2 欠片の魔物

「下水道調査、そりゃ構わんがね。それはわざわざあんたが出向く事かい?」

 女性の不審死の一件から明くる日の昼間、武藤ニュータウンホテルのオーナーである若い男が静流の事務所にやってきていた。

 依頼内容は明瞭で、下水道調査である。だがその依頼をホテルのオーナー、しかもニュータウンの裏全体を取り仕切る若きボスがしてくるのは解せないということだった。

「この街はよからぬことを考える輩が多い。貴方がこのバランスを保つ者の1人と考え、こうして私自身出向かせていただきました。昨日の不審死が、もしも尋常ならざる相手であれば、善良な経営者であるこちらでは対処しかねます。」

 静流と同じく違法薬物嫌いだが、裏カジノを開いて多数の金持ちと繋がっておいて善良な経営者とはよく言ったものだ。

「了解。上に影響出ないようにカタはつけておく。AAAや本土の介入があったらフケさせてもらうがよ。」

「お上が動いてくれればこちらとしても大助かり。公安室が派手に動いてきたらまた相談しに来ますよ」

 オーナーはそう言って事務所へ出て行く。特に依頼状を作らない。社会バランス上のつながりであるためである。

 武藤ニュータウン警察がさほど頼りにならない以上、悪事を監視するのは市民の役目、ということから自然に出来た協力体制である。

 もっともタダ働きではなく、依頼の成功報酬は向こうの判断する金額である。

 静流とオーナーに個人的な貸し借りもあるし、依頼料のピンハネなど起こるはずもない。

「飛鳥、今日中に下水道に入る。準備しといてくれ。」

「オッケー」

 返事をしたのは黒須飛鳥くろす あすか。まだ少女の幼い顔つきを持ちながら、豊満な胸をしている、静流の新しい相棒であり、恋人である。

 彼女は、約2年前、輩に襲われそうになったところを静流が救った少女である。当時、彼女は高校生だったが、現在は卒業している。

 助けた時から彼女は静流に惚れていたが、静流は高校生に手を出すのは拙いとして、卒業まで手を出さないという誓いを守っていた。そういう風に出来た信頼関係であるから、今の間柄は相当気安い。

 いつもの茶色のコートを羽織り、外行きの時は必ず持ち歩くブリーフケース状の黒いカバンのようなものを確かめる。

 静流のイクスペルライザードに変身するためのシステムそのものである。


                *****


 クラシックの高そうな黒いクルマを職員駐車場に停め、御村是音は藍明守の天青雲学園に出勤した。

 スーツは何も飾り気のない黒。紺のネクタイに柄はない。黒のフレームの眼鏡を掛け、これまた黒いカバンを持って職員室に入る。

「おはようございます」

「おはようございます」

「まーす」

 是音の挨拶に返事したのは相川瑞樹とマドカ・フェルナンデスのみ。他の職員は弱々しく返事した。

 入学式や始業式を終えて、御村の存在感は高かったが、それは異彩を放つものであった。

 というのもよく言えばアットホームな、悪く言えばゆるい雰囲気にあった高等部職員室にとんでもなく無愛想な理性的教師が入ってきたためである。

 経験豊富な教頭の橘長明も気圧されるほどであるので、そのプレッシャーは他の一般教師には厳しいものがあったのだ。

 瑞樹やマドカは特科クラスで問題児に慣れてしまっているため、誰が相手だろうと特に問題はない。

 一番の不良教師であり人気者の羽山修などは出会ったその場から世間話をし始める猛者であった。

 そんな是音の割り振りは新二年生特科クラスA組の副担任である。いきなり、とはこの学園では言えない。

 こども先生と名高いものの、これまた特科クラスの受け持ちが長い彼女の元で高等部の特殊性を学び取るように、と配置された正当な理由がある。

「そろそろ慣れましたか」

「いえ。個性の強い生徒、大人びた生徒、タイプが様々なのは面白いとは思っています。進学科の生徒程度にはおとなしく授業を受けてもらいたいものですが」

「私はむしろそうして熱心な授業をしてくれる貴方の爪の切れ端を、羽山神父に無理矢理飲ませたいところです」

 朝の職員室には姿を見せないため、臆面もなく瑞樹は言える。羽山の授業は倫理学なのに大半が雑談で終了する。レジュメ通りに進行したことなど数える程度しかない。それに比べ、是音の授業は静寂がモットー。

