第17話 次は君の番

 夕飯時のレストランはどこも混雑していて、俺たちも列に並ぶことになった。だが、その待ち時間を苦痛に思うことはなかった。凛音が横にいたからだ。


「『巨大怪獣大戦争シリーズ』はね、三作目が一番人気なんだよ。ネットで配信もされてるから、今度一緒に観ない?」

「せっかくなら、一作目から観たいな」


「おぉー。稔もすっかり巨大怪獣ファンだね。じゃあさ、ポップコーンとジュース買って、朝からぶっ通しで四作品観ちゃう?」

「巨大ダメ人間になるって」


 一作品がだいたい二時間として、四本だから八時間。しっかりフルタイムだ。


「でもさ、やってみたいんだよね。ずーっと映画流しっぱなしで、適当なご飯食べて、疲れたら寝落ちして、みたいなこと」

「それ、アメリカの文化だっけ。だったらもっと人数集めたら楽しいんじゃないか。俺たちだけより、映画のジャンルも増えそうだし」


「いいねそれ! 天才だよ、稔。たとえば、えんじゅ荘の人たちだったら……」

「ユナさんはホラー、笹岡さんは洋画だろうな。松村さんは……」


 あの人が娯楽に興じている姿は、なかなか想像できない。でも、別に嫌っているとも思えない。真面目そうな顔をして、けっこうな酒好き、宴好きなのが松村さんだ。

 顎に指を当てていた凛音が、首を傾げながら言う。


「意外と、真面目な恋愛系かもしれないよ」

「うわー、ありそう」


「それか、コテコテのB級映画とか」

「……好きそうだなぁ」


 あの人の持つ静かな愉快さは、そういうところから由来しているような気がする。


 とまあ、こんな調子の会話をしていたら、あっという間に店内に招かれた。長い待ち時間も、凛音となら気にならない。東京の必須アイテムかもしれない。


 通された座席に座り、メニューを開く。料理ごとにちゃんと写真が貼ってある、丁寧な作りだ。おまけに種類も多い。

 中華料理屋なんて、俺の地元じゃ個人経営の小さなお店しかなかった。そこのメニューは文字だけで、いつも新しいものに挑戦するときは勇気が必要だった。


 そしてなにより、


「辛くなさそうでよかった……」

「そう? 麻婆豆腐とか、けっこう辛そうだけど」


「でも色が真っ赤じゃない。セーフ」

「どんな基準で会話してるの?」


 厳しい訓練のおかげで、辛いという言葉に対して前ほど恐怖を感じなくなった。むしろ内心では「俺が求める『辛さ』に達することができるかな」みたいに挑発すらしてしまっている。


 よくない。すごくよくない。こうやって調子に乗って頼むと、想像以上に辛くて口から火を噴く羽目になるんだ。


「俺は天津飯にするよ」

「辛くなりようがないやつだね。稔ってそんなに辛いの苦手だっけ」


「苦手というかトラウマというか……でも一周回って癖になってきたような」

「え、こわ……」


 凛音にドン引きされてしまった。

 そうだよな。自分でもちょっとヤバいと思ってる。


 俺、自分が思っている以上に周りの影響を受けやすいみたいだ。一年もすれば、ユナさんと笹岡さんを混ぜたような人間になっている気がする。松村さんは……未知数。


「凛音は決まったのか?」

「青椒肉絲(チンジャオロース)定食にしよっかな」


「オッケー」


 ボタンを押して店員さんを呼び、注文する。料理が来るまでの間、お冷やをちびちび飲みながら穏やかな時間。


 そこでまた、意識の端に寄せていた疑問が戻ってくる。なぜ急にデートに誘われたのか問題だ。気になる。だが、聞いてもいいのだろうか。どうしよう。「気になってる男とのデートのための予行演習」とか言われたら。


 凛音に限って、そんなことはあり得ないけど。でも、デートへの知識が浅すぎるせいでろくな想像ができない。『いきなり デート なぜ』とか調べたら出てくるのかな。


 そわそわしている間に、料理が運ばれてきた。凛音との会話が再開して、そんなことを気にしている余裕はなくなった。


「天津飯、美味しい?」

「うん。一口食べるか?」


「いいの? じゃあ,私のお米もあげるね」

「そこはチンジャオくれよ」


 くだらない会話だ。凛音となら、こんなやり取りができる。

 今日が終わるのは、嫌だなと思った。





 最寄り駅を出る頃には、夜の九時を回っていた。遅い時間だと感じるのは、まだ俺の感覚が高校生から変わっていないからだろう。大学生にとっては、むしろこれからが熱い時間帯。でも、俺も凛音も十八歳。酒を飲めるわけでもないから、できることは少ない。


 デートは終わりだ。宣言があったわけではない。でも、なんとなく区切りがついたような気がしていた。このまま歩いて、えんじゅ荘について、部屋の前で別れて終わり。


 次なんてわからない。

 一緒に遊ぶことはあるだろうけど、それがデートとは限らないのだ。


 俺はまだ、覚えている。凛音がいなくなった日のことを。なにもできなかった自分の無力を、半身を失ったような喪失感も。ここに彼女がいることは、単なる奇跡でしかないことを。


 甘えるな。口の中をそっと噛んで、息を吐き出す。


「凛音」


 隣を歩く彼女の名前を、そっと呼ぶ。自分でもわかるくらい、角の取れた声が出た。凛音がこっちを向くのが、スローモーションに見えた。視線が絡む。


「楽しかったよ。まだどっか行こうな」


 デートとは言えなかった。臆病。卑怯者。意気地無し。だめだ。やり直せ。次はちゃんと、「またデートしような」って言うんだ。


 息を吸った。

 そのとき、凛音が軽やかな足取りで前に出た。腕を持ち上げて、細い指を真っ直ぐに伸ばす。その先にいるのは、俺。


「じゃあ、次は稔がリードしてね」


 虚を突かれて、一拍遅れる。

 頷いてから、どうにか言葉を発する。


「わかった。考えとく」

「期待してる」


 なにを渡せば、どんな場所に連れて行けば、この笑顔に報いることができるのだろう。彼女の歌に、並ぶことができるのだろう。


「頑張るよ」


 自信はない。でも、諦められないから仕方がない。

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