マレス侯爵ランドルフの欠点(後)
封を切り、書状を読み始めたランドルフの表情が一変した。
「アーヴェイル、まことかこれは」
「お嬢様が書かれたとおりでございます」
簡潔に過ぎる返答にほんの一瞬だけ顔をしかめ、また書状へ視線を戻す。
読み進めるにつれて、ランドルフの表情が険しくなる。
まあ無理もない、とアーヴェイルは思った。
王都に名代として送り出した娘が王太子に婚約を解消され、追放まで宣告された。
当の娘は一戦交える気満々でマレスへ向かっている。
これで表情を変えない親などいるはずがない。
「アーヴェイル」
さほど長くもない書状を読み終えたランドルフが、押し出すような声で言う。
眉間のあたりを右手でつまむように押さえていた。
「まことかこれは」
「まことにて」
長い長いため息が漏れた。
「そなたがついていながら、なぜこのような」
「婚約の解消については、私の力の及ぶところではございませんが」
「その話ではない。わかっておろう」
そういえばあの夜、馬車の中でも同じやり取りをしたな、とアーヴェイルは思い出す。
顔が笑ってしまわないように、ちょっとした努力が必要だった。
「追放についても、殿下にお慈悲を乞えば、とお嬢様に申し上げました」
「アリアはなんと?」
「理のない断罪に許しを乞うて下げるほど、御自身の頭は安くない、と。言下に」
ふたたび長いため息が、ランドルフの口から漏れる。
こめかみのあたりを指で押さえて俯く姿は、家族やごくわずかな近臣の他には見せないものだった。
「それでそなたをこちらへ送ったと。
アリア自身はコルジアから船で、か」
「はい。
この時期であれば海も荒れることはございません。マレスの港まで、あと2日か3日というところかと」
「戦をするとなれば、まさにあっぱれとしか言いようがないな」
やはり父上に似てしまったか、となにかを諦めたように付け加える。
「閣下、そのことで、お嬢様からお言付けがございます」
「なんだ」
まだ何かあるのか、という風情で、ランドルフは顔を俯かせたまま視線だけをアーヴェイルに向けた。
「もし一戦交えぬのであれば、私とスティーブンス執事に責めを負わせて、お嬢様とともに首を差し出させるよう、と」
「馬鹿な」
がば、と顔を上げたランドルフの顔に血の色が差している。
「そなたやスチュアートはそれで納得するのかもしれんがな、儂は許さぬ。断じて許さぬ。
あの跳ね返りが追放されるに至ったはあれ自身の不始末、アリアをしつけきれなんだ儂の不始末よ。
だが、断罪に理がないこともまた事実。娘と忠臣の首を差し出す道理が立たぬわ。だいたい、」
読み終えた書状を机に放り出して、ランドルフはもう一度息をついた。
「戦をするためにそなたを使ってこのような小細工までして、今更首を差し出す程度で済むものか。
追放だけならまだしも、叛逆まで始めてしまったらもう詫びて済む話ではないわ」
ひとしきり怒ってから、ランドルフは小さく笑う。
「アリアは結局のところ、相変わらず、か。
こういう甘え方ではそなたやスチュアートも苦労しておろう」
「苦労と思ったことはございませんが」
「そなたであればそうもあろう。
だが、そうやって甘やかすのが良くないのだ」
仕方ないな、という風情で苦笑を浮かべながら、ランドルフが応じた。
閣下、あなたも大概でしょう、と、口には出さないがアーヴェイルは思っている。
「――まあ、しかし、やるとなれば徹底してやらねばならん」
そう語るランドルフの顔は、何かを吹っ切った表情になっていた。
「アーヴェイル、そなたの首尾はどうなのだ」
「言いつかったことはすべて順調に。
エズリンから東へは、しばらく王太子の命令もなにも届きますまい。
届く頃には、軍を動かす機は失われているかと」
ふむ、とランドルフが頷いた。
「となると、あとはレダン子爵か」
「はい、閣下、レダンとアラス峠を押さえることがこの戦の肝、とお嬢様も」
「であれば、なすべきことはひとつしかあるまいよ」
「はい、閣下」
「基本的なところはアリアが送って寄越した案でよかろう。全権はそなただ」
ランドルフが、机の上の書状をとん、と手で押さえる。
「副使2名をつける。そなたであれば交渉に心配は必要あるまいが、ひとりでは何かと不便であろう」
「ありがとうございます、閣下」
「船と人と、それから必要な荷の手配をする。そなたはしばらく休め。
その様子ではろくに寝てもおるまい。準備が整ったら起こさせよう」
アーヴェイルは黙って一礼した。
「アーヴェイル」
退出しようとする背中に、ランドルフが声をかけた。
「はい」
立ち止まったアーヴェイルが振り返る。
「そなたを全権にと推したのはアリアだ。決着はそなたがつけて来い。
アリアも儂も、それを期待している」
「御意」
短く返答したアーヴェイルが、騎士の礼を取る。
行け、とランドルフが頷き、アーヴェイルは執務室を退出した。
閉じた扉を見つめて、ランドルフはもう一度ため息をつく。
どこかで自分が危惧していた、その最悪の想像を上回る状況だった。
娘の気性が父に似ていると知ってから、自分はそれを御する術を教えてきたつもりだった。
常に陣頭に立って配下たちに背中を見せていた父に学ばせるのではなく、配下をうまく使いながら自分が全体の状況を把握し、制御する姿を見せてきた。
領地経営の何たるかを教え、必要な知識を学ばせ、将来の王妃たるに相応しい教養と作法を身に着けさせた。
すべてを吸収し、その職を任せるに足ると思ったからこそ、手許から離して王都での名代という立場を与えた。
あれから2年、出来上がったのは父の気性と己の人遣いの能力を併せ持った17歳だ。
ランドルフはもう一度、娘が送って寄越した書状に視線を落とした。
起きたこと、これまでに為したこと、これから為すべきことが淡々と書き連ねてある。
――自分が同じ立場であっても、同じ決断を下したかもしれない。ただし、迷った末に。
結論として見れば、娘が取った行動は正しい。少なくとも、間違ってはいない。
だが、こうも迷いなく決断し、躊躇なく実行に移せるものだろうか。
己であれば、時が貴重だと理解してはいても、その貴重な時間を浪費せずに済ませていた自信はない。
それにしても、とランドルフは思う。
久しぶりに会うあの娘を、褒めてよいのか叱ってよいのか、よくわからない。
「褒めるべき、なのだろうなあ」
今日何度目かのため息とともに吐き出す。
理不尽な処断に抗うのは正しい。そうでなければ侯爵家が保ってきた威信に関わる。
抗うのが正しいとすれば、あとはどうやって勝つか、という問題に過ぎない。
勝つために最も有効な手段を最速で選択した娘を、正しく評価するのは自分の役目だ。
よくやった、それでこそ侯家の名代である、と褒めるほかない。
ランドルフはもう一度ため息をつき、努力して表情を引き締め、出て行った執事と祐筆たちを呼び戻すために呼び鈴を鳴らしたのだった。
※ ※ ※ ※ ※
マレス侯爵ランドルフ・ハーゼンは、領民の生活改善に心を砕く名領主、という評判だ。
父である先代、ランベルトほどの戦の才を見せたことはないが、そうであっても国境を守りつつ民の生活水準を向上させた手腕に疑いの余地はない。
だが、ランドルフには、彼に仕える誰もが知るささやかな欠点があった。
娘に甘いことである。
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