 余計な私語、居眠りは禁止で、そうした行為には無言の重圧、または説教が待っている。

 内容はといえば、基本から応用まで分かりやすく解説し、数ある類題をやらせて理解力を増させる極めて論理的な授業であった。

 質問にも明瞭に答え、放課後に質問しに来る進学科の生徒が必ずいた。

 同僚の受けは微妙だが、羽山とは別の部類で人気が高まっているのであった。

「彼とて、形式ばった学問を微妙な年齢の生徒たちに教えることもないと考えているのでしょう」

「理解があるのですね」

「弟が高校生なもので」

 瑞樹が微笑みながら言った事に、是音は形式的に答える。弟、竜二の詳細についてはここで話すべきことではない。

 もっとも御村是音としての記憶が無いので、メールの履歴等で断片的に知りえる情報しかないのだが。

 『御村是音』という人間はエリートコースから落第した人間で、教師としても及第点に足りない人物であったらしい。それ故、両親からも冷たくあしらわれていた。ただあしらわれていただけ良かった。

 弟の竜二の方は月の生活費だけでは足りず、兄に金の無心をしていた。遊ぶ金である。

 両親は、この弟に対して生活費の送金以外はほぼ交流を断っているらしかった。

 是音、いやゼラードとしては血の繋がりの異常な薄さに辟易するばかりだが、それは逆にゼラードがゼラードらしく振舞うことが可能な証でもあった。

 家族とほとんど連絡を取らず、かつ友人関係も薄い人物であったため、成り代わるのは容易であったのだ。

「今日も同じように、と言いたいところですが、昨日、隣の武藤で奇妙な事件が起きたのは知ってますね?」

「ええ、ニュースで」

「マドカから詳細が来ました。授業中に緊急連絡が届いた時は、生徒優先で動いて下さい。特科は血の気の多い子もいます。心配はないと思いますが、暴走させないようお願いします」

「了解です。不審者の侵入がありうると?」

 ニュースでは裏路地の不審死、などと小さく報じていたという程度の事件である。

 隣町の事件を大きく注目する妥当性は見受けられないが、AAAに繋がりのあるマドカ・フェルナンデス経由で警戒すべき事項なのだろう。

「普通の不審者ならば警備員さんたちでなんとかできますが、それ以外であれば御近所のヒーローを呼ばないといけないので」

 近所のヒーロー、という言葉の意味するところは不明だが、理解は出来た。

 是音、というよりゼラードとして、不審死の原因はアレだろう、と容易に想像がついたのである。


                 *****


(前よりも重苦しくなってやがる)

