3 夢幻の戦士

 以前、AAAが調査した名残の立ち入り禁止テープや三角コーンの残りなど諸々が残る空間。

 そこは電源が生きていて、空間そのものは明るい。しかし、その広場から奥に続く通路は闇が広がっている。

 静流は通路の先を知っている。それにこの場所も、彼にとっては曰くつきの場所だ。

(何度来ても慣れない場所だ)

 得体の知れない緊張感を持って、彼は息を呑む。言い知れぬ圧迫感が胸を締め付けているのが分かる。

 右手に持つ、黒いブリーフケース状のものがより重く感じられ、手の中が汗ばむ。

 彼にとっての悪夢は2年前に終わったはずなのに、死んだはずの恩師が再び目の前に現れるかもしれないトラウマがここに来ると蘇ってしまう。

『何をしているんですか。思い出に浸っている暇はありませんよ。』

 通信接続の雑音と共に、パートナーの声が届く。冷ややかな声だが、静流を現実に引き戻すには十分なものだった。

 2年前はそばに彼女も、弟もいた。悪夢の終わりを見届けるために。いつまでもそんなものに引き摺られてはいけない。

 彼は静流・クロード。恩師から事務所を引き継いで、武藤を見守る探偵になったのだ。前を見て歩かなくては、パートナーが不安がる。

 静流は深呼吸をして、歩き始める。歩みの速さは先ほどよりも遅いが、それは周囲を警戒してだ。その警戒振りでは足を止めるのも早かった。

「要警戒レベルだ。オーバー」

 パートナーに一方的に通信して、改めて前方を警戒する。依然として闇が広がる通路の中から、足音も無く男が現れる。

 見知った顔の男だ。名前は覚えていない。依然、藍明守の神社を訪れた時に見た男だ。

『ここカラ、立ち、サレ』

 静流自身は覚えていないことだが、神威と優雅がヘルメスの秘密研究所に関わる事件の時に彼を見ている。

 そう、彼の目の前にいる男はゼフィス・エントクロマイヤー。一向に名前を思い出すことができないが、彼は憔悴してしまっている。

『ココカラ、タチサレェェェェェェェェェェェェェ!!』

 彼は自分の顔を掻き毟りながら叫ぶ。

「言う通りにするのも悪かねぇが、俺にだって欲はある!」

 静流は啖呵を切って、右手のカバンを操作する。

「変身」

 カバンは巨大銃へと変形する。

 同時に、静流は白い有機的な鎧に身を包み、変身を完了させる。ライザードイクスペル。武藤ニュータウンのライザードだ。

 ゼフィスから放たれた火球をものともしていない。

 変身してすぐに巨大銃ウロボロスを3度引き金を引く。魔力弾と実弾、2発と1発、正確な狙いで腕部に撃ち込む。

(反撃!!)

『茶ヨ! ツちに宿リしチかラヨ!』

 静流は本能的に思ってその場を飛び退く。詠唱が聞こえ、彼がいた場所の地面から錐が生えていた。

(呪文詠唱がメインだから、威嚇や部位破壊の効果は薄いか)

 静流は思いながらウロボロスの実弾を2連射。わざわざ錐を砕き、土煙を辺りに展開させる。

(致命傷に至らない程度の一撃。できるか!?)

 土煙が目くらましになるかどうかは分からない。ライザードには効果が無い。センサーが相手の姿を捉えている。

 センサー反応に向かって魔力弾を撃ちながら円の動きで走る。

(ここだ!)

 弾のヒットを確認した後、ウロボロスを一回転半回して銃口の逆に付いている近接攻撃用パイルバンカーを始動させる。

 ウロボロスを大きく振りかぶってパイルバンカーを撃ち込んだ相手は、ゼフィスに良く似せた土塊。

『茶よ! 朱ヨ!』

(無詠唱? いや、遅延詠唱?)

