王太子エイリークの疑念

「どういうことなのだ?」


 王太子エイリーク・ナダールは苛立ちを隠そうともしなかった。

 もとより己の気分を表に出して咎められる立場でもない。


「ですから、その――追放の布告の受領確認がございませんで」


 式部卿が言いづらそうに答える。


「それはもう聞いた。

 なぜそのようなことになっているのか、と訊いておるのだ」


 答えられる者は誰もいなかった。

 重要な文書については、公用使をただ送るだけでなく、届いたことを確認してその旨の文書を送り返させることがある。


 侯爵令嬢の追放刑とあればその重要度は言うまでもない。

 式部卿も当然、受領確認の文書を要求していた。


 それが戻ってこない、というのだ。

 王国の全土に確実に届けられるべき布告が、届いていない可能性がある、ということだった。


「どこからだ?」


「は」


 手短にすぎる王太子の質問の意図を測りかねたのか、式部卿が咄嗟の返答をできず言葉に詰まる。


「どこまで受領確認が戻り、どこから先の受領確認がないのか、と尋ねておるのだ」


 王太子が苛立った声で問いを重ねた。


「は、ええ――エズリンから先でございます。ラガンズヴィルまでは確認が来ております」


 慌てて手許の書き付けを繰り、式部卿が答えた。


「エズリンだと?

