第28話 アンサー

「笹岡さーん、いますか」


 隣の部屋に向かって呼びかけると、中から物音がした。ほどなくして玄関ドアが開き、エレキベースを首にかけた男が出てくる。


「人を呼ぶときはインターホンを押せと習わなかったか?」

「令和なんだから、むしろ声で呼べ、と習いました」


「さすが俺の後輩だ。その調子で励めよ」


 笹岡さんは嬉しそうにからから笑って、ベースを首から外す。


「俺を呼んだってことは、答えが出たんだな」

「はい」


「そうか。……ああ、まだ言うなよ。こういうのはな、ちゃんとした場所で話すもんだぜ。そうだな。夕方から、時間あるか?」

「あります」


「ならよし。着替えを準備して、五時に駐車場に来い」

「着替えですか。え、銭湯ってことですよね」


「ただの銭湯じゃないぜ。スーパー銭湯だ」


 その違いはこの場合、大したものではないのだけれど。笹岡さん的には譲れないポイントらしい。


「スーパー銭湯ってのはな、いろんな湯船があるってことなんだぜ。仮眠スペースもあって、充実してるんだぜ」

「それは知ってます。わかりました。五時ですね」


「おう。じゃあ後でな」


 という会話があってから、半日。その間は特にすることもなくて、外に出てふらふらしていた。本を買おうかなとか、ゲームでも買ってみようかとか、端的に言うなら趣味探しだ。


 なにかになるためじゃなくて、ただ心から楽しむための時間。これでいいのだと、思える日は遠いかもしれないけど。前を向くっていうのは、足をばたつかせることじゃないと思うから。


 結局、二冊の本を買って家に戻った。布団に転がりながら読んでいたら、ちょうどいい時間になった。


 鞄に荷物を詰めて、駐車場に集合。一番乗りは俺だった。

 少ししてドアの開く音がした。振り返ると、二階ではなく一階。小柄な女性がトートバッグを持って、こっちに歩いてくる。


「おや、みのるんも銭湯かな」

「ユナさんも誘われたんですね」


「うむ。この家はシャワーしかないのでな、湯船に浸かれるとなれば、行かない理由はないのだ。こず姉も来るぞ」


 ちょうどそのタイミングで、松村さんが外に出てくる。俺と目が合うと、


「あら、久瀬くんも行くのね」

「俺が行くことだけは共有されてないんですね。スペシャルゲストかな?」


 こんなわかりやすい場所じゃなくて、現地集合でシルエット見せつつ登場した方がよかったかな。と思ってしまうくらいの伏せられようだ。


「みのるんはどの風呂が一番好きなのだ?」

「特に優劣はないですけど。まあ、強いて言えば露天風呂ですかね」


「王道であるな。ちなみに私は電気風呂」

「おじさん?」


「肩のこりがほぐれるのだ」


 そういえばこの人、めちゃくちゃ肩こり酷いんだった。マッサージされてたとき、悪霊みたいな声を上げてたもんな。


「私は圧倒的に打たせ湯ね」

「渋いなぁ。女性陣、チョイスが玄人すぎる」


 二人そろって体がぼろぼろなのだろうか。だとしたら、もっと自分をいたわってほしい。

 先輩方の体を心配していたら、二階から笹岡さんが降りてきた。


「おー、時間通りに全員集合か。ん、久瀬も行くのか?」

「笹岡さんが言うのはおかしいでしょ。傷つきますよ、俺」


「ははっ。悪い悪い」


 誘った本人に忘れられてたら、いよいよい俺が終わりすぎる。どんだけ影薄いんだよ。探偵か忍者にでもなろうかな。


 そんなことを考えながら、助手席に乗り込む。車内には洋楽がかかって、笹岡さんが車を発進させる。開けた窓から、外の空気が流れ込んできた。


 話しかけられることもなかったので、一人考え事に集中していた。





 ゴールデンウィークともなると、さすがにどこも混み合っていた。到着するまでの道も遅々として進まなかったし、到着した後も人混みの中を歩くことになった。


 なんとかその中を通り過ぎて、手順を踏んだ末に浴槽に辿り着いた。肩までつかって、ようやく一息つける。浴場内はさほど混んでいない。この施設には風呂以外にも食堂やゲームセンターが併設しており、そっちにいる客が多いようだ。


 少しして、体を洗い終えた笹岡さんが隣に来る。髪が濡れて下がっていると、いつもと印象が違う。サングラスもしていないから、普通の人みたいだ。


「どうした久瀬。俺の顔になんかついてるか」

「いえ、風呂のときは派手じゃないなって思っただけです」


「なんだそれ。いつもだってそこまで派手じゃねえよ。さてはお前、茶髪もパーマもチャラいと思ってるだろ」


 陽気な調子で聞いてくる笹岡さんに、首を縦に振って返す。


「はい」

「感覚が高校生だねえ。そりゃあもちろん、所属する界隈によっても違うけど、少なくともうちの大学じゃ普通の範囲だ」


「なるほど」

「だから、久瀬だってちょっとはお洒落したっていいと思うぜ」


「凛音からも似たようなこと言われました」


 やっぱり俺の外見、ちょっと地味だよな。なにかしらの策を講じたいとは思うけれど、それがなにかと言われると難しい。髪色もパーマも、勇気が必要なことだし。無難にファッションから改善していこうと思っている。


「最初のうちは難しいだろうからな。相談してくれたら、一緒に考えてやるよ」

「ありがとうございます」


 ちらっと笹岡さんの表情を確認する。そろそろ、本題に入ってもいいだろうか。いや、さすがにもうちょっと後か。しかるべき場所、しかるべきタイミングって難しい。


 一人で難しい顔をしていたら、笹岡さんが立ち上がる。露天風呂に行くというので、俺もついていった。さすがに王道の露天風呂は、人が大勢いて話どころではなかった。諦めて、設置されているテレビでバラエティを視聴していた。


 のぼせてきたところで、俺たちはベンチに座って外気浴をすることにした。ほてった肌に、夜の空気が心地よい。体の奥で眠気が芽生える。リラックスしていると実感したのは、いつぶりだろうか。


 息を深く吸う。それから、言葉を吐き出す。


「笹岡さん。俺、決めましたよ」

「そうか。それで、久瀬は凛音ちゃんのライブに行くのか」


 息をゆっくりと吐いた。この答えで間違いないことを最後に確認して、緩く微笑む。


「行きません」

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