侯爵家従士アーヴェイルの交渉(前)
西日を背にして滑るようにレダンの港へ入った船は、ほどなく船着場に錨を下ろした。
岸と船の間で型通りのやり取りが交わされ、舫い綱が渡され、渡し板が掛けられる。
船尾に掲げられた旗――マレス侯爵家御用達の商家の旗を目にして、港の役人や人足たちが集まってくる。
「マレスからの荷でございますが、陸揚げしても?」
舷側に立った居住まいのよい商人風の男が、声をかけた。
無論、港の役人たちにも港で働く人足たちにも、異論などあるはずがない。
マレスを経由してあちこちから運ばれる荷は、いつもレダンの港に活気と潤いをもたらしている。
荷下ろしが始まった頃合いで、船乗りとは別の一団が岸に降り立った。
「レダン子爵閣下に宛てて、マレス侯爵からの信書がございます。
ご案内を願えますか」
マレス侯家の紋章が入った仕立てのよい服を着た文官風の男が3人。
役人たちに声をかけたのは、焦茶の短髪に深い緑の瞳の若い男性だった。
やや年嵩の2人が、付き従うように後ろに立っている。
「は、無論です」
実質的に領地を接している大貴族の使者とあれば、粗略に扱うわけにはいかない。
丁寧に礼をした役人たちのうち、ひとりが先触れのためだろう、どこかへと走った。
残った中で年嵩の者が、こちらへ、と先に立って歩き出す。
マレス侯家の文官たちが後に続いた。
※ ※ ※ ※ ※
港にマレス侯家からの使者到来という報を受けたレダン子爵ルーラント・ストラウケンは、少々の違和感を抱いていた。
特段の急ぎの用件を思いつかなかった、ということもあるし、これまで急使といえば陸路が通例であったということもある。
とはいえ、だから会わずに済むというような話ではない。
相手は王国東部では最大級の所領を握り、東部国境の守りの要とも称される大貴族である。
使者が案内されたならばすぐに会談できるよう場を整え、威儀を正して出迎えねばならなかった。
略装で執務していたルーラントは従者を呼び、正装に着替えて使者を待つ。
「使者殿が到着した、とのことです、閣下」
ほどなく、執務室に入ってきた家宰が、使者の到着を報告した。
「幾人だ?」
「3名でございます、閣下。正使1名に副使2名にて」
「すぐに会おう。正使を広間へ案内せよ。
副使は控えの間に」
答えて立ち上がったルーラントは、ほんの少しだけ考えて2人の配下の名を挙げた。
「マレインとフィリベルトをここへ呼べ。会見に立ち会わせる」
名の挙がった2人は、武官と財務官の筆頭だ。
マレス侯からの使者というなら、まず考えられるのは東で何かが起きた、ということだ。
であれば、善後策を考えるために直接話を聞かせた方がよい。
ルーラントの意図を察した家宰は、黙って礼をして退出した。
※ ※ ※ ※ ※
小半刻ほどの後、ルーラントは配下2名とともに広間へ出向いた。
すでに案内されている使者はひざまずいた姿勢のまま微動だにしない。
「お待たせした。楽にしてくれ」
「お目にかかることができて嬉しゅうございます、閣下」
立ち上がった使者が一礼した。
若い使者ではあるが、こういった場に慣れているものか、所作には硬さがない。
「マレス侯爵閣下からの御使者と聞いている。そなたの名は」
「侯爵家従士、アーヴェイル・メイロスと申します」
均整の取れた身体つきに落ち着いた挙措。
文官の姿ではあるが武技も人並み以上のものだろう。
「侯爵閣下のご用件を伺おうか」
はい、と応じてほんの一瞬目を伏せた使者が、ふ、と視線を上げた。
その一瞬で、正面からルーラントを射抜くような、強い視線になっている。
「このたび、わが主、マレス侯爵の息女、アリアレイン・ハーゼンが王太子殿下の勘気を被り、婚約を解消されたうえ追放刑に処せられました」
ルーラントにとってはあまりに唐突で、しかも衝撃的な話だった。
「――聞いておるか?」
傍らに控える配下に小声で尋ねる。2人はかすかに首を振った。
「マレス侯爵は処断にしかるべき理由なしとして、殿下の処断を受け入れておりません。
当然、殿下は軍を起こされることになりましょう」
使者は淡々と述べている。だがその内容は、王国そのものを揺るがしかねないものだ。
追放者に援助を与えたならばその者もまた追放。
いかに息女とはいえ、追放を受けたと知って領内に匿ったとあれば、それは王室の権威を否定することに他ならない。
「む、謀叛ぞ、それは」
「マレイン、控えよ」
思わず言葉を漏らした配下の武官に、ルーラントは低い叱声を飛ばす。
「いかにも謀叛にございます」
「その謀叛の話をレダンへ持ってきてどうしようというのだ」
簡潔に応じた使者に、今度は財務官が苛立ったような声を上げた。
「フィリベルト」
ルーラントがふたたび名を呼んで言葉を止める。
「無論――」
「使者殿よ」
言葉を続けようとした使者を押し留めるように、ルーラントはゆるりと手を挙げた。
「そこで止めるならば、私は何も聞かなんだことにする。
侯爵閣下のお気持ちは解らぬでもないが、それを言ってしまえば後戻りはできん。
聞いた私としても動かぬわけにゆかぬのだ」
聞いた使者が口の端だけで小さく笑った、ように見えた。
「お心遣いありがたく存じます、閣下」
一旦言葉を切って律儀に礼をした使者が、顔を上げる。
「――無論、閣下にお味方いただきたい、というのがマレス侯爵の意向にございます」
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