ep.2 普遍的チラリズム

 私立洛陽しりつらくよう学園、校舎二階。


 「2-B」と書かれた教室の扉を開けた万里に、二種類の視線が向けられた。


 一つは、女子からの恍惚の眼差し。


 もう一つは、男子からの軽蔑の眼差し。


 「う……」


 苦虫を嚙み潰した心地になる万里。進級して二カ月経っても、このまったく違う色の視線たちには慣れない。


 『ちぇっ、相沢の野郎、今日も澄ました顔しやがって』


 『神様は意地悪だよな。静かなブサイクは陰キャ扱いで、静かなイケメンは王子様だ』


 男子一同のねたそねひがみを背中に受け、自分の席に座ろうとする万里。その時、「あ、あの…」と控えめな声がした。


 「なにか用か、星ノ原?」


 顔を上げると、クラスメイトの星ノほしのはら菜摘なつみが立っていた。


 さらさらの髪と、真っ白な肌。頬を赤くして、体の前で組んだ手をもじもじさせている。


 「お、おはよう相沢くん…」


 「おはよう、星ノ原」


 「……」


 「……」


 気まずい沈黙。誤魔化すように、万里は口を開いた。


 「あれ?なにか俺に話があるとか、そういうわけじゃないのか?」


 「あ!えっと…その、きょ、今日もいい天気だね…」


 どうやら話はないようだ。困惑する万里を見て、菜摘は手をあわあわさせた。


 「ご、ごめん相沢くん!は、話はもういいから、それじゃっ!」


 びゅん!と風を起こして、黒板の前に立つ女子のグループに帰った菜摘。


 「よく頑張ったね」「菜摘ちゃん、えらいえらい」と、みんなに優しく頭を撫でられている。


 『さすがは王子プリンスね』『鉄壁だわ』と、心の声もちらほら聞こえた。


 「いったい俺は、どうすりゃいいんだよぉ…」


 机の上で、万里は溜息を吐き出した。




 中学二年の冬、万里は突然、他人の心が読めるようになった。


 最初に気付いたのは、パチンコ屋の前でおじさんとすれ違ったとき。


 『くそむかつくな、ぶっ飛ばしてやろうか』


 「!?」


 突如耳に入った悪態に、万里はビクッ!と肩を震わせた。おじさんは、何事もなかったように歩いていった。


 …それは、ほんの五分ほど前に、パチスロで外しに外したおじさんの心の声であった。



 それから一気に世界が騒がしくなった。


 誰かと喋っていると、必ずと言っていいほど心の声が漏れ聞こえた。口に出る言葉、出ない言葉。情報量が増え、聖徳太子でもない万里は他人と話すたびに疲弊していった。


 しかし、最も万里の神経をすり減らせたのは、別の理由だった。



 「本音」と「建前」。


 これこそが、万里を苦しめた。


 人間は、嘘を吐かずにはいられない生き物だ。他人に対しても、自分に対しても、どこかで必ず嘘を吐く。


 しかし、それは必ずしも悪いことではない。


 見たくないものには目を閉じ、聞きたくないものには耳を塞ぐ。臭い物には蓋をすることで、自分自身を守って、安心して日々を送るのだ。


 しかしもしも、本音しか聞こえない世界があったら―


 万里にとっての世界は、そういう世界だ。



 いつしか人付き合いに疲れた万里は、自ら孤独を求めるようになった。


 高校に進学してからは、一切友達を作らなかった。話しかけられれば、最低限の言葉は返す。だけど、それ以上は踏み込まない。


 そんな孤独な高校生活を続けていたら、いつしか男子には「クールぶってる」とけなされるようになった。一方女子には、「孤高のイケメン」とか「誰にもなびかない姿にシビれる」とか「あの澄ました顔を私の身体で欲望に歪ませたい」と囁かれるようになった。マジ怖え…。



 二年に上がってからは、『深窓の王子プリンス』とかいう変なあだ名も付けられた。たまに男子がからかって、「よう、プリンス(笑)」と言ってくる時、万里は張り付けたような笑みを浮かべるしかなかった。



 「俺だって、友達がほしい…彼女だってほしい…」


 誰にも聞こえないくらいの声量で、呟く万里。


 朝のホームルーム。教卓では担任の南條なんじょう教諭が、何やら話している。


 「みんなに伝えるのを忘れていたんだが、今日うちのクラスに転校生が来る」


 長い黒髪をなびかせて、南條教諭が言った。教室がざわつき始める。


 「こんな時期に転校生?」


 「先生、もちろん女の子ですよね!?」


 「ねえ、都会から来た子だったらどうする?」



 色めき立つ生徒たちとは対照的に、万里は無関心に頬杖をついていた。


 誰が来ようが、俺には関係ない。どうせ仲良くすることは不可能だ。



 「喜べ野郎ども、転校生は女の子だ!ときめけ乙女ども、転校生はイギリス帰りだ!」


 南條教諭がなぜか自慢げな表情で言い放った。次の瞬間、生徒たちの興奮は最高潮に達した。


 「いよっしゃー!高二の六月とかいう超微妙な時期の転校生しかも女子とか、ラノベでしか見ない展開来たー!これはもう美少女確定演出だぜ!」


 「イイイ、イギリスー!?どうしよう今度は本物のプリンセスの登場なんて!」


 もはや動物園であった。


 「落ち着けおまえらー!」


 生徒たちの興奮を煽った張本人、南條教諭が手をパシパシと叩いた。


 サッと教室に静けさが戻った。彼女を怒らせると非常に面倒なことは誰もが心得ていたのだ。


 「それじゃあ乃木崎さん、入ってくれ」


 南條教諭が、教室前方の扉に向かって言った。


 あ、イギリス人じゃないんだ―。


 意外に思った万里は、顔を上げた。


 からからから、と扉が横に開く。


 教室中の視線が、一点に集まる。


 かつ、かつ。


 どこか優雅な足音を響かせて、転校生は教卓の前に立った。


 ウェーブがかった髪は、淡い金。ぎりぎり肩に触れない程度の長さは、セミショートといったところか。


 人形のように整った目鼻立ち。背丈は小さいが、すらっとしていてスタイルはいい。


 アメジストのような美しい輝きを放つパープルの瞳をぱっちりと開いて、転校生は語り出した。


 「イギリスから来ました、乃木崎蘭子のぎさきらんこと申します。これからよろしくお願いします」


 教室に、一輪の花が咲いた―。


 そんな幻が見えるくらい、美しい、可憐な少女だった。


 「おいお前ら。なに見惚れてんだ、情けない」


 南條教諭が苦笑する。それもそうだろう。さっきまでの喧騒はどこへやら、生徒たちはみな、固まったように蘭子を見つめていたのだ。


 そしてそれは、万里も同じだった。彼もまた、蘭子に目を奪われていた。


 しかし、万里は蘭子の容姿に見惚れているわけではなかった。


 「なんでだ…?こんな子、はじめてだ…」


 万里は呟く。その時、蘭子の綺麗な瞳と目が合って、肩をビクッとさせた。


 そんな万里に、蘭子は優しく微笑んでみせた。


 万里は震えた。そして、心の中で呟いた。



 この子の心が、まったく読めない―。



 そして、こうも呟いた。



 この子となら、心が見えないこの子となら、友達になれるんじゃないか―!?




 つづく。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る