第4話

 予想を裏切らない、すごい力だった。

「む、むむむー、むむ、むー」

 いきなりの強引なキスに慌てて、突っぱねようとしたけどビクともしない。無理矢理ねじ込まれた肉厚の舌が、オレの口中を遠慮なく舐め回す。

 ようやく解放された時は、酸欠で目が回るかと思った。

 ついでのようにちゅっと頬にもキスされたけど、抵抗する気力もない。


 倒れそうになりながら、焦点の定まらない目を枢機卿に向けると、そっと視線を逸らされた。

「主よ、祝福をこの2人に与えたまえ」

 胸元で手を組んで祈ってくれたけど、何故か見放されたような気になった。


 呆然としたまま式が終わり、ガシッと左ひじを掴まれて、ビクッとする。

「さあ、ディード様」

 オレを促す、響きのいい低い声。

 ひじを曲げ、エスコートの形を取ってギクシャクと歩き出すと、半歩遅れて真っ白なウェディングドレスの「妻」が続いた。


 まっすぐ歩けているのか、自分でも分からないヴァージンロード。フラワーシャワーを浴びながら、入って来た扉を抜けて大聖堂を後にする。

 結婚って、こういうものなのかな?

 幸せに……なれるんだろうか?

 しばらくぼうっと、現実逃避してたようだ。ふと気付くとオレたちは国教会の中庭にいて、真っ白なポーチの上に立たされていた。


「では、花婿であらせられる王配殿下から、愛のガータートスを……」

 よく響く声でそう言ったのは、誰だろう? もう確かめる余裕もない。

「ガ……っ」

 ガータートス、すっかり忘れてた。

 普通は花嫁のブーケトスなんだろうけど、この国では女王の結婚式の場合、花婿によるガータートスが定番らしい。女王と結婚できる幸せに、あやかろうっていう意味らしい。


 それを聞いた時は成程って感心したけど、今はちょっとどうだろうって思う。

 オレにあやかりたい人、いるのかな?


 国にいる間に、ガータートスの作法は勿論勉強して来た。

 ウェディングドレスのスカートの下に潜り込み、花嫁の太ももからガーターベルトを取って、後ろを向いてそれを投げる。

 その際、手は使っちゃいけないらしい。口でくわえて脱がすんだとか。

 ラン姫の正体を知る前までのオレは、それを聞いて大いに照れたものだった。交換した肖像画の美女を見て、この人のスカートの中に……って考えるだけで、ドキドキした。

 楽しみにしてなかったって言ったら、ウソになる。

 けど――現実は、残酷だ。


「ふふふ、恥ずかしゅうございますわ」

 低い声でこそりと笑われ、純白の扇越しに流し目を向けられて、逃げようがないことを悟る。

 恥ずかしいって言ってるけど、それ、恥らってる顔じゃないよね!?


 ドレスの足元に片ヒザを突くと、「わーっ」と歓声が沸き起こった。鳴り響く拍手にあおられ、おずおずとドレスに手を掛ける。

 豪華なレースをふんだんに使った、純白のドレス。

 たくさんのひだをかき分け、ドレスのスソをつまみ上げて、えいっと顔を潜らせると。目の前にどーんと現れたのは、新婦・ア=ラン女王の長い足。

 白くて大きなハイヒールの上に、見事なすね毛の群生が見えて、ふうっと意識が遠くなる。


 すね毛って――何だろう? 処理しておこうとか、そういう気遣いはなかったのかな? 触りたくないっ。

 でも幸か不幸か、大きく膨らんだドレス越しに光が透けてて、真っ暗でもないから、毛だらけの足をまさぐらなくて済みそう。手は使っちゃダメなんだよね?

 太ももからガーターベルトを抜き取るべく、そろそろと視線を上に向けると、うっかり股間を見上げてしまって、「うぎゃー!」ってなった。

 白のレースの下着から、ナニかが透けてるっぽいのが、見たくもないのに目に入る。

 ひいっ、って目を背けると、誘うようにちらっと腰を揺らされた。

 お願いだから、見せつけるのやめて欲しい。すごい大きい。かも知れない。いつか貰った手紙と同じ、バラの香水がふわっと香る。


 びくびくしながら太ももに顔を寄せ、ガーターベルトをえいっとくわえる。

 目を閉じても、ナニかの気配をむんむんと感じて、どうすればいいのか分かんなかった。逃げたい。

 現実を直視できない。

 息もできない。


 ようやく脱がせ終わったブツを、口にくわえたままドレスから抜け出すと、また「わーっ」と歓声が上がり、拍手が響いた。

 明るいとこで見ると、ガーターベルトは白いレースに水色のリボンの、可愛らしいものだった。こんなとこにサムシングブルーとか、ちっとも嬉しくないんだけど気のせい?

 後ろを向き、ガーターを投げた時にはまた「わーっ」と声が上がったけど、どよめきと悲鳴も同時に上がった。

 受け取ったのは、オレの国に来てた外交大使。気のせいか笑顔が曇ってたけど、気の毒だとは思えなかった。大いにあやかって欲しいな。


 にへっと笑いかけると、再び逸らされる大使の視線。

 大使以外はみんな笑顔だ。いや一応、大使も笑顔だ。オレ以上に引きつってはいるけど、笑顔には違いない。

「あら、いやですわ」

 扇の陰で、女王が笑う。いやとか言いつつ、ちっとも嫌がってなさそうな声。

 すっごく楽しそうな女王が信じられない。女王だけじゃなくて、なんでみんなも楽しそうなのか、意味が分かんなかった。


 分かったのは、パレードの馬車に向かう寸前だ。

「殿下、こちらをお使いください」

 従者に濡れたお絞りを手渡され、手鏡を見せられて、思わず「うわっ」と目を見張る。鏡に映るオレの顔には、唇と頬とにべったりと赤いキスマークが付けられてた。

 誰が犯人かなんて、考えるまでもない。


「ちょっ、ひどい……」

 もっと早く教えて欲しかった。

 泣きたい。

 逃げたい。

 お絞りで念入りに顔を拭き、鏡の中の眉の下がった、情けないオレをじっと見る。


「あら、お似合いでしたのに」

 馬車の隣に座った時、女王にくくっと笑いながら言われて、ぞくっとした。

「う、……」

 嬉しくないって言い返したかったけど、それより先にピシィッとムチの音が鳴って、馬車が軽やかに走り出す。


 槍を持つ近衛兵がずらっと2列に並ぶ間を、手を振りながら通過した。

 近衛兵たちの後ろから、王都の民衆が「わあっ」とか「きゃーっ」とか叫びながら、馬車上のオレたちに手を振った。

 みんな笑顔なのは嬉しいけど、「キレイー!」って叫びは納得できない。

 っていうか、なんでア=ラン女王を見ても、誰も「男だ」なんてこと言わないんだろう?

 目を逸らされ続けるのもショックだったけど、目を逸らされないのもちょっとショックだ。生温く応援されてるように感じて、それを自覚するのも嫌だった。

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