 武藤ニュータウン中心街から少し離れた路地から下水道へ。下水道らしい生臭い嫌な臭いは出入りの時のみで、梯子を下って地に脚が着くと、臭みはなくなっていた。

 その代わり、空気は重苦しく、何かに見られている気配がする。降りてきた場所は地下3、4メートルほど。今のところは地上の喧騒も聞こえる。

 それ以上に水の流れの音が耳をくすぐる。それほど勢いは強くないはずなのだが。

「聞こえるか?」

 静流は左耳に付けた無線骨伝導イヤホンを指で押さえて応答を取る。相手は飛鳥。近くのオープンカフェに待機してもらっている。

 この下水道は曰くつきの場所。何が起こるか分からないので、特殊信号を発信してセンサーをモニターもついでにしている。それに加えて、電波連絡も取り合うのだ。

『今のところはクリア』

 連絡に対してほとんどラグもなく返事が返ってくる。

「これから中心に向かう。反応が微弱になったり、奇妙になったらすぐに知らせてくれ」

『そちらも気をつけて』

 若干心配そうに彼女は言う。2年前の幻影の中で死者が蘇った事件。そのときのことを心配しているのだ。

「分が悪くなったら逃げ出すさ。通信終了」

 静流は声色だけでおどけて無線を切った。

 ほとんど光が差し込まず、非常灯の光が点々と点く水路。先がよく見えない闇の中を、彼は一歩一歩歩き始めた。

 彼の足音だけが地下に響き渡る。特に問題の無い通路が続き、重たそうな扉に突き当たる。

 水路は緩やかに右下へと伸びている。そちらに通路はなく、扉を開けるしか道はない。扉に鍵穴などなく、もちろん鍵も付いてない。

 鉄の扉に触れ、引くと、金属音と共に重々しく開く。というか実際に重い。

 どのような都市計画の元、武藤ニュータウンが作られているのか分からないが、地下水道網は計画図を見てみたいぐらい複雑な構造を持つ。

 この街に地下鉄が通らないのはこの下水道のせいかと思われる。

 そんな下水道の扉を開くと一転、明るくなる。円形の空洞が縦に開いており、静流が開いたような鉄の扉が60メートルほど向こうにも十数見える。

 誰が何のためにこんな中空の空間を開いたのかは分からないが、ここが武藤の中心広場、その真下だった。


                 *****


「マジか」

 静流神社の甘味処の店先で、出雲総司は天青雲学園から打ち上げられた花火の煙の尾を見て声を漏らした。まばらな参拝客は突然の花火の音に周囲を見回している。残念ながら季節はずれの運動会のお知らせではない。

 緊急応援要請。藍明守占拠未遂事件の教訓から実装された周辺に住むAAA構成員や関係者に応援を請う信号弾であった。

 実際に使用されるのは今回が初めてである。にも関わらず、現状構成員で周辺にいるのは彼、総司しかいなかった。

 神威も優雅も本土に出張中だからだ。

「竜二、店番頼むぞ」

「は、はい! ってどっか行くんスか!?」

 店の中にいる御村竜二に声をかけ、神社の階段を事も無げに飛び降りる。後ろから竜二の声が響いてくるが、答えている暇はない。

 手馴れた様子で階段の側に停めてあるバイクを発進させ、総司は学園へと向かった。

 残された竜二はまだ真っ白いエプロンを手の拭きタオルにして頭を掻く。

 世話になったし、拾われた身分でもあるし、不満の声を大にして言う事はできなかった。

 ため息をつく青年の後ろで不意に空気が流れる。つむじ風が巻いたような、低いところから人が飛び降りて着地したような、軽い音。

 竜二は参拝客に子供が混じっているのかと思って振り向く。そこにいたのは人ではなかった。

 黒い何かを身に纏い、人型をしているものの決定的に人ではないと確信できる違和感がそこにある。

 なにより。顔と思われる場所には平たい白い面のようなものがあり、目のような白い穴が2つ開いているものだったのである。

「あ」

 竜二は総毛立つ感覚がして、後退る。緊張で目が乾き、背中はじわりと汗をかく。頭の中は何か思い出しそうで、目の前から散漫になる。

 黒い人型は竜二に向かって歩み寄ってくる。腕に相当する部分が錐状に変形して、いかにも攻撃するという様子だった。

 それに対して彼はまったく動けず、視界が真っ赤に、いや彼の黒い眼そのものが朱に染まる。

 黒い人型は錐を竜二に振り下ろそうとして、後ろから伸びてきた鎖に腕を絡みつかれ動きを止める。

 止めたのは境内にいた参拝客の女性だ。長身で黒髪、どこかの外人かハーフか、肌の色が褐色の美人だった。

 彼女が竜二に向かって何かを言っている。それは見えていたが、何を言っているかまでは聞こえなかった。

「エクス、レイヤー」

 竜二は何事か唱える。彼の右手に現れるのは白く長い刀身を持つ流麗な剣。

「参る」

 鎖を力づくで引きちぎった黒い人型に竜二はぶつぶつと呟きながら剣を突き刺し串刺しにした。慣れたような動きで黒い人型を横一閃に切り裂くと、人型は黒い塵と共に霧散してしまった。


