6 リヴァイアサン

 ゼフィスと静流の乗った小型艇はリヴァイアサン中心部に近い、広場のような場所に辿り着いた。ショッピングモールの如き建物が目の前に並ぶ。

 残念ながら静流の方は耐Gに耐えられず内部で気絶しているようであった。サイズにあるまじき噴射能力であったし、生きているほうが奇跡的である。

 とはいえ、しばらく彼も目覚めないだろう。

 周囲の明かりは備え付けの電灯のみが光を放ち、薄暗く照らしている。メインの明かりはついていない。

「随分と意気揚々と乗り込んできたものだ」

 響いてきたのは男の声。無論知っている声だ。

 ディレイフニル・チャコードザード。銀髪の吸血鬼。当代最強と言われ、なぜ人間に味方をしているのか謎とまで言われた夜の住人。

 時明院秋人の父、時明院刹那とも戦ったとされるが、両方とも生きている時点で、ウソかあるいは決着が着かなかったか。

 そのディレイフニルが建物の影から現れた。

「それがまさか貴様とは」

「不足か?」

 ディレイフニルはゼフィスを見て嘲笑している。有無を言わさず攻撃して来ないことについてか、出方を伺っていることについてか、あるいは戦って勝てる相手だと思っていることについてか。しかし、ゼフィスは簡潔に真っ直ぐに聞いた。

「当然だ。貴様ごときでは相手にならん。たかが異世界の魔法を操る小僧め」

 返事と共に、ディレイフニルの感情は笑いから殺意のこもった嫌悪へと変わる。同時に黒い稲妻のようなものが走りぬけ、周囲の電灯をショートさせる。そのまま、ゼフィスに伸びていく。

 しかしゼフィスはそれを呪文で紡ぐ魔力によって引き裂く。

「燃え盛る、朱!」

 ゼフィスの右手の五本の指に灯った小さな火球は呪文と共にディレイフニルに伸びる。

「そんなもの!」

 子供騙しとばかりに火球を外套で払いのけてしまうディレイフニルだったが、ゼフィスはその間に彼との間合いを詰めていた。

 ディレイフニルがそれに気付いて魔力障壁を張る前にゼフィスは右ストレートを彼の頬に見舞っていた。

「きっ、貴様ぁ!?」

「俺が小僧ならば、お前は爺だ。ただの魔術戦になると思うなよ」

 原始的な殴りで来たゼフィスに、ディレイフニルは薄っぺらい余裕さがなくなり、表情には怒気が強まる。

「勝てると思うなよ、小僧!!」

 今までにない荒い感情を表してきたディレイフニル。対してゼフィスはこれまで以上にクールな感情で、次の一手を模索していた。

 決め手はすでに考えてある。しかしその決め手の瞬間そのものが大事であった。


                 *****


 神威たち3人が走るのは要塞外周部。円筒状になった通路である。

 脱出手段確保のために秋人と二手に分かれた神威たち。いつの間にか、アームスーツの追手はなくなっていた。秋人の方に向かったか、あるいは、もう追う必要はなくなったのか。

