ノール伯爵ルドヴィーコの処世

 日没の鐘が王都に響いている。


「ただ今をもって、マレス侯爵令嬢アリアレイン・ハーゼンを追放刑に処す。

 この件の布告は明朝」


 王太子エイリーク・ナダールは、主だった宮廷貴族たちを前に宣告した。

 末席にはノール伯爵ルドヴィーコ・フォスカールも座っている。


 全員が黙って頭を下げた。

 さしたる驚きの色はない。3日前のいきさつは、宮廷貴族ならば全員の耳に届いている。


「これに伴い、余とアリアレイン・ハーゼンとの婚約は当然に解消される。

 新たな婚約者はノール伯爵令嬢クラウディア・フォスカール」


 座の全員が一斉にルドヴィーコに視線を向ける。


 ――『茨の安楽椅子』の方がまだしもましな座り心地かもしれない。


 いにしえの時代、教会の異端審問官が使ったという拷問具を、ルドヴィーコは思い出した。


「殿下、わが娘クラウディアにかような名誉をお与えくださり、感謝の言葉もございません」


 なるべく目を合わせないように言い、深々と頭を下げる。


「婚約の発表は追って行う。

 ノール伯だが、いずれ王妃の父となるゆえ、相応の職に就いて貰わねばならん」


 鷹揚に頷いた王太子が言う。

 おやめください、という言葉を、ルドヴィーコはどうにか飲み込んだ。


 娘の一件で要らぬ目立ちかたをしている。

 この上『相応の職』などに就かされたらどう見られるかわからない。


「――とはいえ、空いている席がないな」


 諸卿の席は埋まっており、辞める理由も辞めさせる理由もない。


「されば――内大臣ではいかがでございましょうか」


 式部卿が進言した。

 国璽と宮中の文書の管理を行う王の側近。

 常設の官職ではなく、必要に応じて置くものとされている。


 職務の実態はよくわからない――宮中の実権を握ることもあれば、名誉職でしかないこともある。


 すべては時の王と内大臣の力量や関係によるという、曖昧な官職であった。


「おお」


 意を得た、とばかりに王太子が頷く。


「それがよい。

 婚約の発表と同時に、新たな官職についても公布するとしよう。

 皆、異存はあるか?」


 疑問や異論などあろうはずもなかった。


 ルドヴィーコとしても異論はない。曖昧な官職、というところが有難かった。

 名誉職という程度であれば、周囲に白眼視されることもない。

 あとは辞を低くしながら大過なくやりすごせばよい。


「身に余る光栄、まこと感謝の念に堪えません。

 皆々様におかれましては、わたくしめに至らぬところあらばご教導をいただき、わが娘ともどもお引き回しくださいますよう」


 ルドヴィーコはもう一度深く頭を下げた。


「まあまあ、ノール伯爵、そう気兼ねをなさいますな」


 柔和な笑顔で取りなしたのは内務卿だった。


「我々もノール伯爵令嬢のご婚約をめでたく思っておるのですから。

 ――そうですな、方々?」


 恐縮でございます、とルドヴィーコは更に深く頭を下げる。


「いやまったく左様、ノール伯爵令嬢こそが未来の王妃に相応しい」


 含み笑いとともに響いた声は財務卿のそれだ。


「せんだってのご婚約者様は、いささか――」


「いやいや、陛下のお選びなすったご婚約者――いや、元ご婚約者様でございますからな」


「左様左様、申し分のない資質をお持ちでいらっしゃった」


「ただ、過ぎたるはなんとやら、と申しますからな」


 顔を上げたルドヴィーコの前で一同が好きなようにあれこれと言い、一様に笑いを漏らす。

 王太子はそれを叱るでもなく、言うに任せたままだ。


「しかし殿下のご英断とあらば」


「残念なこととは申せ、致し方のない成り行きでございました」


「まさしく」


 もうどこかで話が出来上がっていたのかもしれない、とルドヴィーコは思った。

 少なくとも、宮廷のこの空気を王太子が知らぬ筈はないし、王太子とあの令嬢や娘との間のあれこれを宮廷貴族たちが掴んでいない筈もない。


「そのような次第で、我々も新たな婚約者――ノール伯爵の御令嬢を歓迎しておるのです」


「そこは是非、ノール伯爵、あなたにもお含みおきいただきたいのですよ」


「さすれば王家は安泰、宮中も安泰」


「いや、やはり無用の波風など立たぬに越したことはございません」


 ノール伯はいかがですかな、と内務卿がルドヴィーコに笑顔を向ける。

 満面の笑みのなかで、目だけが笑わずにこちらを見ていた。