                 *****


 黒い獣は駆ける。足音をたてない代わりに垂れて蒸発する黒い液体を残して走る。一体だけではない。その数は一つ、二つと増していく。

 黒い獣には頭も目も口も無かった。四肢がなんとなく存在し、獣のように走っていた。

 向かう先は天青雲学園。他にはまったく目もくれず、ただあの学舎へと駆けた。

 天青雲学園の方は授業時間中。黒き侵入者に生徒や教師たちは気付かない。

 だが、不審な黒い影を監視カメラで見つけた守衛室の警備員は、校内を見回る同僚に指示を飛ばす。

 パトロール要員たちは電磁警棒を手に、それぞれ黒い影を発見し、影の容貌に驚愕する。

 警棒を打ち付けるも電気を流しても効果は無い相手に為す術なく、彼らは命を、文字通り『喰われる』。口なき口で、牙で、あるいはどす黒い闇で、影…黒い獣は人を頭から、あるいは腕から、腹から喰っていった。

 そこに散らかされる骨や肉は無い。まるで削り取られるように、消えてしまうように、なくなる。

 黒い獣は人の命を喰って、獣ではなくなった。二本の脚で立ち上がり、歩き始めた。

 だが、未だに獣のまま駆ける影もある。それも余計に二本の脚を生やしたタイプだ。

 影たちは人を喰ってなんらかの進化をしていたのだった。それは客観的に見れば意味不明の変化だが、危険を察するには十分だった。

 守衛室の守衛隊長は校長に緊急連絡を行う。その連絡をし終わった後に守衛室の金属製の扉がへこむほど乱暴に叩かれる。

 隊長は受話器を置いて緊急用の小銃を手にした。



『業務連絡です。授業中の担当教師は事前連絡通りに行動。以上です』

 高等部の授業時間半ばを過ぎた辺り、校内放送が流れる。静寂と言われる御村是音の授業だが、この放送には生徒たちもざわめかざる得なかった。

 是音の方は特に生徒たちを注意をせず、咳払いを一つする。とはいえそれだけでざわめきも静まる。

「自習時間とする。この後、終りのチャイムが鳴ろうとも、この教室で待機せよ」

 是音は冷ややかに言葉を紡ぐ。静寂はまた続くかと思われたが、教室の引き戸のガラスを破る黒い爪が現れた。

(俺に感づいたか)