 本来は歩道エスカレーターが動いているのだろうが、そのシステムは完全に停止している。

 リヴァイアサンは最低限のエネルギーでしか動いていないようで、通路を薄暗く示す非常電源の明かりしか灯っていない。

 追撃こそないが、いつまでも続きそうな緩い下り坂の通路を走っていく。

 そんな通路だが、ようやく終わりが見えた。通路の出口は中層部、プラントコントロールルームに繋がる下層部へのエレベーターがある区画。

 連絡通路も兼ねているらしく、神威たちが出て来た通路のほかに何本も通路が伸びているのが分かる。

 薄暗くてよく見えないが、それぞれに案内プレートもついているようだ。

「ここからは真っ直ぐかな?」

 一息ついて神威は呟く。

「待て、何か来るぞ」

 進もうとした神威を制止する優雅。彼は左手の方を見ている。神威は耳を澄ます。

 総司は銃火器の入ったリュックサックを背負いなおしながら、左方向の様子を伺う。

 神威の強化された聴覚で音が聞こえた。爆発音、火花の散る音、金属が擦る音。そしてそのどれもが段々と近づいている。

「鋭き落ちる山吹!」

 聞き覚えるのある声が呪文を唱える。そして声の主が左上の通路から現れる。ゼフィスだ。

 彼は逃げるように上階通路の手すりから、神威たちのいるロビーフロアに降り立つ。

「逃げるしか能がないか、小僧!?」

 ゼフィスを追って通路から出て来たのはディレイフニル・チャコードザードだ。銀髪を乱し、表情を歪ませて、醜悪な言葉を吐く。

そんな彼でも神威たちの存在に気付いた。

「小僧どもがさらに? エルレーンめ、何をしているか!」

「圧し掛かる、紫!」

 吠えるディレイフニルに向かってゼフィスは呪文を紡ぐ。

 ディレイフニルに紫色のオーラがかかり、床に落ちるどころか上層通路の床を破壊してまでロビーフロアに落下する。

 どうやら異常重力を局所的にかける魔法らしい。ディレイフニルが動けなくなったと見るや、ゼフィスは神威らに駆け寄る。

「説明には時間が無い。勝負を懸けるのは一度だけだ。奴は魔力を展開した後が隙だ」

 ゼフィスの初めての提案、そして間近で見る彼の確固たる戦意だった。彼はそれだけ言って、ディレイフニルに向き直る。

 重力を解いたディレイフニルが怒気を露わに呪詛を唱える。

「この期に及んで小賢しい小僧がぁ!!」

 これまでゼフィスがどのようなことをしてきたか知らないが、ディレイフニルはかなり怒っている。

 両手の魔力からは目で見て分かる赤い光を放っており、周囲の崩れた瓦礫を徐々に浮かび上がらせていく。

 まるでサイコキネシスのようだが、瓦礫それぞれに魔力を与えて浮遊させているのだ。

「これは避けられまい!!」

 一つ一つが赤子ぐらいはありそうな瓦礫がゼフィスに向かって動き出す。

「燃え盛る朱!」

 ゼフィスはそれを指から放つ火球で迎撃していく。

「よくやるがなぁ!!」

 迎撃していくのは予想通りなのようで、ディレイフニルは一際大きな瓦礫、柱の一片に速度を与えて投擲する。

 しかも目標はゼフィスではなく、端にいる総司に向かって。

「俺かよ!?」

 総司が声を上げ、すこしでも回避しようと左に足を動かそうとした時、その総司を引っ張りながら、ゼフィスは身体を割り込ませた。

 一瞬の出来事に、総司は驚愕し、優雅はそのゼフィスの行動に察したものがあった。優雅には見覚えがある。

 何より、ゼフィスはすでにヒントを出している。ディレイフニルが魔力を放った後が隙だと。

 ゼフィスが柱に腹を直撃を受けながら壁まで吹っ飛ぶ。

「ヒャハハハ!! だから小僧だと言ったのだ! 見捨てればいいものをなぁ!」

 ディレイフニルの哄笑が響く。

「神威!!」

「そうか、この一瞬!!」

『ブースト・オン!!』

 だが優雅はゼフィスの意図を察していた。優雅の呼びかけで、神威も気付いた。

 ディレイフニルを激昂させ、手段を選ばなくさせ、束の間の勝利を得させ、なおかつそれはディレイフニルの魔力が放たれた後。絶好の隙。それが今だ。

 今この一瞬だけ、ディレイフニルはゼフィスを仕留めた結果しか見ていない。神威たちは視界の外にある。

