侯爵令息クルツフリートの決意
柔らかいノックの音が、部屋に響いた。
「メイロス様」
侍女の声に、アーヴェイルははい、と応じる。
「ハーゼン様――クルツフリート・ハーゼン様がお見えになった、とのことです。
お会いになられますか?」
「はい、私はいつでも結構です」
答えてアーヴェイルは立ち上がった。
「では、ご案内いたします」
侍女の声とともに鍵の回る音がして、扉が開かれた。
軟禁されたおよそ3日の間、三度三度の食事を運び、部屋を整えてくれた侍女と、そして帯剣した大柄な従士がひとり。
給仕のときも掃除のときも、侍女はけっしてひとりでは部屋に入らず、常にこの従士が張り付いていた。
そのことをどうこう言う気はアーヴェイルにはない。むしろ当然のことと受け止めた。
使用人の安全に気を払いつつ、自分を一応の客人として遇したレダン子爵の態度を、好ましいとすら思っている。
案内するという侍女が先に立って歩き出し、アーヴェイルと従士がそのあとに続く。
「貴殿もご苦労なことだったな」
並んで歩く従士から投げかけられた言葉は、アーヴェイルにとって少々意外だった。
厄介事を持ち込んだものとして忌避されこそすれ、同情されるような言葉をかけられるとは。
「いや、そちらこそ」
交代があるとはいえ、監視していたのであれば常に気を張っていなければならない。
監視される側がぼんやりと時間を過ごすのみであっても、監視を緩めるわけにはいかないのだ。
「ま、こちらはこれが仕事ゆえ、な」
「であれば、お互い様というところでしょう」
アーヴェイルの返答に、従士が小さく笑った。
「互いに主から言いつかった仕事、か。
子爵が貴殿を随分と褒めていた。若いのに大した胆力よ、とな。
それに見たところ、相当に使うようだが」
「侯爵の息女の、護衛を兼ねた補佐役を務めておりました」
「道理で。
御令嬢の評判はここレダンにいても聞こえてくる。
その補佐役兼護衛とあれば、胆力も武技も相応のものというわけだ。
是非とも一度手合わせを願いたいところだが――」
今度はアーヴェイルが小さく笑う番だった。
「またの機会とさせていただきたく」
従士の佇まいからも、武技をよくこなすであろうことは容易く想像できた。
個人的な興味として手合わせしたならばどうなるか、というところがないではないが、それは今すべきことではない。
アーヴェイルの返答に、従士は気を悪くした様子もなく、朗らかに笑った。
「そうであろうな。
では、事がすべて済んだならば、メイロス殿。
私はファルハーレン。ウィレム・ファルハーレン」
「事が済んだならば、ファルハーレン殿」
にやりと笑った顔で従士が――ウィレムが掲げた右腕に、アーヴェイルが己の左腕を交差するように当てる。
戦場で肩を並べて戦う戦士同士の挨拶だった。
※ ※ ※ ※ ※
侍女が部屋の扉をノックすると、中からどうぞ、という返事があった。
クルツフリートの声だった。
扉を開けた侍女とアーヴェイルが腰を折る礼をし、ウィレムが騎士の礼を取る。
正装をしたクルツフリートが目礼でそれに答え、侍女とウィレムに頷いてみせた。
他人を従えることに慣れた者だけが可能な、ごく自然な所作だった。
ウィレムと侍女が部屋を出て扉を閉めたところで、クルツフリートがふっと態度を崩した。
心なしか、表情までもが柔和なものに変わっている。
「無事に共闘の約束を取り付けられたようで良かった、アーヴェイル」
くだけた口調に柔らかく笑うような顔は、王都でもアリアレインやごく近しい幾人かの配下以外には見せなかったものだ。
「ありがとうございます、若様。
若様もお嬢様もご無事なようで何よりでした」
「俺の婿入りの話は、船の中で姉様に聞いたよ。
随分と謝られた。侯爵家を継がせてやれなくて申し訳ない、って」
「それは――」
アーヴェイルが言葉に詰まる。
姉であるアリアレインの婚約の解消がなければ、そして追放がなければ、ランドルフの跡を継いで侯爵家の次の当主に収まるのはクルツフリートであったはずだった。
「ま、正直なところ、俺は気が重かったからね。ほっとしてる部分の方が大きいんだよな。
侯爵の器じゃないもの、父上とか姉様を見ちゃうとね。姉様が王妃になるなら、まあ、2人だけの姉弟だし、仕方ないかな、くらいに思ってたからさ」
クルツフリートはまだ15。ふたつ上の姉と引き比べられれば、見劣りはやむを得ないところではある。
そうは言っても、今後の伸びしろを考えれば十二分に賢く、武技などは既にアーヴェイルから3回に1回は勝利を奪うほど。
尖ったところのない人好きのする性格は、むしろアリアレインよりも優れた部分かもしれなかった。
「――そのようなことは。
若様には若様の美点がございます」
「――アーヴェイルらしいよな、そういうところ」
アーヴェイルの言葉を聞いたクルツフリートが、愉しげに笑った。
「気を悪くしないでくれ、本当にそう思ってるんだ。それがお前の美点だともね。
姉様にも言ったけど、気にしないでほしいんだよな。侯爵家の当主より子爵家の入り婿の方がたぶん性に合う。俺はそう思ってる」
人を見る目があり、人を惹きつける穏やかな性格があって、何かにつけて努力を惜しまない。
それだけで、人の上に立つ人間としては求められる水準を超えている、とアーヴェイルは思っている。
だが、侯爵家始まって以来の才媛と称されるふたつ上の姉を、クルツフリートは常に見て育ってきた。
――お嬢様の才能と努力を知るからこそ、か。
お嬢様の優れた部分を知ろうとしなかったからこその暴挙。
幼いころからすぐ近くで見てきたからこその屈折。
「まあ、俺が侯爵の器じゃないのと同じくらい、姉様も王妃の器じゃあないと思うんだけどね」
意外な言葉に、アーヴェイルは眉根を寄せた。
その表情の変化に、クルツフリートはにやりと笑う。
「姉様はね、王妃じゃあないんだよ。あれは王の器」
思わず小さく笑みを漏らしたアーヴェイルに、クルツフリートは満足そうな表情を浮かべた。
「アーヴェイルもそう思うだろ?
誰かを支える側じゃなくて、皆に支えられながら引っ張る方なんだよ。
――だって姉様だもの」
ああそうか、とアーヴェイルは思った。
端的で的確な、幼いころから近くにいた弟でなければできない評価だった。
「ええ、まさに、若様」
「俺はここから、この家の令嬢とこの家と、それから姉様を支えるよ。
だからさ、アーヴェイル」
「はい」
笑みを消したクルツフリートが、アーヴェイルの目を正面から見つめる。
肩に手が置かれ、その手にほんの少しだけ、力が込められた。
「お前は姉様の側で、姉様を支えてやってくれ」
「――はい」
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