エズリン伯爵レナルトの忠誠

 エズリン伯爵公邸の衛士たちは、互いに顔を見合わせた。

 年嵩のひとりが咳払いをして、もう一度定められた合言葉を口にする。


「『怪物』」


 公用使――否、公用使を名乗る男の顔に疑問符が浮かび、その場にいる衛士たちの顔を順繰りに見渡す。

 もはや疑問の余地はなかった。


 普段は使うことのない槍を、全員が構える。

 前から胸に狙いを定めたのが2人、後ろから腰のあたりを狙うのが2人。


「な」


 4本の槍に囲まれた男が声を上げた。


「なんだこれは!

 執政府の公用使に対してこの狼藉、いったいどういう――」


「黙れ、この慮外者が」


 合言葉を唱えた年嵩の衛士が吐き捨てる。


「よりにもよって公用使を騙るとはな。

 だが、貴様らの企みなどとうに露見しておるわ」


「騙るなど――そ、そなたら揃って何を――」


 どうやら冗談でも言いがかりでもなく、本気で偽公用使と疑われているらしい、と知った男が慌てた。


「神妙にせよ!」


 剣を抜いて切り抜けられる状況ではなく、まともな話もできそうにない。

 言われたとおりにする、以外の選択肢はなかった。


 言われるままに跪き、鞄を取り上げられ、後ろ手に縄を打たれる。


 ――いったい何がどうなっているのだ?


 立たされ、槍を突きつけられて連行される公用使は必死で考えた。


 たしかに自分は式部省からの布告状を預かって執政府を出た。

 馬を乗り継ぎながらマレス街道を下ることおよそ2日。

 ここからすぐ西のラガンズヴィルまでは何事もなく布告状を渡してきた。


 なぜここで偽公用使扱いされねばならないのか、まったく理解できなかった。


 ――だが、書状を見れば。


 式部省の書記官の署名が入った正式な書面。

 あれを読めば、自分が騙り者などではなく、正式な公用使だと解ってもらえるだろう。


 そう自分を納得させて、公用使は地下牢へと引き立てられていった。



※ ※ ※ ※ ※



 エズリン伯爵レナルト・リアルディは、執務室でその報せを受け取った。


「まことか」


「は、合言葉に答えられなかった、と、衛士から」


「賊は」


「地下牢に繋いでございます」


 執事の返答に、レナルトはうむ、と頷いた。


「書状を持ってはおらなかったか」


「こちらに。

 式部省からの布告と称しておりました」


 手渡された封書の封を切り、慎重に中の書状を取り出す。

 一読したレナルトが顔をしかめた。


「ここまでとはな」


 書状には簡潔な表現で、ふたつのことが記されている。


 ひとつ、摂政エイリーク王太子の名をもって、マレス侯爵令嬢アリアレイン・ハーゼンを追放刑に処すること。

 ふたつ、追放に伴い、エイリーク王太子とマレス侯爵令嬢アリアレイン・ハーゼンとの婚約は解消されること。


 書式はたしかに式部省の布告のそれだ。

 しかし、よく読んでみれば署名してある書記官の名も、筆跡も、常のそれとは異なっている。

 だが、それも、偽物という認識がなければ、さほど気にすることもなかったかもしれない。

 悪い冗談のような内容とはいえ、否、そうであるからこそ、マレス侯爵令嬢の事前の指示がなければどうなっていたことか、考えるだけでも恐ろしいことだ。


「書状にはなんと」


 問う執事に、レナルトは黙って書状を差し出した。


「――これは」


 執事にとってみても、衝撃的な内容であったらしい。

 二の句を継げずにいる執事に、レナルトも苦笑いを浮かべた。


「まことに、かの侯爵令嬢の周到さには驚かされるばかりよな」


「まるで、予期していたかのようでございますな」


「ああ。

 ――市井の噂は、お前も耳にしていよう」


「東が何やらきな臭い、とか」


「侯爵令嬢の指示とその噂、そしてこの書状――何か匂わぬか」


「――まさか、メルザードが」


 執事が口にした東の王国――幾度となくこの国への侵攻を試み、そしてそのたびに時のマレス侯爵によって撃退されている国を、レナルトはこの企みの裏にいる者と判断していた。


「ああ、一枚噛んでいて不思議はない」


「そうであれば辻褄が合いますが」


「賊を詮議せよ。ただし殺すな。必ず背後を吐かせるのだ」


「は、しかと伝えます」


 ひとつ息をついて、レナルトはもうひとつの懸案を口にする。


「このようなことが起こるでは、本当に戦が近いということやもしれぬ。

 物資の移送はどうなっておる?」


 マレス侯爵令嬢から、偽公用使に関する情報と物資の移送の指示がもたらされたのが3日前。


 その日から、エズリンとその近在の諸領は、備蓄されていた糧食のほとんどを吐き出す形で、マレスへと向けて物資を送り始めていた。

 エズリンの商館をはじめ、商人たちの馬車や荷馬まで徴用・動員しての大規模な移送だった。


「概略順調でございます。

 市門を通る馬車の数はおおむね想定の範疇にて」


「市中の食料品の価格はどうだ」


「多少の値上りはございます。

 ただ、あくまでも備蓄分の移送のみでございますからな。限定的かと」


 よろしい、とレナルトが頷く。


「移送は予定通り続ける。市中の品々の価格は引き続き注意するように。

 それと、衛士たちには、一層警戒するよう伝えよ」


 黙って礼をした執事が呼び鈴を鳴らし、従僕を呼んでレナルトの指示を伝える。

 己の指示が滞りなく実施されることに満足を覚えながら、レナルトは執務に戻った。



※ ※ ※ ※ ※



 エズリン伯爵レナルト・リアルディは、忠節の人である。

 代々王室への忠誠を誓う一族の当主として、レナルトもまた王室への忠誠を誓っている。


 王室への信頼と忠誠ゆえに、王室が信頼するマレス侯とその一族を、レナルトは王室と同様に信頼している。


 そのレナルトにとって、王室がマレス侯家を切り捨て、侯家が王室との対立を選択するなどということは、およそ想像の埒外のことであったのだ。

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