 本来ならばライザードのエネルギーは温存せねばならなかったが、強敵ディレイフニルの相手ならば、それも一瞬だけであれば問題は無い。

 黒と白のライザードに変身した2人は、同時にマキシマムブレイクを発動させる。

「な、何ぃぃぃぃぃぃ!?」

 2人のライザードの動きにまったく気付かなかったディレイフニルは必殺のパンチとキックを喰らい、四散し吹っ飛んだ先の壁を破壊しながら壁面の外へと放り出されていった。

 破壊された壁には即座に緊急シャッターが閉まり、ライザードたちの変身は解かれる。

 変身を解いた2人はゼフィスの元へ駆け寄り、ゼフィスに突き刺さった柱の様子を見る。

 柱の中の鉄骨がゼフィスの腹部に突き刺さり、不用意に抜けない状態にあった。

「説明せずに、すまなかったな。お前たちを囮にするつもりも、なかった。お前たちにトドメだけを刺してもらおうとした。その、支払いとしては十分、だろう?」

 ゼフィスは苦痛に脂汗をにじませながら、たどたどしく神威たちに言葉を掛ける。

「だがゼフィス」

「俺は、置いていけ。お前たちがヤツを倒せばそれで、よし。倒せなければ、あとから、俺が行く、だけだ。」

 神威の言葉にゼフィスは小さく首を横に振った。不敵な言葉だが、ゼフィスらしい強がりが戻ってきた。

「目的地は、下だ、な? それだけ分かれば、いい。い、け」

 彼は一方的に言うと目を閉じた。死んだわけではない。体力温存とすこしでも集中して傷の治療をしようというのであろう。

 神威は優雅に目配せし、エレベーターが動くかチェックしていた総司に頷いて、先を急ぎ始めた。

 それから何分がたっただろうか。多少苦痛が和らいできたところで、ゼフィスに近づく足音があった。

「遅かったな」

 目を細く開くと、思った通りの相手がいた。静流だ。

「神威たちが先に向かった。お前も行くといい」

「お前さんは?」

「治すのに時間がかかる」

 彼に先を急ぐよう伝える。ゼフィスを置いて、静流は先を急いで行った。

 それからさらに間ができた。

 どれほど時間がたったのかは分からないが、下から神威たちが戻ってこないのならまだ決着が着いていないことに他ならない。

 突き刺さった柱の鉄骨を魔力で解いて行く。その後は止血と応急処置の傷塞ぎだ。

「死ぬのは怖くないか、エレンケイア」

 独り言を言って、ゼフィスはゆっくりと立ち上がった。


                *****


「ようこそ、3人の戦士たちよ! よくぞここまで辿り着いた!」

「なんだなんだ、テンション高ぇなオイ」

 神威たちが辿り着いた途端に仰々しい言葉である。ゲームでもなければ普通日常会話ですることはないだろう。

 リヴァイアサン下層部。意味ありげなプラントが並ぶ中、開けた場所で金髪の白づくめ男が中心部で座って待っていた。

 彼がエルレーンだ。黒幕というには柔和で、ハンサムだ。だからこそ邪悪なのだろうか。

 総司の呆れた言葉の後に、優雅が自動拳銃をフルオートで放つ。銃弾はエルレーンに届くことは無く、直前で不可視の何かに防がれる。

「チッ」

 優雅は舌打ちする。何かの障壁に阻まれている。ゼフィスと戦った時にも発生していた障壁と同じものだろう。

「気の早いことだね」

「付き合う必要はないんでな」

 優雅極めて現実的にエルレーンへ答える。撃って終わるならば良かった。試しに撃っただけに過ぎない。防がれるのは想定内だ。

「ならば提起しよう」

 エルレーンはその場から動かず、立ち上がらず、座りながら口を開き続ける。

「この障壁は絶対領域とも言える次元境界線の障壁だ。世界の境界を超えるほどの強大な力であれば貫けるというものだ。ロケットを打ち上げるためにチャージしているエネルギーを少し分けてもらって、障壁を強固にしている。」

 彼は防御のタネを明かす。そのような正体を明かす行為をするのは、普通は考えられない。

 ただ、以前、ゼフィスと総司、ゼラードの一斉攻撃を防ぎきり、ゼラードを倒してしまっている。攻性防壁を仕込んでいることも明かしているにも関わらず手の内を明かす、この男の意図は何か。

