侯爵家従士アーヴェイルの奔走(前)

 エズリン伯爵レナルト・リアルディは、忠節の人である。

 マレス街道の要衝エズリンを代々治める伯爵家の当主としての役割を自覚し、その役割に相応しかれと己を律してきた。


 ――要衝であるこの街とその一帯をよく治め、もってこの地を我らの封土と定めた王室への返礼とせよ。


 それがリアルディ家の家訓であり、代々の当主は家訓を守って王室への忠誠を貫いてきた。

 当代のレナルトも、父祖が歩んだ道を、今日に至るまで違えることなく歩み続けている。



※ ※ ※ ※ ※



 レナルトは、公用使から渡された文書を一読して顔をしかめた。


「これは――まことなのか?」


 言ってしまってから、それが愚問であると気付いた。


「はっ」


 目の前で片膝をついてかしこまる公用使が、顔を伏せたまま答える。


「自分はお渡しした文の内容を知らされておりません。

 ですが、伯爵閣下に必ず直接手渡しするよう、厳命されました」


「――そうか。

 いや、そうであろうな」


 同じ執政府の公用使であっても、やり取りされる文書の重要度や機密性が全て同じ、というわけではない。

 法の布告と国の安全に関わる情報が同じようにやり取りされるわけではなく、前者は公用使が内容を知っていて何ら問題はないが、後者は知るべき者だけに知らされねばならない。

 だからこそ公用使を出す側は、ときに受取人を指定する。


 書かれていることは重大だったが、対処は示されている。

 署名はマレス侯爵令嬢のそれ。いかにもあの令嬢らしいと思わせる、単純にして的確な対応ではあった。


「ご苦労であった。

 部屋を用意させるゆえ休まれよ」


「ありがとうございます、閣下。

 しかし自分はマレス候領まで下るよう、命を受けております。

 それに、この街の商館にも出向かねばなりません」


「商館」


「それもわが主の命にございます。

 荷馬と荷車を集めておくよう伝えよ、伯爵閣下にお渡しした文に関わることゆえ必ず、と」


 レナルトは手にした文書をもう一度開き、文面に目を落とした。

 たしかにここに書かれていることを実行するならば、運搬の手段は必須と言えた。


 大型の荷馬車やそれを曳く荷馬は、いつでも望むだけ使える、というようなものではない。

 それが大量になればなるほど、先回りして押さえておかねば必要なだけは手に入らない。

 急な話であるにもかかわらず、マレス侯爵令嬢はそこまで目配りしている、ということだった。


「そなた、マレス候の御家中か」


「は、候家の従士にございます」


「ろくに休息も取ってはおるまいが」


 言外に、休まずに行くのか、と問う。従士はかしこまった姿勢のまま答えない。

 もう己への命令のことは告げており、繰り返すようなことではない、という意味だろう。


「――しかし、あくまでも命は命、か。

 候はよい従士を抱えておられる」


 話を打ち切るように、レナルトは立ち上がった。


「立たれよ。馬は用意させよう。

 伝えられたことは必ず実行する。そなたは安心してマレスへ向かわれるがよい」


「ありがとうございます、閣下」


 応じて、公用使が立ち上がる。


 中背の均整が取れた身体つき。焦茶の短髪に深い緑の瞳。

 整った顔立ちをしているが、表情には隠しきれない疲労の色が浮いている。


 渡された文書の日付は2日前。

 王都とマレスのおよそ中間点にあるここエズリンまで、普通に旅をすれば1週間はかかる。

 早馬で最低1日半。マレス候の従士だというこの公用使は、その最低限の日数で駆けてきたに違いなかった。


 そしてこれからおそらく同じだけの時間を、またマレスまで駆けるのだろう。

 命令だからといって、誰にでもできることではない。


 それを当然のようにこなす従士を抱えているということに、レナルトは小さからぬ羨ましさを覚えた。

 執務室から公用使を送り出したレナルトは従僕を呼び、公用使に食事を用意するよう命令したのだった。



※ ※ ※ ※ ※



 その朝、商館を取り仕切る壮年の商人は、手渡された文書を見るなり唸り声を上げた。


「これは……公用使様、どうしても、ということであれば手前どももご協力差し上げますが」


「済まないが、どうしても、だ。

 そこにも書いてあるだろう」


「しかし、公用使様、せめて事情なりと仰っていただかねば」


 記された数は、荷馬車と荷馬を集められるだけ、と言っているに等しいものだった。

 商館そのもので確保している数はそう多いわけではない。

 商館を利用する商人たちが使う分まで押さえなければ所要の数を満たせない。

 商人はそのことを指摘している。


 公用使は小さくため息をついて商人に顔を近づけた。

 商人の目を見据えて声を落とす。


「お役目柄、俺も詳しいことは言えんのだ。

 これから口にするのは独り言だからそう思ってくれ」


「――左様で」


「東部国境が何やらきな臭いらしい。

 となれば、どういうことになるか……」


 慌てたようにもう一度手にした文書に目をやった商人が、ゆっくりと目を上げる。


「渡した文書はあくまでも運搬手段の話だけだ。

 ここを仕切るような商人なら、あとは言わなくてもわかるだろ」


 荷馬車や荷馬は徴用ということになるから、公定の値にしかならない。

 だが、東部国境がきな臭いということ、それが荷馬車や荷馬をかき集めるほどの状況であるということは、兵事に関わる何もかもがこれから不足する、ということでもある。


 あらかじめ不足するものが――つまり高値で売れるものがわかっている商売に損はない。

 理解したらしい商人が、二度三度と頷いた。


「まあ、そういうことだ。頼むよ」


「ええ、無論ご協力いたします。手前どもにお任せください。

 このようなお話であれば、皆も是非にとご協力を申し出ましょう」


 にんまりと笑顔を浮かべた商人が請け合った。

 公用使が口許だけでにやりと笑い、右手を差し出す。

 商人が両手でその手を握った。


「どうぞよしなに、公用使様」


 鷹揚に頷いた公用使が、左手で親しげに商人の肩を叩く。


 では早速、と頷く商人をあとに残して、公用使は商館を出た。

 背後から、使用人を呼ぶ商人の声が聞こえてきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る