第15話 本日の予定

 消化管が上から下まで破壊されるのも二度目。さすがに前回よりはマシだろうと踏んでいたが、そんなことは一切なかった。しかも今回は、他者を巻き込んでの自爆攻撃。望んで受けた傷だ。いい加減、俺も馬鹿だということを認めるべきなのだろう。


「なんで稔はずっと立ってるの?」

「こっちの方が楽だからだよ」


「そんなことある?」


 土曜の朝。今日はやることがないのか、朝から凛音は俺の部屋に入り浸っている。

 朝から、というのは朝ごはんからという意味だ。起きて歯を磨いて、すぐ玄関ドアを叩いたらしい。俺が寝ている可能性を考慮しないあたり、幼なじみは格が違う。


「そういう凛音こそ、なにずっと俺の部屋で座ってるんだ。お前の部屋は隣だぞ」

「ここだよ」


「は」

「ここが私の部屋だよ」


「じゃあ俺があっち行くから、鍵渡せ」

「訂正! ここが私たちの部屋だよ! だいたい、なんで稔はそんな冷たくするの⁉」


「凛音がずーっとこっち見てくるから、落ち着かないんだよ!」


 朝食が終わってからというもの、彼女は椅子から少しも動かず、俺のことを凝視している。顔になにかついているかな、とか思ったが、どうやらそうでもないらしい。言いたいことがあるのかな、と待ってみたがなにもなかった。


 ただ、ずっとこっちを見つめてくる。もう三十分は経った。ずっと目が合い続けるの、そういう類いの怪異だろこれ。


 凛音は眉を「へ」の字に曲げて、不機嫌に唇を突き出す。


「ずーと見てて悪い? 私、稔の幼なじみなんですけど」

「幼なじみが免罪符になるとでも?」


「見続けることは罪じゃないのに」


 凛音は不満そうに、ようやく視線を外す。久しぶりに誰もみてない俺、安心する。


「用件があるなら口で言えよ」

「用件……って言われると難しい話なんだよ。これは」


 凛音は目を閉じて背中を大きく反る。イナバウアーみたいな姿勢になってから、戻ってきて目を開ける。


「稔は今日、昼からバイトなんだっけ」

「そうだよ。来るか?」


「ううん。今日はそういう気分じゃなくてね。……えっと、バイトの後って時間あるかな」

「あるけど。夕方になるぞ」


「問題なし! じゃあ、後でね」


 ひらひら手を振って、部屋から飛び出していく凛音。隣のドアが勢いよく閉まる音。ドタドタと、壁の向こうから音がする。


 なんだろなぁ。なんか、奇妙な予感がするな。

 どこか行きたい場所でもあるのだろうか。……気になるけど、そろそろバイトの時間だ。


 荷物をトートバッグに入れて、部屋を出る。廊下に出たところで、駐車場前の荒れ地に人が見えた。松村さんだ。白いシャツにカーキ色のズボン、麦わら帽子を被って、なにやら作業をしている。


 まだ少し時間に余裕はある。階段を降りて、松村さんのところへ。


「おはようございます。なにしてるんですか」

「今は畑から石を取り除いているところよ」


 また女子大生らしからぬことに汗を流しているようだ。普段は息を潜めているが、この人も結構変わり者である。


 山菜の次は家庭菜園。どうやら松村さん、自分の手で食べ物を確保することが好きらしい。そのうちマタギにランクアップしそうだ。


「久瀬くんはお出かけ?」

「バイトです」


 その単語に、松村さんの目がきらりと光る。


「あら、素晴らしいわね。アルバイトは学生時代に最もやっておくべきことの一つよ」

「英語の直訳みたいなしゃべり方になってますよ」


「失礼。お金の話になると、つい興奮しちゃうの。悪い癖ね」


 そんな台詞を言うにしては、泥だらけで健康的な姿だ。この人がお金大好きでも嫌な感じじゃないのは、あくまで節約が主役だからだろう。


「どこで働いているの?」

「大学の近くにある『四季香(しきこう)』っていう喫茶店です」


「就活に役立ちそうな名前ね」

「ん?」


「なんでもないわ。頑張って」

「はい。あ、そうだ。興味本位なんですけど、今日ってユナさんと笹岡さんはなにしてるんですか?」


「ユナは両肩の呪いを祓うために整体、ササオは軽音の後輩ちゃんとドライブデート」


 先輩方は畑作、整体、デートの三本立てか。いつもに比べたらだいぶ丸いな。とか思ってしまう俺、相当毒されてる。


「ありがとうございます。じゃあ、行ってきます」

「気をつけるのよ」


 完全にお母さんの言い方なんだよな。





 喫茶店でのバイトを終えて、店の外に出る。凛音が集合場所に設定したのは、大学構内の池――ユナさんと下見に来た場所だった。


 休日だからか、池の周りでゆったりした時間を過ごしている人がちらほらいる。

 その中に、凛音もいた。ベンチに腰掛けて、しきりに首を動かしている。だから、俺が到着したのもすぐに気がついた。立ち上がって、駆け寄ってくる。


 声を発したのは、俺が先だった。


「よ」

「おつかれ~。バイト楽しかった?」


「バイトは基本的に楽しいものじゃないぞ」


 なにやら勘違いをしているみたいなので、訂正しておく。たとえ喫茶店好きだろうと、喫茶店バイトは普通に労働だろう。要するに、俺にとってはただの労働だ。


「そうなんだ。好きを仕事にするって難しいね」

「バイトでそのモチベのやついないって」


 就職のときに悩むやつだ、それは。バイトなんて稼げるかとか、楽かとか、なんとなくで決める人がほとんどだろう。俺は喫茶店という響きになんとなく憧れた愚か者。自分の底の浅さに、ときどきびっくりする。


「で、なにするんだ?」

「えっとね、じゃあ、発表します」


 ぴんと人差し指を立てて、凛音が視線を泳がせる。


「これから、私たちは――」


 やけにもったいぶる。テレビ番組だったらCMまたぐぐらいの引き延ばし方。たっぷり時間を開けてから、凛音は勢いよく宣言する。



「デートをします!」

「で、デート⁉」

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