「お前の目的は、何だ?」

 神威はゆっくりと質問をする。あえて問答に付き合う。その間に、彼を観察する。

「シンプルだ。人類の滅亡。」

 エルレーンはニコっと笑顔で答えた。笑顔で答えるような目的ではない。邪悪であることは確かなようだった。

「ただ死滅するのを望んでいるわけじゃない。人間が人間でないモノになる世界を創りたいんだ。」

 以前、総司に言ったことと同じようなことを語る。狂気の沙汰である。

「私は人間を憎んでいるんだ。同時に信じてもいる。」

 彼は少し矛盾するような言葉を吐く。

「世界の為、正義の為、人の為、愛の為。のために戦える者達を知っている。その者達のが守ろうとしている弱さを知っている。」

 まともそうな言葉の陰にある、狂気。目付き。憎悪。人間の姿をしているだけで、このエルレーンという男の心は怪物なのではないかと思う。

「それらを壊すために、ロケットを打ち上げる。君たちの抵抗は全て無駄だということを分からせて、だ。」

 ニコニコとしていたエルレーンが、一層笑みを浮かべる。嘲笑にも見える、悪魔的な笑顔だ。

 これらを見て、言葉を聞いて、戦意を削がれることはない。たとえ相手が正体不明の、どこから出てきたのか分からない悪党だとしても、負けるわけにはいかないと思う。

 だが、エルレーンを打ち砕くにはもう一枚手札が必要な気がする。

 今は神威のライザードと、優雅のライザードがいる。ただ、それで勝てるという確信が得られない。これまで観察していて、エルレーンに動く気配はない。彼に戦う力はない。守るだけで勝てるということなのだろう。

「どうやら人手が足りないみたいだな?」

 後ろから足音がする。振り向くと、コートを着た青年が、ブリーフケースのようなものを持って現れる。

 蔵人静流。これでカードは揃った。

「俺が先に行く。優雅、静流で同時に行け。神威は一番最後、フルパワーだ。」

 総司は重火器のリュックサックをその場に置いて、簡潔に作戦を説明する。作戦と言っても、要は順番である。ほとんど思い付きだが、これに勝る同時攻撃は今の所ない。

『変身!!』

 息を合わせたわけではない。それでもほぼ同時に、神威、優雅、静流がアームスーツを身に纏う。

  静流が漆黒のアームスーツを一度身に纏い、その後、変形した銃が分離し、スーツに合体して、そのボディを白く染め変える。

 神威が風を纏い、白と青のアームスーツに変化して、風を振り払って変身を完了させる。

 優雅の腕輪からスーツが展開され、漆黒のライザードに変身する。

「行くぜぇ!!」

 まず総司が青白い光を両手に集めて雷の槍のようなものを作り出し、真っ直ぐエルレーンに投げつける。

 彼の目の前にバリアのようなものが視覚的に露わになる。

『マキシマムブレイク!!』

 次に、優雅の黒のライザードと静流のライザードイクスペルが同時に飛び蹴りを放つ。これで障壁が1枚割れたように見えた。

『行けぇぇぇぇぇぇぇ!!』

 神威の白のライザードの、螺旋の風を纏う拳が突き刺さった。2枚目の壁を破る。

「残念だ。もう少しだったね。」

 エルレーンは首を横に振った。2枚目の壁を破っても、彼には届かない。3枚目がある。その3枚目からの抵抗とも言える衝撃が、まともに返ってくる。

 雷が落ちたような、つんざく音が聞こえ、ライザードが3人とも吹っ飛んで行った。

「くそが」

 ライザードには過負荷がかかった時のリミッターというべきものが掛けられている。吹っ飛んだライザードが壁や床に叩きつけられた衝撃で変身が解かれてしまった。

 特に神威は重傷だ。サイボーグのとはいえ、右腕が粉砕されてしまっている。

 総司は賭けに負けて毒づいた。出揃っている情報を元にやれるだけの全力を出して、それでも相手が一枚上手だった。相手は出揃ってくるだろう戦力を呼んで、壁の強度と枚数を増やしてきた。