 土塊を作るための詠唱は聞こえなかった。どちらにせよ、そういう常識ハズレの術士が相手だった。

 本当のゼフィスは、奥の通路まで退いていて、静流の背後に火球を放っていた。

 火球の爆発をまともに喰らい、静流は吹き飛んで転がり、変身が保てず解かれてしまう。

「くっ」

 万事休すか、と通路の暗がりを見るが、追撃は来ない。土煙にむせながら立ち上がった静流に再び声が響く。

「立ち去って、くれ。頼む!!」

 おどろおどろしい声ではなく、正気の人間の声が響いた。

「正気を保つのも、そう長くない」

 相手が静流だと向こうも分かっていないようであった。呪文の威力は本気を感じた。先の台詞もそうだが、正気は完全に奪われていないと見れる。

 ギリギリの状態、そのほんのちょっとだけゼフィスが抑えていてくれているのだろう。

「僕が抑えている内に、た、の、む」

 そして声の主自身も、抑えている力が暴走すれば大変な事になることを感じている、と。

(今のままじゃ手数は足りない、か)

 静流は素直に引き下がって、元来た道を戻る。パートナーとの通信を再開して、状況をまとめる。

(こいつは思ったよりも厄介だぞ)

 少しだけ正気がある人間。それを倒さなければならない。ヘルプを頼むにしても、口の堅い人間でなければならない。

 ただ残念ながら、そういった人物に心当たりはあるのだった。頼むかどうかはさておいて。


                 *****


「暴行、傷害事件の常習者、ですか。酷い人間だ」

「札付きのワルだな。俺なら記憶を取り戻したところで罪悪感で泣き崩れている」

 学園からの帰り道、総司はバイクを押して、竜二は肩を落として話していた。

 御村竜二、その名の男のプロフィール情報は簡単に手に入れることが出来た。隣街の武藤ニュータウンで何回か補導されていたのだ。

 御村是音からの情報提供もあり、詳しい情報はまだなものの、大方は掴めた。

「俺という正体って何でしょうね」

「ん、まぁ、そう思うよな」

「えっ?」

 総司はどんな言葉が竜二から吐き出されるか予想がついていた。このレベルの質問、いや、似たような疑問を色んな人から聞いた気がする。

 ストイックな奴に好かれる体質というか、貧乏くじを引かされる運命というか。

「そんなものに答えは出ねぇさ。ここで歩いているお前が今の御村竜二だ。それ以外に何がある」

 一見して不真面目な回答だが、真っ当であり、真でしかなかった。

「本質が何であるか、なんてさほど重要じゃないんだ。過去は過去だ、どうあがいても取り戻せない。自分の責任で死んだ奴も、復讐する相手の友人の命も、やっちまった相手は生き返りゃしない。」

 自身の経験を振り返りながら総司は言う。それが竜二に通じるかどうかは分からない。例え話ぐらいにしか聞こえないかもしれない。

「でも、俺以外の俺自身が俺の意思でないことをし、別の記憶を持っているだなんて、どうしても疑うでしょう?」

「それは気の持ちようだな。生きてれば自分が自分じゃない選択をするなんてこと、何度もある。たとえ綺麗な言葉で並べようが追い詰められれば思ってもみない事をしでかす。それが人の本性だと断定するわけじゃない。普段と荒事で性格が違う奴なんてごまんといるしな」

 自分が自分じゃない行動を取るのは最近じゃよくあることだしな、と総司は心の中で付け加える。

 昔はフォローされていた方なのに今では神威や優雅のフォローをしているからだ。

 と、そう言ったところで当の竜二には半信半疑であった。当然であろう。付き合いは3ヶ月にも満たない。

 毎日顔を付き合わせているが、本当のところ総司の所にいるのが竜二にとって正しい事なのか、総司にはまるで分からない。

「今のお前はどちらかといえば頭でっかちに考えそうだからな」

 本来の御村竜二は頭で考えるよりも手が出る性格であったのだろう。普通の人間は他人を傷つける事にブレーキが入る。

 そのブレーキがなくなった時、人は慣れる。慣れた後は、越えてはいけないラインまでのチキンレースだ。

 だが今の竜二は普通にしていれば虫も殺せない。包丁の扱いも一から教えなければならないほどの不器用さだ。

 自分から道を外す勇気も気概も無い。いわば真っ白な人間だ。これからいかなる色にでも染まる事はできよう。そんな人間が自分の色が何色だと考えているのだ。なんとバカ正直なことだろうか。

