道化のプリンス
13回目の鐘が鳴る
満月の夜
怖い夢
ひとりふたり
また消える影
最後の獲物が
捕まるぞ
もうすぐピエロに
食べられる
そのピエロが口ずさむ歌声に
言いしれぬ気味の悪さと
得体の知れないものへの
恐怖にかられながらも
わずかに震える自分の足は一歩一歩
招かれざる客人の辿る先へ向かうことを
止めないのだ
あのピエロの正体を知りたくない
今すぐ自室へ戻って部屋の鍵を閉めて
ベッドの中へ潜り込み
夢の世界へ逃避したかった
心ではそう強く願っているはずなのに
どうしてぼくはこんなにも彼に
引き付けられているのだろう
しばらくすると、地下へ下る階段を降りた
突き当たりの廊下の地下室への扉のまえで
待機していた僧侶らしき者が
囁くような声で
訪問者であるピエロに話しかけた
「時の鐘は法則を破り
道化が歌をうたう
まったく今宵は奇妙なことばかり
起こりますな」
「誰もきいちゃいねぇさ」
今言葉を発したのが
ピエロで間違いないだろう
声色から察するに
まだ年若い少年期に差し掛かった
クリアな美声の持ち主だった
ピエロは僧侶とともに
灯火が差す開かれた扉の奥へ入った
ジェレミーは気配を殺してそのあとをつけ
扉のまえで足を止めた
地下室の中から声が聞こえてくる
「よくぞ無事で戻ってきたな
13回鐘を鳴らしたのはおまえだろう
我が息子よ
わたしにその顔を見せておくれ」
「ああ、それが合図だっていったろ
父上」
王の提案に応じるピエロの少年は
王を父上と呼び
それまで顔に覆い被さる白い肌と
赤い丸い鼻が特徴的なピエロの仮面を
脱ぎ捨てた
太陽と月を
先の別れた帽子のアクセサリーに付けていた
宮廷道化師の少年の素顔が明らかになる
少しぱさついた髪の先に
やや丸みを帯びた
目尻の先がやや長く垂れ下がり気味の目元に
口の端にやや吊り上げた笑みをたたえる少年
ジェレミーに似た黒い穏やかな瞳をしていたが
強い野心を秘めた輝きを
その双ほうに宿しており
片方の頬には道化師の哀しみを封じる
灰色の涙のメイクが
背格好はジェレミーとそう変わらない
ちょうど同じ歳のころだろうか
王は彼をして息子と呼んだ
ということはここにいる自分は…
「きいたぜ、ジェレミー王子の失態
かわいそうに
もう結婚する相手が他にいねえんじゃ
この国は王家もろとも滅びるだろうよ」
「言葉を
自分の役柄に溺れすぎるな
おまえとて例外ではないのだぞ」
「魔女のりんごはどうした?
あれ王家に送られてきていなかったのか?
王子を闇に
つかつかと先の尖った靴を歩ませ
自分の食事の席へと
テーブルにつくと
椅子に腰を下ろして足を組むと
両手に白い手袋を慣れた手つきでさっと外し
銀のナイフとフォークを手に
メインディッシュであろうステーキの肉に
銀の刃を食い込ませた
「哀れな野獣の姫君は
世界中の王子さまから逃げられ
誰にも愛されず
男への憎しみを募らせ
ひとり山奥で年老いていった
やがて長く伸びて先の尖った爪を
凶器に変えた
どんな男でも一撃でやられるさ
急所の目を貫けばな」
魔女の哀しき逸話を淡々と語り終えた少年は
切り終えた肉からナイフを離し
フォークをくるりと回転させて持ち直した
銀のフォークの隙間から
射るような瞳を覗かせる
もうひとりの王子さま
その話を黙ってきいていたジェレミーは
古来より彼を見てはならざるものだという存在だと
頭の中では認識していた
だが、僅かだけでも姿を見てみたいという
好奇心で道化の王子の姿を
その目にしようと
扉の隙間から覗き込んだそのとき
ジェレミーの目は驚愕で見開かれた
食事にありつくピエロの王子は
ジェレミーをまるで
そのまま太らせたような容貌と
カラフルな道化の衣装に身を包んでいたのだ
瞬時に瞳を反らし
ドアを背にしたころには
もうあの男は自分ではないと
頭でわかっていた
息を
ようやく正気を失わずにいられたジェレミーは