 黒い爪で何度か戸を引っ掻く外にいる何か。それで戸を開けないと悟ったのか爪は引いた。

 次に力ずくで、戸を破った。二本の爪を腕から生やした6本脚の黒い影が是音の前に姿を現す。

 生徒たちの何人かが見たことも無いモノの姿に悲鳴を漏らす。

 影は生徒たちに目もくれず是音に襲い掛かる。影の黒い爪は是音の頬を掠める。是音の方は影の頭らしきところに手を突っ込んでいた。

 黒きモノは飛沫を発し、霧散する。是音の右手が再び現れたとき、手にしていた物は大剣だった。

 真紅の刀身に黒い縁取りがしてある、いかにも特殊な設えの剣であった。しかし、御村是音という冷徹な数学教師にはミスマッチのシロモノだ。

 その真紅の大剣を肩に担ぐと彼は言った。

「待機、だ。いいな」

 彼はそう厳命するとしっかりとした足取りで教室の外に出て行った。

 彼は眼鏡をはずしつつ廊下を歩き続ける。

「俺の前に現れろ、【フラグメント】。全て、斬り伏せてやる」

 眼鏡をはずして放り投げた彼は赤いボロボロのマントを羽織った赤い軽装の戦士の姿になっていた。

 御村是音が校舎を出る。その直後、俊敏かつ本能的な一撃が是音に伸びる。

 金属特有の耳障りな音が響く。是音の紅の大剣で防ぎきったのである。黒い人型にとって不運は、是音が攻撃方向を読みきっていたことだ。

 とはいえ、この人型は今まで遭遇したものより一回りも二回りも大きい。それなのに一瞬の素早さは今までの黒いモノと同じだ。

 是音は息を吐いて、静かに速く吸い込む。剣の柄を握る右手に力を込め、さらに左手を添えて両手持ちに。黒い巨大人型を払いのける。

 剣を振り抜けたところを隙と見た巨大人型が更に踏み込んでくるが、是音は振りを返していく。

 巨大人型は子供ぐらいの大きさはあろうか爪もろとも大剣で薙ぎ払われていく。

「雑魚が」

 黒い塵となって消えていく化け物にぼやく。相手の温さにも、この程度のピンチにも満たされない自分の心にも言葉が響く。

 大剣を校庭の地面に突き刺し、周囲を索敵する。校門に気配を感じるが、敵ではないと感じた。騒ぎを聞きつけた野次馬というところか。

 それはそれで危険ではあるが、こうして索敵して、周辺にフラグメントは存在していない。

 今の巨人型で最後だったようだ。

 是音はゼラード自身の記憶を辿る。ゼラードとして生きた時間軸でのフラグメントの初遭遇はリヴァイアサン事件というものの直後と記憶している。

 『魔王ゼフィス・エントクロマイヤーが出現し、藍明守を中心に電撃侵攻を開始した』

 そのように資料で見たことを覚えている。ゼラードは索敵が不得手だとしても周囲100メートルのフラグメントを見逃すわけがない。

 ならば、御村是音としてゼラードがここにいることで出来事が前後したか、あるいはもっと最悪な事態が別の場所で起きているかになる。

「面倒な」

 ゼラードが小さく声を漏らす。気を抜いたか、あるいはフラグメントの脅威をどのように伝えるかと思考を巡らせたかした時、見知った気配が体を駆け巡る。

 それは何度も対峙した危険信号そのものであり、命の取り合いを経験させた最大の敵の気配である。

 ディラッド・エウリュディーケ。最後の戦いで打ち破ったはずの男が学園の校庭に降り立った。

 時間を逆行した時に巻き込まれたか。あるいはこの時間軸でまったく別の方法で【ファクトスフィア】を埋め込まれ、生成されたか。

 ゼラードは前者だと考えた。なぜならディラッドの装備は、最期と同じく、壮麗な長剣を携え、体の小ささに似合わない全身鎧に包まれていたからである。

「ゼラード」

 ディラッドは長剣を構え、ゼラードと戦う気しかないようだった。脈絡も無い、唐突な宿敵の登場とはいえ、ゼラードとてそれは同じであった。

 ゼラードは大剣を改めて握りなおして、静かに呼吸を整える。今度は他のフラグメントを交えての乱戦ではなく、純粋な1対1。

 これがお互い望んだ決闘であった。構えを取った二人が動かなくなった時、校庭に出雲総司が辿り着く。

 また化け物がいなくなったことに気付いたか、もしくは校庭に異様な雰囲気の二人がいることに不審を感じたか、校舎から窓を開けて見下ろす生徒たちが何人もいた。

 それらをまったく気に留めず、剣士二人はほぼ同時に前へ踏み込んだ。先ほどの巨人型を薙いだ時よりも力強く大剣を打ち込むゼラード。

 ディラッド、全身鎧の青年はゼラードの剣よりも一回り小さい剣を振りぬいていき、ゼラードに真正面で迎え撃った。

 2つの剣が鍔迫り合いを発生させると、出雲総司は今までの経験からしても一度や二度もない総毛立つような感覚に襲われた。

「ディラッドぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」

「ゼラァァァァァァァド!!」

 お互い相手の剣を砕く事しか考えない力だけの勝負。派手な技など必要ないというのか、更に力を増すべく二人は吠える。

 ディラッドの持つ【エクスレイヤー】はフラグメント戦乱初期に開発された不安定なファクトスフィアだった。

 それ故、魔王ゼフィス・エントクロマイヤーに利用されてしまった。直接現れた魔王によってディラッドを含め、多くのスフィア兵士がフラグメント化した。

 ディラッドは異形と化さず限りなく人間の形を保っていた。それは魔王に次ぐ実力を持つという証でもあった。

 一方ゼラードは、魔王が生み出したファクトスフィア、【ヴァティスブレイド】を奪い取り、自らの力として戦陣に立った。

 お互い、何らかのきっかけで立場が逆であり、また同じであったかもしれない。前回はゼラードがディラッドを討ち倒した。今回もそうかもしれないし、違うかもしれない。

 しかし、彼らは憎しみ合っているわけではない。お互いが『倒さなければいけない相手』と認識しているだけだ。

 この勝負には何の意味も無い。戦術的にも戦略的にも。でも前回果たせなかったからこそ、この二回目が大事であった。

 ゼラードは勝ちたいと思いつつも戦いを楽しんでいた。恐らく敗因はそれであった。ディラッドは楽しみつつも、別の戸惑いがあったのだ。

 ヴァティスブレイドは砕けなかったが、ディラッドによってゼラードは押し切られた。大剣とゼラードが宙を舞い、校舎側に吹っ飛んでいく。

 ゼラードは校舎玄関のコンクリートに叩き付けられ、ヴァティスブレイドはその側に転がる。

「がほっ」

 渾身の力を振り絞った一戦に敗北し、彼は咳き込みながらディラッドの方を見る。するとディラッドは剣を取り落とし、頭を抱えていた。

「お前は?」

 すぐにでもトドメを刺しに来るだろうと思っていたが、予想外の反応にゼラードは咳混じりの声を漏らした。

 もしも『あの』ディラッドがゼラードと同じく時を越え、別の人間に宿ったとすれば、弊害が出ていてもおかしくはない。

 ゼラードの場合は御村是音としての記憶がない。表向きは是音だが、中身はゼラード・ティウスそのものだ。

「あ、あ」

 エクスレイヤーは光となって霧散し、ディラッドの鎧は消えてなくなって、白いエプロンを着た少年になった。彼は両膝を付いて倒れ伏した。

「竜二、だと?」

 出雲総司は鎧から現れた少年の姿に声を漏らした。


                *****


 出雲総司と御村竜二の出会いは少し前に遡る。

 簡単に言えば、流れ者の少年の竜二を総司が拾い、店のバイトとして雇った。彼はよく働くし、客受けもいい。ただ問題なのが、記憶喪失なところだ。

 それがどの程度信用に足るか分からないが、不審な人物をいつまでも置いておくわけにはいかない。

 その杞憂が、今回大当たりだった。

 ゼラードの決闘の後で気を失った彼が、学園の保健室でとりあえず保護された。彼が目覚めるまでさほど時間はかからなかった。



 見慣れない天井を見ながら彼は起き上がる。鼻を刺激する薬品の匂いと、簡易ベッドが鳴らす金属音。

 竜二にとっては不可解な場所であることには十分だった。しかし、起き上がった彼には、ここがどこかと疑問符を抱く前に異様な感覚があった。

「ここ、は」

 背中に痛みが走り、場所の疑問符を浮かべる前に自分の身体の異変に疑問符を浮かべた。

「起きたか」

 ベッドの周囲に張り巡らされたカーテンが開けられ、見慣れた男が現れる。出雲総司。今の竜二にとっては上司であり、兄のような男である。

「お前、ここにいる過程、思い出せるか?」

 3つか4つほどしか離れていないのに異様なほどに大きく見える男は至極明瞭な質問をしてきた。

 しかし、竜二に質問を答えられる素材は持ち合わせていなかった。学園の方から打ち上げられた花火に対して総司が反応したことまでしか覚えていない。

「分からないッス」

 竜二は目線を布団に落として、答えた。彼は記憶喪失である。しかし、ここ数日の記憶はしっかりしている。

 記憶を取り戻すためにも、拾ってくれた総司に報いるためにも、彼の店で一生懸命に働いていた。

「なるほどな」

 竜二には見えていないが、総司は強く頷く。

 出雲総司。彼は、九狼神威ほどの経験がなくとも、伊達優雅ほどの戦闘力を持ち合わせていなくても、その懐深さから二人の戦士に頼られる男である。

「俺は、お前が覚えていない、お前の姿を見た。俺はそれが記憶喪失に関係していると思うな。そんでもってだ。お前のプロフィールって奴が意外な所から出て来た。ちょっと説明してやろう」