 学生時代、自分の色に散々迷っていた男のことを思い出す。

「自分が何者かを考えるより、これからどうするかを考えることだ。黒いモンスターに出会ったらまた豹変するつもりか?」

 総司自身、宿敵に出会って豹変する人間に手馴れてしまった感はある。しかし、何度もされては心労がある。

「それは」

 足を止め、口ごもる竜二。

 そこは公園前。総司や神威が住み、竜二も住み込んでいるアパートへの近道となる公園。道をまっすぐ行けば静流神社に登れる階段がある。

「俺はお前の答えまでは手を貸せねぇ。それはお前の意思一つだ」

 総司は言って、竜二の肩を2回叩く。それには特に意味は無い。

「先に帰りな。店を片付けに行ってくる。」

 喫茶店を空にしたまま出てきてしまっている。静流神社の喫茶店に盗みに入る輩はいないだろうが、このまま帰るにはあまりに無用心すぎる。

 このまま竜二を一人にするのは危険だが、総司は竜二が先に進むことに賭けることにした。根拠は無い。


理由があるとすれば、総司はギャンブルが得意で、今日はツキが向いているほうだというところか。



 竜二は公園前で総司と別れ、公園内の中ほどでベンチに座った。先に帰れと言われたものの、このまま帰る気にはなれなかった。

『自分が何者かを考えるより、これからどうするかを考えることだ』

 総司の言葉を反芻する。それは竜二の中でも大事な事に思えた。

 記憶を取り戻したかったが、思っていたよりも綺麗な人間でなかったことを知って、後ろを振り返るのはやめにしたかった。

 だがモンスターの人を襲う習性と自分の本質を考えてしまうと思考が立ち止まってしまった。

 己の中に全てを破壊したい欲求があるなど認めたくは無いが、本当に追い詰められてしまった時、しでかしてしまう怖れがあった。

 それが本来の自分であることを認めたくは無いが、認めてしまって楽になりたい弱い考えが隅っこにあった。

 風で周りの茂みが揺れ、体が震える。

 今目の前にあのモンスターが現れたら?

 今度は自意識を保っていられるのか?

 そんな考えが湧く。無論、現れた瞬間殺されることもあろう。そう考えると、暴走してしまった方がマシかもしれないとも。

「あの時」

 神社の境内でモンスターに出会った時、無我夢中で動いて、記憶はうやむやになった。

 頭がパニックになるより体が熱くなった事を思い出す。それは恐怖感からだったのだろうか。

 またおぼろげに色黒の肌の女性のことを思い出す。一瞬だけ自分が襲われるところを救ってくれた女性。

 あれは誰だったのか、何だったのか。はたまた自分が作り出した幻だったのか、と。

 再び茂みが揺れる音がする。もう体は震えない。思い出す記憶があって落ち着いてしまったのかもしれない。

(帰ろう)

