東方の国の美女

「イリア…我が愛しの姫」


「歌い出すのなら明るいときにしていただけませんか?

私たち仮眠が必要なんですよ」


「ああっと、すまない

この美しい月明かりの下では

ぼくの隣に美女がいないのは不自然だと思うと、つい頭にイリアが浮かんでね」


お付きの家臣たちは呆れ気味に愛想笑いをした


東の国の王子、クラーク王国の舞踏会の日付けが被っていた王子である


西の国までの地図を手に、北上して

野獣姫の討伐を命じられ今任務を果たすべく

王子自ら討伐の旅に出ることを許可されたのだ


ローガンが旅先で見かけたことのある人物で

いけ好かない性格の美男子だと評された彼は

イリアの元フィアンセだったが

イリアが魔女の呪いの毒薬により

満月の夜、狼少女の姿になる呪いにかけられ

その似顔絵を王子の手により描かれ記事にされて、彼女は国外へと追放されたと思われていた


だが、逃げ延びた先の森の奥に隠れ住んでいたが、どうしても見てみたかったクラーク王国の舞踏会のあの夜ジェレミーと出会ったのだ


ジェレミーは王子ローガンの魔術で創り出された代役王子で

ローガンの魔法がなければ

今ここにいなかった


「イリア…!」


西の国のお菓子の家のまえまで

馬で走ってきたジェレミーを止めたのは

イリアの父親だった


木に縄で縛られ、何発か殴られた跡がある彼は

イリアが逃げた先をジェレミーに伝えた

荒野にある大木のところだと

イリアの父親を縄から解放したジェレミーが

そこにたどり着いたときには

イリアは大木の根本にもたれ掛かるようにして倒れていた


足には銃弾で撃たれた跡があり

血が流れ出ていた


「イリア!ぼくだよ

…わかる?」


「ジェレミー…」


今夜は満月になる日

力尽きているイリアにとっても

その日は自身の体内で

どんな変化をもたらすのか承知していた

月の光を浴びると狼の血が騒ぎ

日に日にその力は強まっていった

このままでは、自分はひとを襲うかもしれない

そう、呪いをとくには真実の愛でも信用できず

父親は解毒剤の作用のある薬を開発する研究をしていたのだ


だが、これ以上何を期待して

待てばいいのだろう

目の前に駆けつけたジェレミーは

応急処置をしてくれてはいるが

今宵は満月…


イリアの心は絶望に魅入られていく


「ねえ、イリア…疲れたよね

ぼくもだよ」


イリアは瞳も口も開かずにただ小さく頷いた


崖の上に立つ大木のそばで

後をつけてきた何者かが彼らに

口笛を吹いた


「イリア」


東の国の王子は野獣姫と呼ばれていたイリアと再会を果たした

ジェレミーは眼中にないのか

彼は両手をオーバーリアクションに広げると

目を閉じて片方の手を胸に当て

彼女を讃える歌を歌い始めた


「イリア…ああ、我が愛しの姫」


「今歌うなよ

そんな場面じゃないだろ」


「イリア…聞こえているかい」


すると、東の国の王子の歌声が耳に届いた

イリアに反応があった


「え」


ぴくりと眉が上がり、満月の光を浴びるとその瞳は強烈な刺激を受けるのだが…


「ダメだ、目を開けちゃ…」


東の国の王子が視界に映り込むや否や

満月の光を目にしたイリアは

両目を押さえ魂を震わせるような

痛ましい叫び声をあげる


「これはこれは

心まで野獣になってしまったのだな

どうやらぼくの歌は彼女には届かなかったか」


かつて恋人だった王子の声に気が動転したイリアは崖の方向へ足を進めた


「ああ!

そっちいっちゃだめだ!」


後を追うジェレミーが止めに入ろうとした瞬間

崖から落ちそうになるところを

間一髪のタイミングでジェレミーは

イリアの片腕を掴み

なんとか崖の上から転落するという事態は免れた

だが、弱って死のうとしたイリアを早く助けなければふたりの命はない


後ろから東の国の王子がそのさまを見ていたが、剣を構える音は聞こえた


そこへ


「ん、あれはなんだ?」


魔法の絨毯に乗ったもうひとりの王子が

崖の今にも落ちそうになっている緊急事態に

空飛ぶアイテムに乗って駆けつけたようだ


「おいおい、なんだよ

ひでえ有り様だな」


「くっ…」


「ジェレミー、手を離せ

姫はおれが受け止める」


気を失っているのか、ジェレミーから支えられぶら下がるイリアに反応はない


「ジェレミー!

おれを見ろ!

おれならその女支えられるっての!」


「わかった…」


ジェレミーがイリアを手放すと

下にいるローガンが彼女を力強く抱きかかえる

その衝撃で魔法の絨毯が揺れたが

彼は両足でしっかりと立ち上がり

イリアの無事を確認し終えると

彼女とともに魔法の絨毯で飛び立った


「しばらく戦いはまかせるぜ」


「今太った君がこなかったか?」


「きたよ、イリアの命を救ったんだ

…君からね」


東の国の王子はただの美形と誉れ高き存在ではない、かつてイリアが愛したひとでもある

それでも今自分にできることをジェレミーは

思い出したように決意を新たにする


「王子さま、ぼくと戦う覚悟を決めろ」


「そうだな、イリアを他のやつの手に渡すまえに、ぼくも受けて立とうじゃないか」


剣の先を王子へ向け、月光が差し込める中

背を向けていたジェレミーはこちらへ振り返る

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