その場を立ち去ろうとしたが
ふいに何者かに口元を
地下室の扉のまえから連れ去られた
ジェレミーを地下室から遠ざけた
人物の正体は
ジェレミーの専属メイドのベイカーさんだった
「今日この日のことは全てお忘れください
王子さま」
「ベイカーさん?」
ベイカーさんはとにかく静かにするよう
動揺する彼の肩に両手をのせ
必死になだめながら
真剣に諭すようにいった
「どうしてなんだよ
なんであのピエロがぼくの」
「でなければ…
あなたの命が危険に晒されます、今夜」
「え…」
言葉にできたのはそれだけだった
13回鳴らされた鐘の音は
ぼくを死地へと誘うサインだったのだろうか
ゆっくりと階段を登るベイカーさんに
抱きかかえられながら
ジェレミーは
考えを巡らせていたが
そろそろ自身の心が持ちこたえられそうにない
ふいに力尽きたかのように垂れ下がっていた
ジェレミーの片腕がぴくりと反応し
やがて指先に力が込められ
固い決意とともに
拳が作られる
このまま今夜ひとりきりで
殺されたりしない…!
扉の外にジェレミーがいた事実は
知られていなかったのだろう
地下室では
それぞれの議論が終わろうとしていた
「さて、おまえが帰ってきたということは
この国にも危機が迫ってきているな
長旅ご苦労だったな
褒美をやろう」
ありったけのご馳走を平らげた道化の少年に
母親である王妃から
差し入れされた
「よし
眠れる王子さまにお届けしないとな
賭けに勝ったぜ」
「待て、今日は使うな」
王は彼に手のひらで静止すると
部屋をあとにした
ローガンはつまらなそうに口を尖らせ
りんごを片手に上へ
放り投げてはキャッチした
すると、それまでひとことも口を開かなかった王妃が彼に忠告した
「わたしもそろそろ失礼するわね
あなたも今日は姿を見られないように
地下牢でお休みなさい」
「はあ!?
おれの計算だと魔女は今晩仕掛けてくるぞ
あの鐘の音を聞いていたジェレミー王子、がっ…」
突如として喉元を押さえ苦しみ出したローガンに
王妃は顔色ひとつ変えず、冷たく見つめ返す
「な…?
はは…う…え…」
どさりと音を立てて倒れ込む
旅のピエロの少年は
それでも気力を振り絞って
母親を見上げようとしたが
それも叶わず
彼が手遊びしていたりんごは
王妃の足元へと転がった
真っ直ぐな瞳は瞼で覆われていく
旅の道化の少年の素顔を見た者は
いったいどれほど存在したのだろう
しばらくすると、王妃は魔女のりんごを手に取りテーブルの上に乗せると
床に伏せた息子のそばで膝をつき
黒い髪を片耳にかけると真実を口にした
「ごめんなさいね
あなたの料理に魔女のりんごの皮を
混ぜていたの」
王妃は息子の手の脈を測り
意識が完全に失くなったことを確認し終えると
愛しげに倒れ込む我が子を抱き寄せ
片頬にメイクで描かれた灰色の涙に向けて
指先でキスを送った
「すべてあなたのためにしたことなのよ
わたしの
…ローガン」
死んだかと思われた王の息子は
地下牢の中で静かに横たわせられた
ローガンを運び終えた王妃と
僧侶は会話を交える
「しょせん、15歳の考え付きそうな
浅知恵ですね
年老いた女の卑劣さを甘く見すぎました
彼は勇敢ですが
賭けと
あまり大切になさらない」
「魔女のりんごは皮に塗られた毒薬だけど
このこは数時間後、朝には目を覚ますわ
わたしが夜寝るまえに試したもの
このことは誰にも話しちゃだめよ
もちろんわたしの息子にも」
「わかりました
わたしも死にたくはありませんので」
オレンジ色のうっすらとした灯火が照らし出す
冷えた地下牢のまえで
ふたりはゆっくりと彼に目を向ける
閉ざされた地下牢の中で
仮りそめの死者を演じる
道化の息子の名演を
頭に金の冠を被せた
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