 今夜は眠れそうに無いが、すこし気が楽になったように思えて立ち上がった。女の事を考えて、というのが気恥ずかしい話だが。

 三度目の茂みが揺れる音。今度は気にする事は無い。腕に鎖を巻かれ、その場を引きずり落とされることさえ無ければ。

「だっ!?」

 予想外の方面からの力のかかり方に竜二は痛みと驚きの声を上げる。またその瞬間、何かが空を切ったように感じる。

 巻かれた鎖は上方に伸びており、公園の木々の上まで伸びていた。そして座っていたベンチは左右真っ二つに割れていた。

 ベンチがあった場所の後ろの茂みに真っ赤な目のようなものを輝かせた黒い何かがいた。ひょっとすると先ほど揺らしていたのはコイツのせいかもしれない。

 そうすると腕に鎖を巻きつけたのは誰だろうか。危機一髪をすんでのところで救ってくれるお節介は誰だろうか。

 それを考えるより前に、モンスターは飛び掛ってくる。腕に鎖が巻き付いているものの、竜二の動きを鈍らせるほど重いものではない。

 余裕で飛び退いてかわす。相手の動きが見えているわけではない。どちらかといえば暗くて距離感が掴めない。

「野郎」

 もうモンスターを前にしても意識がなくなることはなかった。竜二はそれに気付かず歯噛みする。

 このままでは殺されてしまうのに対抗する手段が思いつかない。逃げるにも背を向けるのは危険すぎる。

 そこまで考えて、モンスターの恐怖よりも何とかしようと思う思考に気付く。自分が戦う手段は無意識下にあって、今の竜二にはどうしようもないことであるのに。

『俺はお前の答えまでは手を貸せねぇ。それはお前の意思一つだ』

 総司の言葉が再び蘇る。答えは出た。そうするためには自分の中にある力がいる。

「俺を進ませてくれるなら」

 竜二の様子を伺っていた黒いモンスターは彼の決意を知ってか再び飛び掛ってくる。竜二も言葉を紡ぎながら根拠も無くモンスターへ足を前に踏み込む。

「俺に力を出させろぉ!!」

 その一瞬は無我夢中で竜二自身は覚えていなかった。しかし、彼は生き残った。モンスターと竜二は交錯し、モンスターは上下真っ二つに斬られて霧散した。

 彼の手にしっくり収まっていたのは剣だ。飾り気の無い意匠の唾と柄だが、刀身の白の刃の中ほどに淡い碧の意匠が施されていた。

 それはファクトスフィアのエクスレイヤー。竜二の、ディラッド・エウリュディーケの剣であった。


                *****



 時明院家の次代はすでに刹那の次男春樹に移っている。

 とはいえ時明院宗家としては当主を規定することが重要なのであって、世間的には時明院家屋敷の当主は刹那のままだと思われている。

 当主として指名された時明院春樹は普通に大学に通学している。当主でいることに特別な資格など要らない。

 無能でなければ。

 長男の時明院秋人を当主にすることはやはり認められなかった。無論、本人も辞退した。

 お家騒動などとただでさえ家名と血統ぐらいで続いている時明院家を割ることはつまらないと判断したからだ。

 分家が増長する事を承知で刹那は陰陽師として能力のある春樹を当主にした。秋人もそれに賛成し、自ら家を出た。

 家を出ることで時明院家を名乗る事を許されていたのだが、刹那も秋人も名を大事にする分家を笑っていた。

 初めは蔑みにすぎなかったそれは半年で笑えないことになった。

 時明院分家と繋がりのある本土の議員の逮捕事件。その手柄を上げたのは連邦の公安局。

 秋人が所属する情報警察組織にそれをされたことで、分家たちは政治家たちの信頼を失った。

 資金援助と微小な土地転がしで名家を保っていたが、転がるように下へと落ちた。

 時明院宗家としてはそれらに何も対処しなかった。宗家がAAAに協力することは刹那の個人的な決め事である。

 組織への紹介はするが、それは形式的なこと。それでエージェントになる分家の者は少なからずいたが、彼らは大抵が分家に反感を持つ者たちであった。

 どちらかといえば秋人よりの意見を持つ者。陰陽師として力を示す事が一番大事ではなく時代とともに変わり続ける事が重要だ、と未来を信じる若者たちだ。

 刹那もその意見には賛成であった。とはいえ主家として一人だけがその流れにしてしまうことは不可能であった。

 これが時明院刹那一人の時であれば可能であったが、AAAに協力している今の内は自分勝手なことはできない立場になってしまっていた。

「家を存続させることに固執するのも滑稽だが、波風立たせないよう努力するのも同じように馬鹿らしい話だ。そうは思わないか」

 障子を開け放ち、庭が見える和室で茶を慣れた手で点てる男性。40近いというのに老けを感じさせない若々しさを持った男。

 黒髪の男、時明院刹那は縁側に座っている褐色肌の女性にそう言った。

「これから家を存続させようという女に嫌味? 私は存続のほかにもいい男を捕まえようとする意地もある。ほっといてよ」

 彼女は鳳(おおとり)皆樹(みなき)。時明院宗家の傍流、鳳家最後の忍者である。

 古来情報収集や工作を受け持っていた昔ながらの忍者はほぼ失われた。観光用としての忍者は存在しつつも、管理するのは忍者をやめて文化を存続するだけの者たちだ。

 鳳家は時明院宗家と繋がりがあることで、弱々しくも命脈を保っていたが、ミナキが最後の一人になってしまった。

 褐色といえる地黒の肌も、金髪も天然由来だが、彼女は日本人である。忍者らしく(?)本職を隠して生きる彼女の仕事は雑誌のモデルである。

 美形を生かして婿探しをしているのだが、それも今は空振り続きのようであった。

「そんな話をするためじゃないでしょう? それとも次には秋人の話でも続くのかしら」