「え?」

 総司はベッドの側にあった簡易丸椅子にどっしり座って、【御村竜二】について口を開いた。

 御村是音と御村竜二。この兄弟はあまり似なかった。

 恐らく面影や両親の血筋としては似ていたかもしれないが、性格的にも体格的にも好みとしても似なかった。それは兄が気弱で臆病であったからか、あるいは厳格な家庭環境が原因にあるのか、それは分からない。

 事実として兄弟は似ておらず、御村家の家庭環境は完全に崩壊していた。

 まず長男である御村是音の受験が失敗し、父親の言う一流官僚の道は閉ざされた。

 次に、将来の道をまったく期待されていないため、好き勝手に過ごしていた御村竜二は親に兄に金をせびり、気に入らない人間を踏みにじって生きた。

 そして、レイトー率いる新生公安室による汚職の一斉検挙によって、一流官僚として贈賄に耽っていた父が逮捕された。その影響で、母親は心を病んだ。

 そんな坂を転がり落ちるように変貌した頃、二人だけの兄弟に合い争う男の魂が入り込んでしまったのだった。

「有体に言えばクズ、だな」

 話し終わって、総司は軽くシメた。竜二はうなだれた。

 【御村竜二】という人物。暴力事件は日常茶飯事、酷い時は刃傷沙汰で、年上にも容赦なし。やっていないのは異性への暴行ぐらいか。

「まぁ、俺よりはマシだ。気にするな。」

 総司はそう言って苦笑する。自嘲にも見える。それもそのはず、ご存知の通り、彼も藍明守に来た直後は暴れていた。

 故郷にいたときは自分の王国のつもりで仲間と派手に暴れていた。今では愛し合う仲の暦にも、始めは伊達優貴に近づくためのネタとして押し倒した。

 出雲総司に他人をクズと呼ぶ権利はないのだ。

「これらの情報は、いましがた知ったことだ」

 落ち込む竜二に総司は付け足した。直後、戸が開く音が外からした。

「おいでなすったかな?」

 周りを包むカーテンの下に真新しい革靴を履いた歩みが見える。一歩一歩しっかりしていて、とても力強い歩みだ。

「失礼」

 カーテンを開いて現れた者は、男。パリっとしたスーツ姿で、見た目は普通に見えるが、黒縁眼鏡をかけた視線は竜二に真っ直ぐに注がれ、異様な圧力を発している。

「お前、記憶が無いそうだな」

 男の質問に竜二は答えない。竜二は男の姿を見て、顔を見て、何か思い出しそうになっていたのだ。だがそれ以上に頭の中が警告音を発していた。

「お前が、私の弟か」

「え」

 男が発した言葉に竜二は短く答えを発した。予想外の言葉であった。

「この男は御村是音。こいつの情報で御村竜二の、お前のプロフィールが割れた。素直に情報探せる奴に頼めば良かったんだが、ちと都合があってな。」

 竜二と是音の間の異様な雰囲気に気付いているのか、無視しているのか、まったく意に介さず総司は喋る。ただ、竜二には聞こえていない。

「私も、そうだ。弟のことは何一つ、覚えていない。御村是音として残された断片的な情報で知った。だが、それもどうでもよくなったようだ。当の家族が、こちらのことを覚えておらず、そして。」

