第8話 違う世界線のカノジョたち

「違う未来ってどういうこと?」


 杉野さんが首を傾げる。


「簡単に言うと『ifの歴史』でしょうか。例えば、大島さんは未来で起業家の俺と出会うそうですが、実際にここにいる俺は未来では会社員なので矛盾します。なぜ矛盾する二つの未来が存在するのか? 端的に言えば『起業』という選択をしたか否かで世界が分岐し、二つの歴史が作られたからです」


 人は日々数えきれない選択をしている。選択一つで人生は変わり、別々の未来が作られる。

 だから『起業家』と『社畜』という相反する未来が存在するのだ。


「それと同じでスパイの俺、ヒモの俺――」


「滝人くんは充電中なの!」


「……充電中の俺という未来も、ここにいる俺とは違う選択をしたから存在する。世界線、あるいはマルチバースとか言いますが、それぞれが違う未来を主張するこの状況を見るに、俺達は別々の世界線の未来から来たのでしょう」


「すっごーい、滝人、頭いい!」


「あくまで仮説ですが……」


 女の子に褒められると照れる。


「なるほど。違う未来からタイムリープしたのなら滝人さんに職務の記憶が無いのも説明がつくわね」


 神崎さんが冷静に呟く。


「俺は石見滝人ですが、皆さんが知ってる石見滝人じゃないんです。あなた達が慕ってくれる石見滝人じゃ……」


 厄介な話だ。彼女達には胸いっぱいの思い出があっても俺とは何の関係もない。赤の他人との記憶も同然だ。


 だから俺に恋人としての役割を求められても困る。


「ふーん、そっか。滝人は私の知らない人生を送ってきたんだね。でも、そんなの関係ないわ」


「大島さん、関係ない……とは?」


「この時代の滝人に私の記憶がないのは織り込み済み。元々『初めまして』からスタートするつもりだったの。滝人のカノジョになって、青春して、明るい未来を過ごす私の計画に何の支障もないわ」


 大島さんは「ふふん」と微笑んだ。その笑顔の愛くるしさときたら、俺のカノジョになるという一方的な目標も許せてしまう。

 こんなに可愛い女の子から交際を申し込まれたらすぐにOKするのが男心というもの。


「そんな計画、私は認めないわ。滝人さんには任務があるの。そして全てが片付いたら引退して、その……えっと……い、一緒になろうって約束が……」


 ピシャリと遮った神崎さんだが、口調は辿々しくなり、顔が紅潮していった。


「一緒になろう、というのは結婚するという意味ですよね?」


「そ、そのはずよ。そうよね、滝人さん?」


「いや、聞いてるのはこっちなんですけど?」


 だから記憶がないんだって。


「ちょっと、勝手なこと言わないでよ! 滝人と結婚するのは私なの! 司法省からの訴訟が片付いたら結婚することになってるんだから!」


「司法省!?」


 それってアメリカの!?

 そっちの俺、一体何をやらかしたんだよ!?


「勝手はそっちでしょ? 任務が終わったら顔と戸籍を変えて田舎で静かに暮らしたいの。邪魔しないで」


「過去を捨てるんです!?」


 こっちはこっちで闇の世界の話じゃん!


「滝人」「滝人さん」「「どっちと結婚するの!?」」


 またこの二択かよ、と内心叫んだのも束の間、大島さんは俺の腕にしがみつき、神崎さんは反対の手を握ってきた。


 二の腕にスタイル抜群な大島さんの柔らかな胸の感触。

 手のひらには神崎さんの細くてひんやりした指の感触。

 どちらも俺の記憶にはない、女性らしい新鮮な感触。


 そして感触である。


 触れられた瞬間、全身に鳥肌が立った。頭から背中にかけて嫌な汗が湧き出し、心臓は激しく、そして不規則に脈打った。


「か、は……。ふ、二人ともやめて……」


 視界がチカチカ明滅し、立っているのがやっとなくらいに意識が朦朧とする。


 二人はそんな俺の様子に気づいてない。


「二人とも、滝人くんから離れて!」


 唯一気づいてくれた杉野さんが悲鳴を上げるがもう遅い。俺の意識はぷつりと暗転した。

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