「それも悪くない。が、私も口うるさい老人のように思われてはかなわない。本題に行こう」

 ミナキは刹那に背を向け、かすかに振り返りながら言い、刹那は返答しながらお茶を一啜り。

「ゼフィス・エントクロマイヤーの捜索だ」

「お断りね」

「ほう」

 鳳家は宗家に協力するのが筋。だが、ミナキは依頼について断りを即答した。気に入らなかったわけではない。

 そも、ゼフィス・エントクロマイヤーなる男は知らない。

「そいつなら武藤ニュータウンに隠れてる。知り合いがそいつに遭遇して、しばらく街に近づくなって警告してきたからね。」

 ミナキとてモデルの仕事がない時は水商売を不定期でやっている。知り合い、静流・クラウドとの縁もそういうことである。

 無論、向こうも彼女が忍者であることはすでに知っている。

「虫の知らせ、という奴かな」

「さぁね。他に無いなら帰るけど。ここは落ち着かない。」

 用事が手早く済んで微笑む刹那に背を向け続けながらミナキは立ち上がった。成人男性顔負けの長身が映える。

「少し前から変なのが藍明守に徘徊している。気をつけてな」

「それならもう会った」

 今回ばかりは先見を持つ時明院刹那からしても一歩遅い事態がこの藍明守を覆っていた。


                 *****


「あれ?」

 竜二が自然に目を覚ますと、そこは自分の部屋だった。

「うん?」

 どうにもこうにも記憶が薄い。窓から日が射すことから朝なのは間違いない。

 であれば、如何にして帰宅し、如何にして自分の部屋に戻ったのか。

(えーっと)

 すっきりした頭で昨日の出来事を思い出す。

 モンスターに対し、理屈ではなく気合で白い長剣を出した。あれを【エクスレイヤー】だと直感的に知っている。

 そして、その剣はモンスターを容易に叩き伏せられることを知っていた。それはその通りで、まさに一撃で叩き伏せた。

(その後だ)

 さらに記憶を辿る。自分の腕には鎖が巻き付いていた。鎖の出所を確かめようと目で辿った時、でかい何かが降りてきた。

(だめだ、そこまでしか覚えてない)

 酷く曖昧な記憶で、喉に何かがひっかかったような錯綜が頭を支配する。しかし身体は正直だ。素直に空腹を訴えてくる。

(何か冷蔵庫にあったっけ)

 昨日の騒動で買い物にすら行っていない。

 次々と襲い来る生理的な問題に頭を抱えながら、もしもなにもなかったら素直に総司を頼ろうと思いながらリビングに向かう。

「おはよう」

 どこか見覚えのある地黒の肌の美人がテーブルのバターロールで朝食を摂りながら朝のニュースバラエティ番組を見ていた。

 そして馴れ馴れしく挨拶をしてきた。おぼろげな記憶と食欲、唐突な状況が重なって竜二は言う。

「どうして誰で食ってるのですかな!?」

 自分で何を言っているのかは分からないが、混乱しているのは自覚している。

「いや、一から整理しよう。牛乳残ってたっけ?」

「飲んだけど」

「どういうことなの!?」

 冷蔵庫を開けて、背を向けながら聞こえる無慈悲な答えに竜二は叫ぶ。仕方ないので水出しのお茶をドリンクにパンを食す。

「なんでいるの?」

 空腹がとりあえず満たされて、誠に失礼だがぶっきらぼうに聞く。むしろ相手が失礼千万なのだが。

 名前は当然知らない。見覚えがあるのは昨日会ったからだ。よくよく見れば、昨日のおぼろげな記憶と一致する。

 無論、よくよく見れば美人なので、いやらしげなことをしているような感じもある。

 とはいえ、会ったばかりの女性にリビングを占拠される言われは無い。

「あたしもこのマンションに住んでるのよ」

「ああ、それで」

 納得しかけたが、あんまり理由にはなっていない。このマンションは総司が所有し、自身も住むマンションだ。

「目立つからね、あなた」

「そうかぁ」

 こちらが知らなくても相手が知っている大きな理由だ。若夫婦の旦那の方の厚意で住まわせてもらっている。

 絡みのアレやコレを見られていることもあるだろう。

「その時はなんとも思ってなかったのに」

「ありがとう。助けてもらった」

 竜二は素直に感謝を述べる。思い返してみれば昨日は二度も助けてもらっているのだ。

 見た目には分からないが、この美人のどこかに鎖が仕込まれている。言葉にすると恐れ多いが、命の恩人に怖れを抱いても仕方ない。

「あなたがこの騒ぎの何かを握っているとなればお節介も良かったように思える」

「うん?」

 水出し茶を飲みきって、疑問符を浮かべる。ずっと彼女は表情を変えていない。笑いも、マジメになるでもなく。どこか値踏みをするような、でも気だるげな目線を向けている。

「騒ぎの大元は武藤ニュータウンにいるゼフィス・エントクロマイヤーってヤツらしいから、今日中にあなたのとこの上司が動くんじゃないの」

 そう言ってようやく彼女は竜二から視線を外した。


                 *****


 平日の昼前。学園校舎は静まり返っていた。異常な犯罪者により警備員が全滅するという不測の事態で一時休校となったのが表向きな説明となっている。

 出勤してきている教師はAAA関係者に限ってのことで、校舎内はやはりほとんど人気は無い。

 学園の第一会議室。そこに今回の対策室が設けられていた。もちろん予防策を立てるのではなく、事態を収拾するためのAAAが中心になった対策会議である。

「すでに事態は後手に回っている。武藤ニュータウン地下遺構、そこが本丸だ。目標物はゼフィス・エントクロマイヤー。奴があの黒いバケモノを生み出している。死体が上がってきていないだけで、ニュータウンの方ではいくらか被害が出ていると見ていい」

