侯爵家従士アーヴェイルの交渉(後)

「その者と副使を捕えよ」


 小さくため息をついたルーラントが命じる。

 剣を抜いて一歩二歩と近付くマレインにちらりと視線をやった使者は、さして動じた様子もなく言葉を続けた。


「マレイン・フェラウデン殿、娘御のご婚約、まことにめでたく存じます」


「な」


 突如名を呼ばれ、しかも娘のことを話題に出されたマレインが気勢を削がれたように足を止めた。


「フィリベルト・ディルスケン殿、御子息のお怪我は快癒されましたか?」


 もう一方の財務官、フィリベルトも顔をしかめた。


「か、家族のことを持ち出すとは貴様、脅しのつもりか」


 呻くような声でマレインが問う。


「お二方はじめ、子爵家の主だった家臣の方々のお家には、我らの手の者が贈り物を持って伺っております」


「一体何を――」


「贈り物ですよ、ただの。今日のところは。

 家に戻られたならば確かめてご覧になればよい。どれも悪い品ではないはずです」


「何が言いたいのだそなたは」


 苛立った声音のフィリベルトに、使者の返答は、幾何学の定理でも説明するかのような調子だった。


「我らが何の手札も持たずに、ただ助力のみを乞うてここへ出向いたとお思いですか、閣下」


「それで我が配下の家族を質に取る、か。

 見下げたやりようよな」


 吐き捨てたルーラントを前に、使者は表情ひとつ変えようとしない。


「どうとでも。

 しかし閣下、先代マレス侯爵が東の国境を守り抜いたのは、戦場における勝利によってのみではなかった、ということをお忘れではございますまい」


 先代マレス侯ランベルトは、たしかに戦上手で鳴らしていた。

 だが、それだけではない。

 必要とあれば要人の暗殺、そして敵の根拠地や物資の集積地となる街や村への焼き討ちを躊躇なく実行している。

 それによって戦場の不利を覆し、あるいは勝利をより決定的なものに変えて、幾度とない侵攻をすべて撃退したのだった。


「まさか――」


「はい。

 定められた刻限までに交渉成立の報を持って私が戻らねば、街が焼かれます。

 家臣の皆様のところへも、再度の訪問があるでしょう――次は、別の贈り物を持って」


「できる筈が――」


 マレインが抗弁する。


「ない、と申されますか。

 国境の竜骨山脈、その街道の外を徒歩で越えて焼き討ちを行うよりも、船で運んだ物資を荷馬車でしかるべき場所に届ける方が遥かに容易い。

 既に我らの手勢は準備を整えて街中へ散っております」


 ――己の違和感の正体はこれだったか。


 ルーラントは苦い思いで先刻の違和感を思い返していた。

 だからこそ船で、だったのだ。必要な人員と物資を運び、マレス侯領からの荷だと称すれば荷揚げに疑いを持たれることもない。

 最初から、いざというときは街を焼き、家臣を家族ごと暗殺する気だったのだ。


「剣を収めよ、マレイン」


「閣下、このような脅しに屈してはなりませぬ。

 街へ人をやって――」


「収めよ。

 そこまで手配しておるのだ、この館も誰ぞに監視されておろう。

 街へ人など散らそうものならその時点で火の手が上がるわ」


 使者は答えない。その表情も変わらない。

 若いにもかかわらず、胆力と踏んだ場数は相当のものがあるようだった。


 使者を睨みつけながら、渋々といった態でマレインが剣を鞘に収める。


「それで、使者殿よ、侯爵の望みはよいとして、我らが得るものはなんだ」


 何物も得られず、ただ脅されるがままに協力を約することはできない。ルーラントはそのことを指摘している。


「王都へ上納すべき物資と資金の免除、造船と遠洋航海及び灌漑に関する技術の供与、羊毛や羊毛製品の2領間での売買に関する賦課金の撤廃」


 ルーラントは表情を変えなかったが、傍らにいる財務官のフィリベルトが小さく呻き声を漏らした。

 淀みなく答える使者の提示した条件のひとつひとつが、破格のものと言えるからだった。