 あえて話に乗ってきたのも、攻撃に絶対の自信を持たせる策略だったのではないかと思うほどだ。

 ともかく、動ける人間が総司しかいない。もう一度があるかもしれないが、神威のフルパワーがもうない。

「私の完全勝利だな?」

 エルレーンが笑う。その場から動くことは無く、彼は光のない目線を向けている。

「では、発射準備だ。ロケットが飛び立つ瞬間を間近に見学させてあげよう。」

 彼はそう言って、ゆっくりとした動きで、機械を操作し始める。

 あからさまに隙だらけだが、総司一人でどうにかできるような気がしなかった。妨害が、本当に妨害になるのかと思ってしまっていた。

 打つ手無しの絶望。これではエルレーンの思い通りである。

「まだ終わってなかったか」

 だいぶ遅刻気味だが、もう1人がやってきた。エルレーンよりもゆっくりとした足取り。左手で腹を押さえてやってくる。傷をおして、なんとかやってきたのだ。

「そんな傷でやってきたのかね」

「1人で倒す自信はあったからな」

 重傷だが、ゼフィスはまだでかい口を叩く。彼は、ゆっくりとした歩みを止めることなく、総司の横を通り過ぎようとしたが、今一度声が響き渡る。

「そいつを始末するのは私の仕事だぁあぁ!!」

 ゼフィスの更に後方からやってきた羽音と共に響く声。蝙蝠のようなそれは、人型に変身して、ゼフィスを後ろから強襲した。

 ディレイフニルだ。

 彼はゼフィスを轢き転がした後で、変身途中の醜い姿のまま、魔力弾を両手から撃ち始めた。

「やれやれ」

 この光景にはエルレーンも呆れた。彼には負けた相手を嬲る趣味は無い。ビジネスパートナーではあるが、執念深く、そして醜いディレイフニルに失望する。滅びた後の世界に君臨したいようだが、この醜悪さでは後が無い。

「この野郎ッ!」

 エルレーン単体にはかなわないが、今のディレイフニル相手なら1人でも負けるつもりはない。総司はいつのまにか動いていた。

 ゼフィスは今でも気に入らないヤツだが、それでも覚悟をして来ていることは分かっている。勝算無しにここに来たわけではないだろう。

 だから、ゼフィスを嬲り殺しにするディレイフニルに黙っていられず、彼に飛び掛かった。

「ええい、離せ死に損ないの小僧が! 小僧如きがァァァァ!!」

 暴れるディレイフニルが魔力弾を出して暴れるが、総司は電気ショックで抑えようとする。

「起きろ、ゼフィス! てめぇ、勝機があって来たんだろうが!!」

 揉み合いになる中、総司は倒れたゼフィスに叫んだ。倒れたゼフィスとエルレーンの距離は1メートル程度。今、ゼフィスが立ち上がれば、何かはできるだろう。

 ただその何かをする前に、ゼフィスの意識は落ちていた。


                 *****


 ゼフィスの意識は以前と違ってどこまでも下へと落ちていた。

 金縛りにあったような状態だ。身体を動かす力も残っていない。

 上下の感覚はないが、落ちているという感覚だけがあった。今までの記憶が蘇る。

 それがどれだけ危険なことか直感で分かった。走馬灯だ。しっかり確実に、身体が死を感じ取っている。

 しかしそれに対してまったく抗えない。それに記憶の中の美しい幼馴染の姿を見てしまうと諦めが早まる。

 別れを言ってきてしまった。こうなるだろうという覚悟も決まっていた。

(俺が死ぬと、お前はどうなる?)

 目を閉じ、ふと考える。自分の下から切り離されたエレンケイアのことを。

 破滅ばかり願う意識であったが、それ自体は自らの破滅を知っていたのだろうかと。

《滅ぶ、消える》

 そこで確かに消えそうな声を聞いた。

《無くなってしまう》

(だが想いは残る)

《残る?》

(俺たちはここに確かにいた。それを覚えている人たちがいる)

《無くなっても、あったものは残る》

(そうだ、忘れてしまうこともあるが、記憶は残り続ける)

《残り続けるために生きるのか?》

(そうだ、何かを為すために生き続ける。死を迎え、記憶になるために生き続ける)

 いつのまにか声がする何かと問答をしていた。目を開けると走馬灯はなく、目の前には人型の透明な何かがある。

 直感的にそれがエレンケイアだと理解した。これらは待ち望んだ、エレンケイアとの初めての対話だった。

「エレンケイア、最後に教えてくれ。お前の破滅を望む理由を。」

 その時には金縛り状態の体に力が入っていた。渾身の力で透明な何かに手を伸ばす。掴んだものは折れたシグルズだった。そしてその瞬間、見たことも無い記憶が見えてきた。

 人間によって作られたシステム。システムに管理された世界。管理に反抗して燃え上がる世界。何もなくなっても再び人間は現れ、管理しようとしても人間同士の戦いで全てが死んでいく。

