第36話 ただいま

 えんじゅ荘に戻った俺たちを待っていたのは、三人の先輩方。


 大量の赤飯を抱えた笹岡さん、その横で静かに手を合わせて祈りを捧げるユナさん、腕組みをして、二人の様子を見つめている松村さん。


「お前はやる男だ。そうだよな久瀬。今度こそ、俺に勝たせてくれるんだよな」

「いやいや、ササオ氏。みのるんは慎重な男だ。今回もなんだかんだ、一歩手前くらいの関係に落ち着いているに決まっているであろう」


 当たり前のように俺たちの関係性で賭けが行われている。えんじゅ荘には、ギャンブルをしないといけない決まりでもあるのか。


 真面目に生きている松村さんを見習ってほしい。


「二人とも、賭けの変更はしないでいいのね」

「えっ、松村さん? 今なんて言いましたか」


「いい質問ね久瀬くん。私はこの二人に、賭けの最終を確認をしたのよ」

「……なんで?」


「なぜって、賭けには胴元が必要でしょう」

「全員グルだった! もうおしまいだよこのぼろアパート!」


 地面に倒れ込んで絶望する俺。凛音はなにがなんだか理解していないようで、ぽかんと突っ立っている。


「で、どうなったんだ」


 好奇心を押さえられなくなったのか、笹岡さんがにじりよってくる。

 逃げ場はどこにもない。というか、チケットを譲ってもらった時点で俺の立場が弱すぎる。


「さあ、答えろ久瀬。赤飯だよな? なあ」

「あの……ええっとですね。いきなり付き合うとかじゃないんですけど」


「んぬぁああああ! 付き合ってなかったぁ!」


 頭を抱えて地面に崩れ落ちる笹岡さん。パーマをかけた茶髪を激しく前後に振り始める。とんでもないヘッドバンギング。脳しんとうに気をつけてほしい。


 一方でユナさんは、勝ち誇ったようにふんぞり返っている。


 凛音と目を合わせてから、小さく頷いた。


 付き合っているわけじゃない。いきなり彼氏彼女というのも、まだ変な感じがするし、アーティストとしての彼女の一面も大切にしたい。それに俺だって、まだ凛音の彼氏だと胸を張れるような人間じゃない。


 いつか、そうなれたときに。必ず。


「とりあえず、これからもずっと一緒にいられるように頑張ろうって感じです」

「み、みのるん……。それはもしかして、結婚を、視野に的な……」


「ええっと……」


 言いよどむ俺の隣で、凛音が首を縦に振った。けっこうな勢いで、風を切る音が聞こえる。


「ぎぃやああああ! 百歩先の関係になっていたとは!」


 次に崩れ落ちたのはユナさんだった。

 その様子を冷静に眺めていた松村さんが、静かに頷く。


「どっちも外れね。罰として、今日の晩ご飯は二人が準備すること」

「「はーい」」


「二人とも、今日の夕飯は楽しみにててね」

「「……はい」」


 困惑する俺たちに背を向けて、松村さんが敗北者たちを引きずっていく。

 結局、このアパートで一番強いのは委員長気質のあの人なのかもしれない。


「なんか、凄いところに帰ってきちゃったかも」


 困惑した笑みを浮かべる凛音。だが、俺は実家のような落ち着きを感じていた。


 たった一月でこの毒されよう。一年経っている頃には、俺も立派なえんじゅ荘の跡継ぎになっているのだろう。


 まあ、なにはともあれ。


「おかえり、凛音」

「うん。ただいま」


 ここからまた、日々は続いていく。

 初恋はまだ、終わらない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

売れっ子歌手になった幼なじみと再会したら、初恋の続きが始まった 城野白 @sironoshiro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