第11話 君の歌になれたら

 重箱は一段目がおかず、二段目がおにぎり、三段目にデザートという構成になっている。

 おかず担当が松村さんと凛音。おにぎり担当が俺とユナさん。デザート担当が笹岡さん。という分担だ。


「ふっふっふ、見よ、この邪悪なカラーリングのおにぎりを」

「ゆかりじゃない。いいセンスしてるわね」


 珍しくユナさんが積極的に調理してくれたのは、八割ゆかりのおかげだ。濃い紫色がお気に召したらしい。あとの二割はごま塩。普通に大好きらしい。


 わかめおにぎりを食べていたら、ぽんぽん膝を叩かれた。右隣に座った凛音が、おかずの箱を指さす。


「卵焼き、私が作ったんだ。食べてみてよ」

「……ん、おう」


 紙皿におにぎりを置いて、卵焼きを一切れ。甘塩っぱくてまろやかで、冷めているのにふんわりする。


「美味い」

「でしょー。今回は上手くいったんだ」


 にへへ、とだらしない笑みの凛音。なんの警戒心もない、無邪気な子供みたいだ。その表情でまた心が揺れてしまう。悟られないよう、視線を逸らす。


 そんなやり取りをしていたら、笹岡さんがジトッとした目でこっちを見ていた。


「お幸せそうだな、久瀬」

「そんな……別に、なんでもないですよ」

「ふぅん。ササオもああいうことしてほしいのね。やってあげましょうか」


 なにを思ったか、松村さんが名乗り出た。頬が薄ら赤い。もうアルコールが回ってきているらしい。


「うぇっ⁉ 委員長やってくれんの? 頼むわ」

「ササオ」


「はいはい」

「あの黒豆、私が買ってきたから。食え」


「……ん、おう……。あれ、こんな感じだったっけ」


 途中までめちゃくちゃウキウキしてたのに、後半はげんなりした顔になる笹岡さん。箸で取った黒豆二粒を、そっと口の中に入れる。


「……しょっぱい」

「ササオさん、辛そう」


 やめてあげてくれ凛音。なにも言わず、そっとしておくのが一番いいんだから。

 松村さんはというと、悲しそうな笹岡さんを見てけらけら笑っている。あの人、けっこういい性格してるよなぁ。


 ユナさんは一人、小さな口で唐揚げを頬張っている。マイペースここに極まれり。ごくりと飲み込んで、ふとなにかを思い出したように俺を見る。


「そういえば、みのるん。この間の件はその後どうなっているのだ?」

「この間の……ああ、あれは結局わからなくて、保留してます」


 俺の横で凛音が、ナンシーさんに向かって一礼する。


「その節は失礼しました」


 そういえば断ってたな、ナンシーさん大作戦。


 凛音に送られてくるメッセージは、のらりくらり躱すという方針になった。その結果、研ぎ澄まされたやばいヤツだけが残ることになったという。大学は地獄なのかもしれない。


 なんとかしなくちゃ、とは思う。なにも考えがないわけじゃないけれど。それを実行することができるかというと、また別問題だ。


「ん、なんだ。凛音ちゃんの困りごとか?」

「はい。ちょっと返事のしづらいメッセージが送られてきてて」


「あぁ、興味ない男から遊びの誘いか」


 恐ろしいほどの理解力で、笹岡さんが全てを理解する。一瞬目が合ったので、気になったことを口に出す。


「よくあることなんですか」

「よくあるもなにも、大学生クズ俳句において『非モテの足掻き』は春の季語だぞ。ちゃんと押さえとけ」


「その人を傷つけるだけの文化、一刻も早くなくすべきでは?」

「最低なものが好きなのが、人間ってもんだ。だから罰が必要なんだよ、少年」


 笹岡さんは缶ピールをぐいっと呷ると、赤くなった顔で凛音に、


「ま、躱し方を覚えるのも社会勉強だ。この先も似たようなことはあるだろうからな」


 なんて先輩みたいなことを言う。

 笹岡さんって、もしかして俺以外にはちゃんとした先輩なのでは?


 凛音は頷くと、胸にそっと右手を当てた。


「はい。頑張ります」


 彼女の隣で、俺はどんな顔をしたらいいのかわからなくて、ペットボトルの蓋をきつく閉めた。





 食事が終わると、笹岡さんがおもむろにギターを取り出して弾き語りを始めた。意外にも、彼が演奏したのは有名なJポップだった。「この方がモテる」と言っていて、意外性が吹き飛んだ。


 そこからは各々が持ってきたフリスビーをしたり、弁当の残りをちびちびつまんだり、ナンシーさんに謁見したり、のんびりした時間を過ごした。


 夕方四時を回った頃に、俺たちは公園を後にした。


 笹岡さんとユナさんは、ブルーシートとナンシーさんを戻しに大学へ。松村さんは夕飯の材料を買いにスーパーへ。

 えんじゅ荘に直接帰ることになったのは、俺と凛音だけだった。重箱はじゃんけんで負けた俺が洗うことになったので、抱えて歩く。


 横を歩く凛音は、一歩ごとに跳ねるみたいだ。発案者である彼女が満足しているから、とてもいい一日だったのだろう。


「ねえ稔。今日さ、すっごく楽しかったね」

「ああ。花見なんて久しぶりだった。……花見、にしては桜の記憶がないな」


「そんなもんだよね。ただの口実になっちゃいがち」


 くすくす笑う凛音の横顔に、また胸がくすぐったい。わずかに苦しい息と、静かに痛い心臓。悔しいぐらい、体は正直だ。


 今日みたいな日がずっと続くなら、どれほど楽だろうか。

 手を伸ばせば届く距離に彼女がいて、でもそれだけで。ただ楽しい部分だけを、共有できていたら。


 でも、そんなことはあり得ない。

 ぼーっとしていれば、いつか凛音はいなくなる。俺が望んでいたそのときは、いつか必ず訪れる。俺よりいい人、なんて星の数ほどいる。


 でも、

 俺は、音楽で劣等感を感じるし、猫には逃げられるし、猫になれるわけでもない。


 だけど、


「なあ、凛音。一緒に夜桜を見に行かないか」


 もしも俺が、

 君の歌になれたら。


 なにかが変わるのかもしれない。

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