 あそこは――」


「エズリンの領主は――リアルディ家でございます、殿下。

 当代当主はレナルト・リアルディ伯爵にて」


 同席しているノール伯爵ルドヴィーコ・フォスカールが、王太子の疑問を汲んで補った。

 言いながら、ルドヴィーコは、リアルディ家の当主、レナルトの謹厳な顔を思い出している。


 あの伯爵が受領確認を怠るはずがない。

 必要とあれば護衛を付けることすら躊躇わないはずだ――王室への忠誠を重んじるあの男であれば。


「リアルディか。忠義の家だな。

 何かの間違いかもしれぬが――念のため、確認の公用使を出しておけ」


「それが、殿下」


 渋面の農部卿が言いづらそうに切り出した。


「農部省から出した公用使の書状への返答もございませんで」


「いつの話だそれは」


「5日前でございます、殿下。

 戦になる可能性が、ということでございましたので、東部の各所に備蓄の状況の確認をいたしました。

 併せて、進軍路となるマレス街道沿いへの集積の準備を、ということだったのですが」


「エズリンへは――」


「早馬であれば片道1日半から2日というところかと存じます。

 ですから、ええ――通常であれば、式部省の布告は2日前、農部省の書状については昨日には、戻ってきているはず、ということでございます、殿下」


 ルドヴィーコが再び言葉を添える。

 誰かが、2件立て続けとは、一体どういう、と、低い声で言葉を交わしていた。


「――考えられる可能性はなんだ」


 王太子の質問に、諸卿が顔を見合わせる。

 誰も答えたくない質問だった。


「可能性としては、いくつかございますが」


 心ならずも視線を集めてしまったルドヴィーコが慎重に話を切り出す。


「まずは何らかの事故が生じ、到着が遅れている可能性がございます。

 土砂崩れや落橋など、公用使が通りたくとも通れぬような事情があれば」


「いやいや、ノール伯爵、そのようなことがあれば、それこそ公用使が現地から王都へ送られましょう」


 論駁したのは工部卿だった。

 ええ、と頷いたルドヴィーコが更に続ける。


「いまひとつは、途上で何者かに襲われた可能性がございます。

 野盗の類、あるいは――」


「野盗などが公用使を襲うとは思われませんな。馬衣をつけ、遠目にもそれとわかるのです。

 それに公用使は機密を運ぶことがあっても金品はそうそう運ばない。そして公用使が襲われたとなれば、徹底的な捜索が行われる。割に合わぬのでは?」


 この可能性を否定したのは法務卿だ。

 実際のところ、公用使が野盗などに襲われることはほとんど例がない。


「――あるいは、マレス侯の配下か」


「マレス騎士はコルジアの港から船に乗ったのでは?」


 軍務卿が確かめるように言う。


「わたくしめはそのように伺っております。

 しかし、騎士ならずとも、傭兵か、あるいはそれこそ野盗の類に金を掴ませたか」


「誰であっても同じだ。

 場所は解っているのだから、その街道近辺を徹底して捜索すればよかろう。

 見つけ出したなら街道筋に吊るせ。王の使いを蔑ろにする者がどうなるか、知らしめねばならん」


 王太子が険しい表情で宣言する。

 座の一同に異論などあるはずがなかった。


「最後のひとつの可能性でございますが」


 これは言いたくない、と思いながら、ルドヴィーコが続ける。

 だが、口に出したい話ではなくとも、事実上の内大臣となれば口にしないわけにいかない。


「言ってみよ、ノール伯」


「あくまでも、これはあくまでも可能性としてお聞きいただきたいのですが――」


「なんだ、勿体を付けるような話でもあるまい」


「――エズリン伯爵の謀叛」


 震えの混じる低い声ではあったが、ルドヴィーコが発した一言は、その場の全員を沈黙させた。


 誰もがまさかと思っている。

 そして同時に、もしや、という疑念を捨てきれない。


 事実として、必ず届けられるはずの受領確認が届いていないのだ。


「あそこは――エズリンの伯爵家は、代々忠節の家柄ですぞ、ノール伯爵」


 責めるような声を押し出したのは内務卿だった。


「ですから、可能性、と」


 ルドヴィーコとて己が口に出した言葉を信じているわけではない。

 というよりも、信じたくない、と思っていた。


 マレス街道の中間点、街道が交差する要衝。

 その場所の重要性を知るからこその忠節。


 だが、忠節が必ずしも報われるわけではないということが示されてしまった今、代々忠節を貫いてきた家が、なぜその忠節をそのままに保ち続けられると言えるだろうか?


 それに何より、戦が始まろうといういまこの時に、目的地のはるか手前に敵対者が現れているのだとすれば。


「事実であれば、ノール伯爵、それはもう戦どころではありませんぞ」


 咎めるような口調で軍務卿が言う。

 俺に言ってくれるな、とルドヴィーコは心の中でぼやいた。


「可能性の話と申し上げました。しかし――事実として、受領確認が戻っておらぬのでございましょう」


 そればかりは誰も否定できない。


「もうよい」


 王太子が吐き捨てた。


「疑念と可能性ばかりをここで云々していても始まらぬ。

 解らぬことは確かめるよりない。違うか、軍務卿」


「は、まことに仰せのとおりでございます、殿下」


「式部卿、エズリンの手前――ラガンズヴィルまでは受領確認が来ているのだな?」


「はい、殿下、そこは間違いございません」


「農部卿、備蓄の確認はどこまで済んでおるのだ」


「ラガンズヴィルまでは確認が済んでおります、殿下」


「であれば」


 ほんのわずかの間だけ考えて、王太子が言葉を続けた。


「エズリン伯が叛逆したとして、動員可能な兵はいかほどか」


 全員が軍務卿に視線を向ける。

 軍務卿が黙って首を振った――すぐにはわかりかねる、ということであるらしい。


「わが領と大差ないとすれば、500内外というところかと」


「ふむ」


 咄嗟に答えたルドヴィーコの言葉に、王太子が頷く。


「エズリンの周囲は平原であったな。軍を動かすに支障はあるか、軍務卿?」


「仰せのとおり、平原でございます。

 支障はございません、殿下」


「よろしい。

 ひとまず1500を王都から出す。指揮官は近衛騎士団長に選ばせよ。

 まずは100――いや50でよい、先遣隊を出して状況を確認させる。その間に残りの者たちの準備を整えるのだ。

 皆、異存はあるか」


 異論は出なかった。

 ルドヴィーコも、手堅い判断、と考えている。


 狼狽えたままあれこれと議論していたのが嘘のようだった。


「元帥府にもそのように伝えよ。

 それから、将軍をひとりこちらへ送れ、と。

 これから諸々詰めねばならん。軍務卿、よいな」


「仰せのままに、殿下」


 軍務卿が丁寧な礼をして応じる。


「確認のための公用使はいかがいたしましょうか、殿下」


 式部卿が尋ねた。


「それはそれで出せ。

 先遣隊の準備にはどれほどかかる?」


「2――いえ、1日で。明日には出立させるようにいたしましょう」


 軍務卿の返答に、王太子がよし、では行け、と手ぶりで示す。


 御前を退出したルドヴィーコは、いつものように安堵のため息をついた。

 王太子の決定を思い返す。あれでよかったのだろう――おそらくは。


 疑念がある以上解決はせねばならない。

 だとするならば、あれ以上の解決策があるとも思えなかった。


 だが、とルドヴィーコは暗い気分で考える。

 疑わずともよかった当然のことを、疑わねばならなくなってしまった。


 ――自分は、そして我々は、何をどこまで信用することができるのだ?

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