壊れたハートに刺さる剣

「結婚おめでとう、ぼく」


静寂が占める森の果てに輝く

月下のバルコニー

あらかじめベイカーさんに

セッティングさせておいた

おしゃれなテラス風の木製の椅子に腰を下ろして

今やすっかり溶けきりスープと化した

元バニラアイスに

例の魔女のりんごを添えて

いつの間にか正装に着替えていたジェレミーはグラスに注がれたシャンパンに映り込む

自身の瞳に乾杯した


「結婚、してるの」


突如見知らぬ少女の声がしたので

慌てたジェレミーはシャンパングラスを

落としそうになった

他に誰もいないと確認したはず

そして、これは夢の中の出来事ではない

警戒して辺りを見渡すジェレミーは

ひとまず先に声の主に返答した


「まあね、リハーサル中なんだ」


「あなた王子さまなのでしょう」


「ぼくのこと見ただけで

そういってくれるのは嬉しいけど」


姿の見えない異性との初対面の

声色のみのやり取りに

自己愛の王子ジェレミーは

困ったような笑みを作った


「舞踏会、こんな姿じゃいけなくて」


その言葉をきいたジェレミーは

はっとした表情へと変わり

バルコニーの下にいるであろう少女の元へ

かけつけるべく

グラスを置いたままにして

上着を羽織る


「すぐいくから、待ってて」


声色に哀しみの感情を秘めた少女から

ひとりで結婚式のリハーサルを行っていた

今の自分が必要とされているような気がしたからだ


小走りで駆けつけたジェレミーが姿を見せると、少女は恐る恐る口を開いた


「わたしの顔を見ても怖がらない?

悲鳴をあげたりしない?」


「…君は舞踏会にこられないかと思ってた」


他者に顔を見られるのをよほど恐れているのか

フードを顔が隠れるほど

すっぽり覆い被さった状態の彼女のそばに

歩み寄るジェレミーは

正装姿のままハグをした


「もうわたしから逃げないでほしいの」


フードを被っていた少女は

ジェレミーより背が高く

すらりとした女性的な体型だったが

顔は覆い被さるかのようなフードの影で

口元しかわからない

おそらく彼女こそクラークの王子の

時期フィアンセ候補と記事にされて

東の国にいられなくなった

野獣姫と呼ばれていた少女なのだろう


「わかった、誓うよ

ぼくの結婚指輪を返してくれたらね」


その言葉をきいた姫は

運命のひととようやく巡り合えた気分には

到底なれなかった

彼が手にしていた結婚指輪は

自分の指にはめられてしまったが

こうなってしまった彼もまた

恋に破れた苦しみを知ってしまったのだろう


もしも、心が砕け散った感覚を知っている者同士

引き合わされてしまったならば

心の痛みを分かち合える絆に

変えられるだろうか…


「ここにいたくないんでしょう

ならわたしと一緒にきて

…強くなりたいでしょ」


「ずっとまえからそう望んでた」


誓うように口を開いた

ジェレミーの瞳の奥が妖しく光る

スマートな王子である彼に求められたものは

真実の愛ではなく

自分に足りない成分のひとつである

大いなる強さだった

愛だけではこの先ガラスの靴を履いた姫君同様どうにもならないのだ


東の空が明るみに染まるまで

ふたりの男女を乗せた馬車は走り続け

繋がれたその手は離されることはなかった


その一部始終を見ていたものは

誰もいなかった


自国で魔女の策略にはめられて

東の国の王子から野獣姫と罵られた

呪いにかけられた少女を除いて…







クラーク王国の北西に位置する深い森の彼方に

地の果てと呼ばれる荒野が広がっていた


崖の近くに大木が佇み

辺りは荒廃した砂地で草木は生えていない


姫とジェレミーが馬車から降りた場所は

その荒野に入る手前の小さな公園のような庭で

ジェレミーはお菓子の家風のインテリアをした建物のまえに案内された


「疲れたでしょう

今日はこの家の部屋で休んで」


「ありがとう、ぼくの愛しいひと

ぼくのこと信じてくれて」


「おやすみなさい」


いったい誰が彼女を野獣姫と称した記事を

世界中へと発行したのだろう

今宵は満月

野獣というよりは狼少女に近い風貌なのだが

彼女は王家の血に相応しくないため

闇に葬られてしまったのだろう




呪われた姫が向かった先は

お菓子の家の書斎だった

そこでチョッキを着た研究者のような老人は

鼻にかけた丸い眼鏡を外し

心底驚いた表情を見せた


「王子をさらってきた?」


彼女の父親である初老の男性は

開いていた本を閉じて

椅子から立ち上がり彼女の両腕にしがみつく


「おまえ、どうしてまたそんな…」


「こうするしかなかったの

彼はお城にいたとき助けを求めてたわ

わたしにはあのひとしかいないのかもしれない

でも彼はおそらく愛を知らないひと

それでもいいの

呪いをといてくれるくらい愛してくれるひとにそばにいてほしかった…」


そういいながら切実な色が滲む

イリアの瞳から涙が溢れた


「イリア…

おまえがどんな姿になっても

おまえはわたしのたったひとりの娘だ…」


「お父さま…」






青い瞳のイリア

かつて東方の国で国一番の美女と評判の

エキゾチックな長い黒髪にやや吊り目がちの

澄んだ海のような瞳をした印象を受ける娘がいた

東の国の王子の心をその美しさで

射止めた彼女だったが

ここしばらく彼女の情報は

国中には知られておらず

王子のまえからも姿を消して

行方不明扱いだった


涙を拭いたイリアはひとり

鏡に映る自身の容貌を悲しげに

見つめていた


真実を映すといわれている鏡の中に

存在している少女の素顔は

長い黒い髪に見目麗しい美貌で知られていた

東方の国の美女そのひとだった

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