第3話 すこし違う20年前
メソメソ泣きながら朝食を摂ったが家を出る頃にはすっかり涙は引っ込んだ。
「新品の制服って動きづらいな。革靴も足に馴染まなくて痛いよ」
「毎日着ていれば嫌でも馴染むさ。さぁ、行こうか」
家を出る頃にはこれが夢じゃないことは確信に変わっていた。
石見滝人は三十五歳。彼女いない歴=年齢の冴えない社畜だった。
公園で見知らぬ男に刺されて命運尽きたと思ったが、奇跡が起きて高校生の頃にタイムリープした。
俺は人生をやり直す機会を与えられたのだ。
清々しい朝の空気を胸いっぱいに吸い込む。
不思議だ。社畜時代は朝の空気にむせ返ってたのにこんなに気持ちが良いなんて。
父の車に乗り込むとまた懐かしさが込み上げてきた。父の趣味は釣りとキャンプで愛車はスバル・フォレスター。この車で色んなところに連れて行ってもらった。
「ふふ、懐かしいな」
「お兄ちゃん、なんで一人で笑ってるの?」
「いや、なんでもない。ところで寧々も入学式に来るのか? 学校は?」
「私は今日まで春休み。
そういえば一回目の入学式にもついてきたっけ。
確かあの時は物珍しそうにキョロキョロして「結構良い雰囲気じゃん」と偉そうな感想を口にしてたな。
そんな過去に想いを馳せているとすぐに蘭陵高校に到着した。特設駐車場と化したグラウンドから眺める校舎は間違いなく俺の母校・私立蘭陵高校のものだ。
二十年ぶりの校舎だが懐かしさはない。それどころかコールタールに似たドロッとした沈殿物が腹の底に溜まったような不快感を思い起こさせる。
そのせいで俺の足はグラウンドに張り付いたみたいに固まってしまった。
「お兄ちゃん、どうしたの?」
「いや、なんでもない」
重くなった足を持ち上げて家族についていく。
高校にいい思い出は全くない。その理由はもちろん痴漢冤罪事件のせいだ。
友達は少しはいた。女の子とも友達になれた。
しかしあの事件のせいで全てが変わってしまった。
友達と思っていた男子は俺を避けたし、女子には蔑まれた。
教師も同じだった。露骨な差別こそなかったが他の生徒の目を気にしてか腫れ物を扱うようなよそよそしい態度をされた。
この学校に居場所なんてなかった。
その俺が奇跡を享受し、まっさらになって戻ってこれたのは神様の同情なのか、それとも皮肉な偶然なのか……。
「なんだって構わないさ。もうあんな目に遭うのは懲り懲りだ」
人生にはとんでもない落とし穴があるものだ。
それにはまればどこまでも落ちて抜け出せなくなる。
このやり直しの人生では落とし穴に注意して歩いて行こう。
*
「お兄ちゃん、あそこでクラスが発表されてるよ」
事務手続きを済ませると寧々が我が事のように弾んだ声で教えてくれた。
「ほら、早く見ようよ!」
「いいよ、一年A組だから」
「なんで知ってるの!?」
なぜと訊かれても歴史だからとしか説明出来ない。もちろん正気を疑われるので言えないが。
とはいえ確認しないのは不自然だ。両親には今朝から心配をかけているのでクラス分けを見にいくフリだけでもしておこう。
「えーっと、一年A組、石見滝人……。あれ、無いぞ?」
見落としたと思ってリストをもう一度確認するがやっぱり俺の名前は無い。
「他のクラスじゃないの?」
「いや、まさかそんな……」
一年生の俺はA組に配属されたはず。だからやり直しの高校生活でもまたA組の教室に通うものだとばかり思っていた。
しかし今見ている名簿には俺の名前が無い。
「お兄ちゃん、こっちこっち! C組にお兄ちゃんの名前があるよ!」
「あ、本当だ……」
どうしたことか、今回の俺はC組にクラス分けされていた。
おかしいな、何もかもが元通りだからクラスもA組と思ったのに。
それとも俺の記憶違いなのかな?