 それはエレンケイアの見ていた、人間の生と死の繰り返し。

 平穏を作り出そうとしてもそれに満足せず、管理から離れ、破滅を歩もうとする浅ましい生き方の連続。

「お前は、死を理解できなかったのか」

《分からない》

「俺も今際の際でなければ分からなかった。人はお前の思う通り、矛盾だらけの生き物だ。従属を求めながら、自意識の尊重を求める。自由を求め、それに縛られる。理解できないのも無理は無い。何のために必死に生き、死を迎えるのか。好きなものを守るため、友を作るため、笑顔でいるため、幸福のため。たった一つの単純なことのために人は死に向かう。生きるためだ。」

《生きていくこと》

「俺達は生きるために生きる。そこまで生きたことを笑顔にして、死ぬ。」

《死にたくない》

「破滅を望んでいたのに?」

《消えたくない》

 エレンケイアの記憶が再び溢れる。父、ロフィス・エントクロマイヤーに似た男がエレンケイアをその身に宿す。その後、エレンケイアはその男の息子に継がれる。息子が成長すると父ロフィスの青年時代の姿になった。

 エレンケイアは魂を別のものに宿されながら、ずっと見ていたのだ。エントクロマイヤー家の幸福な姿を。

 ここにあるエレンケイアはその魂そのもの。彼は帰りたがっている。本当の己のいるべき場所に。

《還ろう》

「そうだな。還ろう、共に。」

 一度は無理矢理引き剥がした意識だが、ゼフィスはエレンケイアを受け入れた。

 彼はもはや破滅を望んではいなかった。共に生き、共に故郷へ帰る意識で一致していた。そうすることによって、ゼフィスは一瞬世界の外に放り出された感覚があった。

 刹那にも似た時間の光景だったが、彼が見たことも無い複雑に重なる世界の数々を見ながら、意識は覚醒へと向かった。

 

                 *****


 その時、エルレーンは悪寒がした。恐怖ではない。初めて空間転移、世界移動をした時のような、気持ち悪い感覚。近くのものが明らかに別の何かに変わるという、オカルトな感覚だ。

 ロケットの打ち上げ準備は終了した。設定したカウントと共に打ち上がるだけである。その設定した60カウントが今は枷に感じてしまった。

 ゼフィスが立ち上がる。この前、確かに真っ二つに折ったはず杖を再び手にしている。

「貴ぃ様はこの手でぇぇぇぇぇぇ!!」

 ディレイフニルは総司を振り払い、鋭い爪を振り上げてゼフィスに襲い掛かる。

「魔王剣」

 ゼフィスの手の中の杖は赤黒い巨大な剣となった。それはなくなった可能性の世界で魔王が使っていた剣に似ているかもしれない。あるいは、ゼラードが振るっていた大剣であるかもしれない。

 エレンケイアを分離させた杖、シグルズを【分解】し、再びゼフィスの中に【再構築】し、今のゼフィスにフィットさせるべく杖を武器として【錬成】する。

 それが、今名付けるならば【魔王剣】である。

「バ、カ、ナ」

 攻撃を届かせることなく、魔王剣に身体を貫かれたディレイフニルは、消えゆく断末魔と共に、灰となっていった。

「我は魔王。破滅を受け入れる者。」

 ゼフィスは呪文のように言葉を紡ぐ。

「我は魔王。破滅を我が物とし、我が敵全てを打ち破るものなり。」

 彼は魔王剣を手に、エルレーンの元に歩み寄る。しかし、いくら武器が強力でも、1人の力ではエルレーンの壁を破ることはできない。

「我は魔王。この世界の英雄たちのために俺は世界を、壁を、越えて行く。」

 言葉を紡いで、エルレーンのに手を付いた。

「これが術ならば、俺には分解ができる」

「やめろぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」

 その時、初めて、エルレーンは悲鳴を上げた。

 完全敗北。いや、最適解とも言うべきか。エレンケイアの破壊の力と、ゼフィスの魔力で、壁を、まるで障子の紙のように破り取ってしまう。壁が2枚、3枚あってもお構いなしだ。

「辿り着いたぞ」

 ゼフィスはエルレーンの障壁を破り、彼の首を掴み取った。そして今まさに、ロケットが一次噴射しようとしたところに、発射強制停止のコード発信するべく、エルレーンを機械基盤に叩きつけた。