 領主貴族として見れば、近年とかく滞りがちであった国政のあり方を変えてゆく侯爵令嬢には、ある種痛快なものを感じる。

 だが、国政をこそ職域とする宮廷貴族たち、ことに重職にある諸卿にとってみればどうか。

 王太子の婚約者という立場を笠に着て己の権益を侵す不埒者、と見られたのだろう。

 マレス候にしても、己の娘を足掛かりに宮廷での権勢をも独占しようとしている、と取られたのかもしれない。


 クラウディアには、国政を取り仕切るような胆力も見識もない。

 王太子の寵愛を喜ぶだけの伯爵令嬢と、いささか直情径行な部分の目立つ王太子。


 宮廷貴族にしてみれば御しやすい、ということに違いなかった。


 そしてそれはおそらく、自分も同じだ。

 ルドヴィーコは己の世評をよく知っていた――『小心者の俗物』。


 己の立場を理解させ、未来の王妃の父として、幾ばくかの権益と名誉をあてがっておけば、と思われたのだろう。


「まったく皆様の仰るとおりで。

 ――娘にもよくよく言い聞かせておきます」


 ともすれば引き攣りそうになる口許を笑みの形に曲げ、座の全員を見渡して、ルドヴィーコはまた頭を下げた。


 小心者の俗物。まったくそのとおりだ、と思う。

 俗物には俗物の、小心者には小心者の、処世術がある。


 高邁な理想を掲げても、それで生き残れないならば意味はない。

 渡らねば先へゆけぬ橋であれ、落ちるかもしれぬ橋を渡らずに済ませられるならばその方がいい。


 ルドヴィーコには、この恐るべき機会主義者たちに抗ってまで貫きたい己などなかった。

 あるとすれば、せめて安寧に、そして叶うならば少々贅沢に、妻と子供たちとの生活を守りたい、というくらいのものだ。


「いやいや、ですからそう気兼ねをなさいますな、ノール伯爵」


 隣の席に座った商部卿が親しげにルドヴィーコの肩に手を置く。


「なんと言っても殿下の婚約者、将来の王妃の父君、もうしばらくすれば内大臣でございますからな」


「左様左様、もっと堂々としておられたがよろしいかと」


「ま、何事にも限度というものはございましょうが」


「まさしく。

 しかしノール伯爵はさすが、そのあたりをよくお解りでおられる」


「つまり皆々安泰、万事めでたし、ということでしょうな」


 めいめいが好き勝手に口にする話を財務卿がまとめ、一同がまた笑った。

 ルドヴィーコは、吹き出てきた汗を半ば無意識に拭っている。


「そのくらいにしておけ、ノール伯もお前たちの言いたいことはよく解っておろう」


 王太子が愉快そうに会話を締めくくった。


「ひとまずは明日の朝、追放の公布と併せてマレス候の王都邸及びマレス騎士館を接収する。

 王都邸にはいくつか別邸があるが、それらも同様だ。布告は各方面へ早馬で届けよ」


「兵の招集はいかがなさいますか、殿下?」


 実務家の顔になった軍務卿が尋ねる。


「今はまだよい。

 焦ることはない――あれに打てる手など、もう残ってはいないのだ」


 余裕のある笑みとともにそう断じた王太子が、手振りだけで下がってよい、と命じる。

 全員が一斉に席を立ち、礼をして部屋を出た。


 部屋を出て大きく息をついたルドヴィーコは、その瞬間肩を叩かれて声を上げそうになった。

 すんでのところで飲み込んだ声が、喉の奥で妙な音になる。


「ノール伯爵、いかがですかな、お近づきの印に場所を変えてもう少々」


 内務卿だった。

 先ほどと同じ笑みを浮かべている。


「いやいや内務卿、ここに来て抜け駆けというのはいかがなものですかな」


 似たような笑みを浮かべながら割って入ったのは財務卿だ。

 いやいや抜け駆けなどとは、と内務卿が返し、2人してまた笑う。


 ルドヴィーコは曖昧に笑いながら、話の成り行きをただ見守るほかなかった。


 ――獲物を巡って争う猫を見た鼠は、こういう気分になるのかもしれない。


 絶望的な気分でそう思う。


 結局、明日の布告に備えねばならないという式部卿と接収の実務を担当する法務卿を除いた全員が、新たな王太子の婚約者のために祝杯を挙げることになった。

 断ることなどできようはずもない。宮廷貴族に囲まれたルドヴィーコは、祝宴の会場へと案内された。


 ほとんど、刑吏に連行される罪人のような風情だった。

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