とにかく新しい環境に慣れるよう頑張ろう。
そう自らに言い聞かせ、俺は務めて前向きに振る舞うことにした。
まぁ、クラスなんてどこに入っても同じだし、それで何かが変わることもあるまいよ。
*
「人に流されるのではなく、与えられた選択肢にこだわるのではなく、未来創造の担い手の皆さんはぜひ自ら新しい道を切り開く精神をこの三年間で養ってください。終わりに、新入生諸君の充実した蘭陵生活を願って式辞といたします」
校長先生の長ったらしい――もといありがたい話は俺の耳を素通りしていった。
今、壇上で式辞を述べたのは五十歳くらいのおばさん校長。
「おかしい……。この学校の校長はおっさんだったろ……」
こればかりは忘れるはずがない。痴漢騒動で悪評の立った俺を校長室に呼び出し、遠回しに転校を勧めてきたハゲの顔を。
「それでは一年C組の皆さん、教室に案内しますねー」
と言って先導する女性教師の顔にも見覚えがない。
やはりこれは俺の都合の良い夢なのかと疑ったが、教師や生徒の中には再会するなら死んだ方がマシな顔もいる。皮肉なことに大嫌いな連中のおかげで現実と認識した。
「うーん……どういうことだ?」
「滝人くん、どうしたの?」
移動中の列の隣にいた女の子が怪訝そうに尋ねてきた。
亜麻色の髪を三つ編みにした女の子だ。
一五〇センチ前後の小柄さと丸みのある童顔のせいで高校生には見えない。
中学生……下手すれば小学生にも見える。
まぁ、お胸の方はしっかり育っているようですが……。
って、初対面の女性に失礼だぞ、俺……。
「い、いや……ちょっと考え事してて……」
「そうなんだ。何か困り事?」
「困り事じゃないんだけど……」
俺はモゴモゴと曖昧な返事をする。
俺の知ってる入学式の様子と違うなんて言った日には速攻異常者扱いされる。
不思議ムーブ……いや、この時代なら厨二病と言うのか?
とにかく下手な発言は禁物だ。女子から異常者扱いされたらもう学校には通えない。
「本当? 何か困ってない?」
「いや、大丈夫ですよ。なんでもありません」
怪しまれないようひた隠しにする。
変なやつと思われたかな。それとも気遣いを無碍にした嫌なやつ?
こう言う時、どう対処して良いか分からない。
三十五歳にもなってコミュ力が低いのは、人を避け、女性を避けて生きてきたツケだ。
そんな自分が情けない。
この人生ではなんとかしないとな。
「ふふ……子供の滝人くん、可愛いな……」
「今、何か言いましたか?」
「い、いいえ! 何も言ってませんよ!?」
いや、確かに俺の名前が聞こえた気がする。
というかさっきからどうして俺の名前を呼んでいるんだろう。彼女は同じクラスだが自己紹介はまだのはず。それにこんなに可愛い女の子、学年にいたっけ? 目立つ髪の色だから忘れそうにないけど……。
「あの、俺たち以前どこかで会いましたっけ?」
「ほえ?」
好奇心に負けて訊いてしまい、すぐに後悔した。
しまった……。これではまるっきりナンパ男じゃないか。彼女も困っているし、完全にやらかした。
前言撤回、聞かなかったことにしてくれと頼もうとするが、それより早く彼女はこう答えた。
「うん、会ってるよ」
「え……」
まさかの知り合いだった。
だとすると一体誰だ?
「ねぇ、滝人くん。この後解散になったら校舎裏に来て。大事な話があるの」
口元で両手を合わせて恥じらう姿は小動物を連想させる。
紅潮した頬、とろんとした上目遣いの視線は恋する乙女。
不意にそんな顔をされてドキリとしてしまった。
いや、それよりも校舎裏で大事な話だって?
それっていわゆる告白イベント?
まさかのモテ期到来?
何もしてないの!?
しかしこんな出来事、今まで一度も無かった。冤罪事件の後はもちろん、それ以前もだ。
やはり何かがおかしい……。
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