 是音は静かに、音もなく紅の大剣の刃を竜二の首に当てた。

「貴様がディラッドになっているのならば俺はお前を殺さねばならない」

「何勝手な事抜かしてんだ」

 総司は物怖じせずに大剣の刃を手に取る。彼から奔った光は、刃を伝って是音の元で火花と光がちらつく。

 出雲総司の電気である。是音は傲岸不遜な男に対して、冷たい視線を落とす。竜二には何が起こっているか分からない。

「こいつはウチで保護観察中だ。兄貴がどう言おうと、こっちは譲る気はねぇぜ。」

 総司の睨みが効いたのかは分からないが、是音は剣を引っ込めた。そして踵を返して無言で病室を出て行く。

「店長、俺は」

 竜二はうなだれたまま声を漏らした。ベッドのシーツを力なく掴み、より思い悩んでいるように見える。

「俺は、何者なんでしょうか」

 今の竜二は、【御村竜二】と似ても似つかない。見知った知り合いが分かっても、その物腰から違和感を持つだろう。

「俺も昔そういうことを考えた事がある」

 総司が神威に出会う前の事だ。総司から神威に話したことは無いが、神威は人伝で知っているようだった。

「明確な答えはない。今を生きる自分自身が答えだと思っている。」

 総司は神威と出会う前に、とある一件で一時的な記憶混乱に陥ったことがある。それを救ってくれたのは、外ならぬ愛すべき女性の暦だ。彼は暦にしでかしたことを悔いて、彼女との付き合いを大事にし始めた経験がある。

「だがお前は、何者であるか、というより、自分が【御村竜二】であるかも確信が持てないみたいだな」

 俯いていた竜二は、はっと総司の顔を見る。そしてすぐさま目線を落として、小さく頷くのであった。


                  *****



「アレは【フラグメント】。私が前々から警告していた敵です」

 御村是音がこの学園に赴任してきたのは、以前の【御村是音】の手続きによるもの。彼はこれを好機とした。

 藍明守学園の真・ポナパルトに会えば、協力を取り付けられる確信があったからだ。

 彼の姿は校庭で見せたマント姿ではなく、ポナパルトや職員たちがよく知る、キッチリとしたスーツ姿だ。

 時は夕刻。生徒たちが集団下校し、とりあえずの事後処理が終了した後、学園におけるAAA関係者の一部と御村是音が学園長室に集まっていた。

「フラグメントは自身でエネルギーを生み出すことはできません。人間の命を奪うことで活動時間を延ばします。彼らは狡猾で残酷、かつ自己の意思を持ちません。人類を滅ぼすために生まれた欠片、故にフラグメントと呼称しています」

 そう語る是音の口調は事務的である。そんな説明にさほど意味も興味も持っていないようだ。

「それを知る君は、何者だ?」

 当然の疑問をぶつけるポナパルト。彼の表情は、いつもの訳知り顔ではなく、焦りで汗ばむ普通の男の顔だ。

「その質問に対する簡潔な答えは2つ。1つは私が御村是音なる人物ではないこと。2つ目はフラグメントによって滅亡寸前の未来からやってきたこと」

「未来」

 ポナパルトは反応の言葉に詰まった。信じられない話ではあるが、彼には思い当たる話である。

 真・ポナパルトは予知能力のあるサイキッカー。彼はその予知が、ここ最近まったく働かないことに困惑していた。

 普段は勝手に知らせてくるネタバレに辟易してるというのに、なければないで不安な毎日になっていたのだ。

 確定した未来が能力によって知らされて来ない、ということは、今ある世界が不安定な事象の中にあるということだ。加えて、ポナパルトの予知する未来にネガティブな光景は送られて来ない。彼が生きている未来が無ければ、未来を予知できなくなるのも明らかだろう。

「明らかにすべきことがある。フラグメントとはどこから来る?」

 未来がないかもしれないからこそ、彼は珍しく結論を急いだ。確定した未来にむけて、細かい采配をするポナパルトとは思えない姿だ。

「ゼフィス・エントクロマイヤーです」

 是音が口にした名前はポナパルトも久しく聞かなかった名前だった。

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