透明な海に

七瀬

透明な海に

透明な海に


小鳥の鳴き声は夏の夜空へと高く伸びた。羽を広げる孔雀のように、果てもない暗黒に星屑が散らばる。隣で"彼"が何か言っていたが、何も聞こえなかった。彼の勇気は彼女の「え?」の一文字で軽く振り払われてしまった。華やかな煙の匂いが漂う。彼はもう一度決心し、言う。そして_____


「ごめんなさい!…あれ?」

教室が騒めく。さっきまで眠りこけていた少女が突然目を覚まして"謝った"のだから、驚くのも無理はないだろう。そして、その騒めきは次第に笑いへと変わる。

「夢…か…。」

「遠透さーん、寝ないでくださーい。」

やる気のない声が届く。授業をしている本人には生徒の寝る理由がわからない。その上、寝ているのは彼女だけではなく、クラスの1/3近くである。少女・遠透海は「すみません…」と弱々しい声で返し、夢の記憶を辿る。

しかし、最後の花火が咲く以前のことが思い出せない。"彼"の声や顔すらも。なんと言われたかもほとんど覚えていないが、おそらく"告白"のようなものだったと思う。


「うーん…。」

と、彼女は授業が終わった昼休みの間も唸っていた。

「どうしたんだ?恋の悩みなら聞いてやるぞ。」

などと阿呆のようなことを言ってくるのは彼女の友人である。

「七帆、うるさい!」

彼は目を少し開き、ため息をつく。

「また同じ夢見たんだろ。一体、思い返してどうするつもりだよ。」

「どうって…。」

半年ほど前から、不定期に同じ夢を見る。遠透は夢に出てくる彼の存在が彼女の人生の上でとても大切だったように見える。だからこそ、"彼"が誰なのかいち早く思い出したいのだ。

「ていうか、どうやって思い出せばいいわけ?」

「俺だってわからねえよ、そんなの。」

「そんなのってなによ!」

クラスメイトたちから「また始まった…」と言わんばかりの視線が向けられる。遠透と七帆はいわば幼馴染である。が、しばしば喧嘩も起こす。それを周りの連中からは"痴話喧嘩"などと呼ばれている。

また、遠透にとって七帆は唯一心を許せる人であると言える。彼女は自身のアイデンティティの欠如に対し、悩みを抱いている。学力低・運動能力低・コミュニケーション能力低、それでいて趣味もなければ目指すものもない。夢がない、だから自分に自信が持てない。という負の螺旋の中にいる。真っ白なキャンバスに自由に色を付けていく、そんな青春を夢見ていたが、彼女の心は色もつけられないほどに透明であった。そして、ため息をついた。


彼女が悩みを抱えていたのは、高校生になってからではない。中学校に入学して早々、彼女はたくさんの友人をつくった。カメラ、テニス、読書、音楽、スケボー、皆色々な趣味を持っていた。しかし、彼女自身は、写真はスマホで撮れるし、テニスは球技だから苦手だし、読書はつまらない、音楽など聴きもしなければやることもない、スケボーに至っては「そんな遊びもあったなぁ」くらいにしか思っていなかった。

非常に退屈極まりない青春を歩んでいくのだろう、と勘付いていた。そして、その予想は当たった。

家に帰っても課題を解くくらいしかすることはない。三年生に上がったから受験勉強も多少はするが、大学に通うつもりなど更々ない。フリーターでも生きるだけのお金は充分貰えるだろう、と考えている。が、受験ガチ勢の友人とは話がまるで噛み合わない。小テストの範囲なんかいつ言われたっけ?とか言っていたこともあるくらいだ。


そんな彼女の青春に歯止めをかけようと試みた男子生徒がいた。それが中学時代からの友人、七帆である。感情はかなり表に出るタイプだが、それでも彼女にとっては良き友であった。


中学二年の夏の終わり、遠透は或る男子生徒に誘われるがまま、夏祭りについていった。

夏は好きであった。理由は夏の賑やかな"海"に自身の心を投影できるからであろう。表向きの理由は自分の名前も「海」であり、それが最も輝く時期だから。というものであった。

一通り夏祭りを楽しんだあと、河川敷にて花火大会が行われた。二人は「高いところからのほうが良く見えるだろう」と神社のある山へ行った。彼女は初詣に行く程度の関心である。彼だけが参拝をした。随分長く祈っているかなぁなんて思いながら待っていた。

「お待たせ!」

彼が戻って来て、ようやく花火の見れるとこまで来た。小さな川が流れていて小さな橋がかかっている。この橋から河川敷あたりの空を眺めていると、花火がよく見える。

小鳥の鳴き声が夜空へと伸び、分厚い羽音をたて、孔雀が羽を広げた。何羽もの孔雀が夜空に舞った_____


「綺麗な花火だね」なんてありきたりなことを遠透は言う。彼もそれに"上の空"だが応える。そして、最後の花火が打ち上がるとき、彼は決心する。

彼女にわからぬよう、深く息を吸い込み、名前を呼ぶ。

「海。」

「ん?」

「俺は…君のことが_____

夏の終わりを告げる大きな花火が咲いた。彼女は困惑した眼で花火と彼を交互に見る。

「え?」

彼の勇気はその一文字で軽く振り払われてしまった。華やかな煙の匂いが漂う。彼はもう一度決心し、言った。彼女の答えは「はい。」であった。

「空、これからよろしくね。」

彼女はそういった瞬間、気を失った。


_____み…!海!!」

自分の名前を呼ぶ声がフェードインする。

「あ…あれ…?」

遠透海が倒れてから約20秒。彼女が目を覚まし、七帆空は少し安堵する。

「七帆…わたしたち何してたんだっけ?」

「花火を見てただけだ。」

「そっか…。」

彼女はやや混乱したまま一人で帰路についた。彼女の家は川を流れる橋の西側、彼の家は東側にあった。

「(…そういえば…誰と花火見てたんだっけ?)」

以来、彼女は倒れたときの、大きな花火が打ち上がった後のこと、そもそも誰と花火を見ていたか、を思い出せておらず、ぼんやりと違和感を抱えながら過ごしている。透明な心に嫌悪感を抱いたまま。


高校三年の冬の終わり、七帆はもう一度決心する。そして、四年前と同じ言葉を遠透に言う。彼女の答えは「ごめんなさい。」であった。

「なんか、全部思い出したかも。」

「そうか…。」

彼の瞳に悲しさは無いように見えた。真っ直ぐに彼女を見つめる瞳が輝いていた。


「透明な海に空の色を与えたい。」彼が決心し、言った言葉である。

海と空。これは決して交わることのない二人の物語。

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透明な海に 七瀬 @karanobin

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