 その瞬間、全ての機械の連動が停止する。何かのために動いていたプラントの脈動も停止した。

「出雲」

 ゼフィスの手の中にはもう魔王剣は無い。どこかにしまい込んでしまった。

 エルレーンは気絶しているのか動かなくなっている。すこし喋ることは可能ということで、ゼフィスが口を開いている。

「先に脱出しろ」

 ゼフィスにとっても出雲総司はわだかまりがある。所詮、昔絡みのわだかまりだ。ちょっと面と向かって話し辛いだけだ。

「脱出って、てめぇはどうする気だ」

「やる事がある」

 ゼフィスは、ここに来た時とは真逆のしっかりとした足取りで、倒れる神威の元に歩み寄った。

「やあ」

 仰向けに倒れる神威はゼフィスに反応する余裕ぐらいはあった。

「助かったよ。ありがとう。」

 そして礼を言えるぐらいには、他人を気にすることができた。神威はサイボーグ化されている。人間の身体と同じように神経信号が復活すれば立ち上がることはできるだろう。

「礼を言われる筋合いはない。俺はお前に詫びなければならないと思っていた。」

 ゼフィスは、神威がサイボーグ化する経緯を知っている。ゼフィスがもしあの日、ヘルメスの実験場にいなければ、そう考えることが幾度かあった。

 無論、暴走したゼフィスを倒すために、神威の力は必要だったろう。だがそれは、サイボーグになっている必要はなかったはずだと。

「だから、これは詫びだ。ラミアと達者に暮らせ。」

「えっ?」

 ゼフィスにとって姉とも妹とも言えるラミアが気にしているのが神威だ。身内が今後、普通に子供を作って幸せになるなら神威が人間でないと困るのだ。

 神威の体内にあるリアクターを元に力を分解し、人間の成分組成に再構築・錬成する。これで余る素材や機械組織があるが、それは彼にはもう必要のないものだ。それとなく懐にしまい込んで、術式を終了する。

 神威は人間の身体を取り戻した。たった1秒か2秒の時間で。

「ゼフィス」

「優貴は思ったよりも厄介だが、お前に任せる」

 神威への術式を終えて、エルレーンの元に戻る途中で、立ち上がっている優雅に、一言だけ添えた。

 静流がゼフィスに手を振っているが、彼には特に何もない。

 鈍い衝撃が響き渡る。何かにぶつかった。そんな揺れだ。

「ロケットには燃料とも言えるエネルギーが入ったままだ。この人工島が動かなくなったら、沈む。着底して、ロケットに何かあったら、動いただけで崩壊が始まるぞ。」

「バッカ野郎! それを早く言え!」

 先ほどの衝撃の後で、どこかで爆発音が聞こえる。リヴァイアサン下層部は、水の中である。どこかに故障があって、浸水が始まれば、逃げ場を失ってしまう。

 総司はことの重大さがやっと分かり、人間の身体を取り戻したばかりで動けない神威を無理矢理助け起こして、背負う。

「さらばだ」

 ゼフィスだけが、総司たちとは逆の、奥へと歩みを進める。ゼフィスはもう一度、彼らに別れを告げた。

「さて、エルレーン」

 今の今まで動いていないエルレーンだったが、意識ははっきりとしていた。リヴァイアサンが沈もうとも、このまま浸水して圧壊しようとも、エルレーン自体は生存できる。溺れるだろうが、人間の姿をしている不老不死の化け物であるから、問題は無い。

「お前にこの世界に居てもらうわけにはいかない」

 そんな化け物を、家族や友達たちが残る世界にのさばらせるわけにはいかない。

「この場に残る行き場の無いエネルギー。それを使えば、次元ゲートぐらいは開けるだろう?」

「貴様、初めからそのつもりで!?」

 今のゼフィスは術式の再構築を行える。破滅の力だけでは、残念ながらエルレーンを滅ぼすことはできない。

 エルレーンがどのような力を持って、この世界に来たかは知らない。故に、ゼフィスにできることはこの世界からエルレーンを追い出すことしかできない。

「俺もこれから行く場所がある。そのためのゲートだ。」

「ゼフィス、エントクロマイあああああああああああ!?」

 エルレーンの悲鳴と共に、空間が歪む。ロケットのエネルギー暴走を触媒に、ゼフィスが展開する術式の力が球状に広がっていく。リヴァイアサン自体を徐々に飲み込むようにどこまでも広がっていく。

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