プリンセスのキス

少しのあいだ手を取り合っていたふたりだったが

やがて馬車から出てきた王子のひと声で

ミクチェルは馬車の中へと

連れ戻される


ジェレミーはそのまま街の角を曲がって

姿を消してしまったが

彼は確かにミクチェルに約束をしたのだ


ぼくを信じて、と…



果たして、あの少年がいった言葉は

実現可能なのだろうか

確かに偽者の王子と教会で

生涯を誓い合う結婚式が開催されるのは

避けがたい難問だが

ミクチェル本人は望んでもいない相手との

結婚をするはめになるだろう


魔法使いの少女とは

二度と会うこともないのか…


馬車の中でそういった考えを巡らせながら

ミクチェルは窓の外の流れゆく景色を

物憂げな表情でぼんやりと眺めていた

気まずい沈黙にしびれを切らしたのか

ローガンがからかいの言葉をかける


「どうした?

叫びすぎて声が出なくなったのか」


「あなたのこと考えてたのよ」


「目の前にいるのにか?」


「そう、あなたとのこれからのこと」


そういうと視線をこちらへ向けたミクチェルは

座席を立ちローガンの隣へ移動すると

彼を横目で見ながら

飾らない調子で話しかけた


「ねえ、あたし料理は得意よ

デザートにりんごなんてどう?

あたしが毎晩食べさせてあげる」


対するローガンは話をきいていないのか

紅茶色の紙袋から洋梨をひとつ取り出して

かぶりついていた


すると、ミクチェルは髪をまとめていた

ブローチを外した

その瞬間、ふわりとフローラルな香りが広がり

さらに指にからませていたブラウスの

リボンの紐をするすると緩めると

ふっくらとした胸元の膨らみが増した

あどけない顔立ちにそぐわないほど

アンバランスな少女の肢体が

洋梨を食べていた王子の目線を

奪ったことに勘付きはしたが

年相応の色気をかもし出す

豊かな胸元をはだけさせた彼女は

計算の上で彼と目を合わせ

左頬にそっと手を触れる


「あら、食べかすついてるわよ

とってあげるわ、じっとしてて」


甘い口調で耳元で言葉に出される

誘うような鼻にかかった魅惑的な少女の声

言葉を失った感覚にローガン自身も

困惑している様子だったが

指先から触れられた温かい手のひらを

払いのけられずにいた

ちょうどピエロの涙のメイクを描いていた左頬…


だが、馬車が急停車してバランスを崩したさいにふたりの唇は重ね合わせられ

王子の手から食べかけの洋梨が転がり落ちた


決して自ら望んだ事柄ではなかったのだろう

彼女の表情から戸惑いと怯えに

瞳がにじんでいたのが見て取れる

だが、しばらくそばから離れてほしくない

そんな気持ちにさせられたローガンは

顔を近づけて自身に寄り添う

彼女に肩を預けた


薄いミルク色のカーテンにさえぎられた

外界から見ることが叶わない秘密の空間

揺らぐ視線が交差する中

互いの指先が絡み合い

年若い男女を乗せた馬車は

ゆっくりと城へ向かっていく


そして、教会の文字盤の長身と短針が

重なり合う瞬間から3時間後の

午後3時の鐘が鳴り始める


恋人同士ならそれはさぞ

ロマンチックな響きに

聞こえてきたことであろう


許されるならもうしばらく

こうしていたいひととき


だが、彼女は知っていた

鳴り響く鐘のは魔法使いがかけた

魔法が解けるタイムリミットを告げるおと

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る