 王都への上納が無くなるということは道理と言えば道理だ――マレス侯に味方すれば、もはや王都とは縁を切らざるを得ないのだから。

 それにしても、かわりにマレスに納めよということもなく、ただ上納が無くなるということは驚きだった。


 技術供与と賦課金の撤廃については言うまでもない。

 おそらく相当な金と時間をかけて育て上げたであろう技術、侯爵領をして周辺の他領に優越せしめている技術を供与すること。

 そして、明らかに侯爵領が優位に立ち、その気になればいくらでも吊り上げられる賦課金を撤廃すること。

 およそにわかには信じがたいほどの好条件だった。


「その条件を、どのように担保する?」


 口でだけならばどうとでも言える。

 軽々に口約束を信じて破滅する気など、ルーラントにはなかった。


「侯爵の子息を閣下のご息女と縁組みさせたく存じます」


 使者が即答する。

 あらかじめ用意してきた答えに違いなかった。


「そのようなことを言って、子爵家を乗っ取ろうと――」


「控えよ」


 驚きのあまりか、疑念を口に出したマレインに、ルーラントが再び叱声を飛ばした。


「お疑いはごもっともです。

 ですが、子爵の地位、子爵家当主のお立場はあくまでもご息女に。

 侯爵はそのように申しております」


 レダン子爵家には男子がいない。ルーラントの血を引く子といえば娘がふたりだけだ。

 いずれ養子を取るか婿を迎え入れるか、とルーラントは考えていた。

 ある意味で、渡りに舟、という話ではある。


 話がうますぎる、と思ったのか、傍らでフィリベルトが眉間に皺を寄せている。


「こたびの事が成れば、侯爵領と子爵領、それに周辺の小領群は王国から切り離され、実質的に新たな国となりましょう。

 そうなったとき、最大の領地を継げぬ侯爵の子息の婿入り先として、閣下のご息女以上のどなたがありましょうか?」


 名目は婿入り。実質は――子爵領を乗っ取るための手先か、あるいは人質か。

 実態としてどちらであれ、縁組みの先に子が生まれれば、その子は侯爵領と子爵領の架け橋となりうる。


 だが、ルーラントには更にひとつの懸念があった。


「条件としてはそれでよいかもしれぬ。

 だが、どのようにして我が領を危険と略奪に晒さずに戦に勝つのだ?

 味方しようとしまいと領地を焼かれ、家臣たちを喪うのであれば、まだしも王室への忠誠を貫く方がよい」


「正面から力と力で戦えば、ご懸念のとおりとなりましょう。

 ですが、今はもう秋も半ば。冬になれば子爵領の西の境、竜翼山脈を横切るアラス峠を軍は越えられません。

 そして、峠のこちら側は冬でも温暖――となれば、来春以降の攻勢に備えることは十二分に可能。

 つまり、今年の冬まで時間を稼ぎさえすればよいのです」


「それはよい。

 どう時を稼ぐのか、と訊いておる」


「閣下、追放の布告がなぜお手許に届かなかったか、お考えには?」


「――いや」


 考えてみれば奇妙なことではあった。

 なぜその情報を侯爵領からの船で知ることになったのか。


 首を振ったルーラントに、使者は説明を始めた。

 彼らが何をして、いま何が起きているのか、今後何をしようとしており、何をすればよいのか。


 すべてを聞いたあと、財務官のフィリベルトは地獄の底でも覗き込んだような表情になり、武官のマレインは毒気を抜かれて唖然とした顔をしている。

 自分はどのような顔をしているのだろう、どちらの顔に近いのだろう、とルーラントは考える。


 あまりに鮮やかで、そして悪辣な手口だった。


「マレス侯爵が、これを?」


 あの人格者がこのような一面を持っていたとは、という驚きとともにルーラントが尋ねる。

 その問いを聞いた使者の表情が、初めて動いた。


「いいえ、閣下」


 柔らかい笑顔で、使者はルーラントの推測を否定した。


「侯爵の息女、追放の宣告を受けたアリアレインの発案にございます」

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