嬢の手になるもの。
内容は偽り。ありもしない合言葉を設定し、次以降の公用使を偽物と判断させる。
その後3通の公用使の書状はすべて本物。
最初の書状の存在を知らずに執政府が送ったもの。
嫌な汗が背中に噴き出た。
手が震える。口の中が渇く。
思わず立ち上がる。
腰の下で、乱暴に扱われた椅子が抗議するように小さな音を立てた。
「――閣下」
書状から視線を上げ、かすれた声で家宰が言った。
レナルト自身と同じ結論に達したのかもしれなかった。
家宰と視線を合わせたレナルトは、つとめて平静な口調で告げる。
「ただちに詮議を中止。
3名は地下牢からそれぞれ館の一室へ移し軟禁する。
それから――執政府へ使者を。
使者には侯爵令嬢からの書状ほか、これと合わせて計4通を持たせよ。人選は任せる。
支度ができたならばここへ呼べ。事情を含ませておかねばならん」
一礼した家宰が、慌ただしく退出する。
常に落ち着いた所作の家宰には珍しいことではあったが、今はレナルト自身にもそれを指摘するだけの余裕がない。
執務室にひとり残されたレナルトは、机の上に置かれた書状を見つめていた。
簡潔で無味乾燥な文字の羅列が、今では呪いの鎖かなにかのようにさえ映る。
自分がつい先ほど辿り着いた推測が正しいとすれば、それは侯爵令嬢の叛逆、マレス侯家の叛逆に他ならない。
そして自分は、意図せずとはいえ、その叛逆に加担してしまったことになる。
――なぜだ?
なぜ叛逆に至ったのか。
なぜ偽の公用使を使ったのか。
なぜその標的が自分であったのか。
そしてなぜ、自分はそれを見破れなかったのか。
レナルトの疑問に答えられる者はいなかった――レナルト本人も含めて。
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