 時明院刹那は神妙な面持ちで告げる。もうほとんど組織のために外出しない彼だが、今回ばかりは深刻さを受け止め、対策室に出張ってきた。

 彼の情報は、昨日聞いた話と、その後ニュータウンの情報元に確認をとったものになる。藍明守だけいてはここまで詳細には分からなかっただろう。

「素早く情報が揃った事は幸運だ。しかし。」

「投入戦力が心許ないな」

 ポナパルトは会議室中央に広げられた武藤ニュータウン地下遺構の大まかな構造に目を落としながら話のトーンを落とす。

 話を続けた出雲総司の言う通り、今回の一件、とにかくタイミングが悪い。列島に残留するAAAエージェントは総司のような兼業者を除いて世界各地に赴いてしまっている。

 本来そのような状況を埋める為の総司ら遊撃隊であったが、神威や優雅は本土に出向いてしまっている。戻るのに1日か2日かかってしまうだろう。

「私は貴方がたの作戦に付き合う義理は無い。しかし、ゼフィス・エントクロマイヤーの討滅であれば、指示を受けよう。」

 と、言うのはこの場にそぐわない眼鏡をかけたスーツ姿の男、御村是音。

 総司もポナパルトも戦力が心許ないというのは無力化に拘っているためである。

 彼らはゼフィスの動向について、未だに理解が及んでない。

「ゼフィス・エントクロマイヤーが今なんとか抑えていても、いずれ限界が来る。そうすればあるのは滅ぼしあう未来だ。貴方がたが決断しなければ、この世界の何の力を持たない人間がまず食い尽くされるのだ」

 是音は脅迫する。彼の予測は正解ではないが、そういう未来が迫っている事はポナパルトの押し黙り方で分かる。

 彼の予知能力が働かないということは、未来の姿が揺らいでおり、確定できないということである。

 正しい未来を確定する要素は分からない。いや、ポナパルトが迷っているからこそ確定されないのかもしれない。

「ゼフィス・エントクロマイヤーを、破滅の王の討滅を命じろ。私はそれを全力で実行する。私はそのためにここに来た。」

 見た目こそ地味な印象の御村是音だが、その言葉は重みがあった。たとえ命を失っても、その命の限りをゼフィスへとぶつけようとする凄みがあった。

 彼によって滅びる未来から意識と魂だけ飛ばされ、別人に乗り移って今この場所にいる御村是音、いやゼラード・ティウス。

 その身の上は突飛であったが、彼の言う危機が表面化した以上、彼を頼らないという選択肢はありえない。

 とはいえゼラードの事情を知るというゼフィスの父ロフィスが会議に現れていない以上、ロフィスもまた迷っているのだ。

 父親がいないというのに決断をしなければならない。藍明守での指揮権はポナパルトにある。

 時明院刹那はその指揮に関係なく、独自行動する権限があるものの、それでもって現場を混乱させることはしない。

 むしろ、この場では協力的なぐらいであろう。

「倒せるかどうかは実際やり合わないと分からんさ」

 ポナパルトの迷いを察して、総司は口を開いた。

「確かにこのままあいつを討つ方針にしたら、こいつはゼフィスを殺すだろうさ。だが俺は、いや、俺たちはアンタの未来通りに事を運んできたことは一度も無い。任務の結果は俺たちの思い描いた通りにもなったし、そうじゃない時もあった。この後のことがどうなるか分からない以上、最終的にあんたの判断に従う。こいつの思い通りにゼフィスを殺れるかどうかは分からんよ。」

 総司の言い分に是音は顔をしかめたように、苦虫を潰したようにも見えた。そして、ポナパルトはといえば一度目を閉じ思案してから、再び目を見開いた。

「これよりゼフィス・エントクロマイヤーの排除行動を開始する。今持てる戦闘行動の準備、想定される状況対策に入れ」

 抹殺ではないことから些か言い訳じみた命令ではあるものの、これならどちらでも取れるという意志であろう。

 ポナパルト本来の優しさ、弱さを再確認して総司は微笑んでしまうが、すぐに真顔に戻って移動手段の手配に入るのであった。

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