第7話 稔のお悩み相談室

「うーん……」


 午前中の授業がないとき、凛音は当然のような顔をして俺の部屋にやってくる。今日は椅子に座って、なにやら難しい顔をしている。


「うーん」


 首を傾げたり、腕を組んだりしながら、ちらちらこっちを見てくる。

 やりかけの課題から顔を上げて、一向に切り出さない凛音に声をかける。


「なんだよ」

「問題です。私は今、なにを考えているでしょう」


「大丈夫」

「大丈夫ってなに⁉」


「そういう問題形式にしなくても大丈夫。略して大丈夫」

「えっ、なに? 興味ないってこと⁉」


「興味がないわけじゃないけど、ちょっとダルいかなって」

「がーん!」


 両腕をピーンと伸ばして、口をへの字にする凛音。目もぺしゃっと横棒みたいになる。絵に描いたようなガッカリ顔。


「もっと興味もってくれたっていいじゃん。私が困ってるんだよ」

「困ってることについては、ちゃんと心配してるよ」


 察してほしそうにアピールしてくるから、扱いに困ってるだけだ。俺は難しい顔をしている幼なじみを無視できるほど、冷たい人間ではないんだぞ。


「稔は相談に乗ってくれる?」

「乗るよ」


「――うーん、でもちょっと言いづらいというか。まだ心の準備ができてなくって」


 ムズムズするのか、凛音は全身を小刻みに震わせる。話し始めるには、もう少し時間がかかりそうだ。


 悩みがあるのは嘘ではないだろう。しかも、けっこうな難題の予感がする。

 ただ待っているのも間が持たないので、立ち上がって台所へ行く。


「凛音はコーヒー飲めるか?」

「ブラックもいけるよ! 大人のお姉さんだからね」


「わかった」

「稔ってコーヒー淹れるんだ」


 凛音は俺の手元にある道具一式を見て、目を丸くした。豆が入った紙袋と、手動のミル、ドリッパー、口の細い電気ケトル。どれも最近買ったものだ。


「喫茶店バイト受かったから、なんとなくやってみようかなと」

「いいね。なんか格好いい」


「大人の趣味だよな。俺は始めたばっかりだから、期待するなよ」

「期待しまーす」


 ハンドルを回して、豆を粗く挽いていく。この辺の知識は、バイト先で教わったものだ。ごりごり削れていく感覚が心地よい。作業をしていると沈黙が気にならないし、これは結構、俺向きの趣味かもしれない。


 セットしたフィルターに挽いた豆を入れて、お湯の温度を整えていく。百度は熱すぎるから、ケトルとコップでお湯を移動させ、八十五度くらいまで冷ます。温度計は持っていないので、このへんは体感だ。


「稔のバイト先、今度行ってみようかな」

「いいけど。なにも面白いことはないぞ」


「稔が働いてるところを見たいの」

「なるほど」


 確かに、俺も凛音がバイトしていると聞いたら、一度くらいは足を運ぶかもしれない。凛音がバイトするなら、ケーキ屋とかだろうか。

 そういえば、昔はケーキ屋さんになりたい。なんて言ってたっけ。


「淹れるところ、近くで見てもいい?」

「いいよ」


 ちょうどいい温度になったお湯を、ケトルからたらしていく。粉全体が濡れたら、十五秒の蒸らし時間。それから、ゆっくり丁寧に抽出していく。


「コーヒーが垂れてくるの見てると、落ち着くね」

「わかる」


 面倒なのは間違いないけれど、生活が豊かになる気がする。敢えて面倒なことをすることで、心が余裕を錯覚する、みたいな。


 ゆったりと立ち上る湯気が、室内にコーヒーの香りを広げていく。

 ぽんやりした表情で見ていた凛音が、不意に顔を上げて目をぱちぱちさせる。


「はっ、家庭的な稔だ……!」

「変な概念に目覚めるんじゃない」


 残念ながら、俺の家事力はそこそこだ。えんじゅ荘でご飯を食べるときは、ちゃんと料理するけど、一人のときは惣菜やカップ麺で済ませがち。


「でも今の稔は、すっごく家庭的に見えるよ。家庭の化身だよ」

「コーヒー淹れただけで、お母さんの頂点みたいな称号もらっちゃったよ」


 そうこうしている間に、二人分の抽出が終わった。

 凛音のコップを手渡す。


「どうぞ」

「わぁ。ありがと」


 凛音は両手で大事そうにコップを受け取って「いただきます」と一口。目を閉じて何度も頷くと、にこっと口角を持ち上げる。


「一番美味しい!」

「一番は言い過ぎだ。でも、けっこう上手く淹れられたかな」


 豆がいいものだから、初心者でも市販のインスタントよりずっと美味しくできる。いい趣味を教えてくれた、バイト先に感謝だ。


「稔のコーヒー。ミノルコーヒー、四月末OPEN」

「勝手に店を開くな」


 凛音はただの元気少女に見えるが、実態は売れっ子のアーティストだ。さくっと喫茶店を開いてしまうくらいのお金や社会的信用はあるのかもしれない。そう思うと、さっきの発現はけっこう怖い。


 凛音の一存で、俺の人生なんて簡単に大回転してしまうのだろう。


 道具を片付けつつ、凛音の様子を確認する。さっきに比べると、ずいぶん気楽そうな顔をしている。今なら、聞いてもいいだろうか。


「さっきの話。そろそろ聞いてもいいか?」

「稔のお悩み相談室だね」


「こちらへどうぞ」


 椅子に座るように勧め、俺は卓袱台の座布団であぐらをかく。目線の高さがだいぶ違う。上からお悩みが降ってくるタイプの相談室、開店。

 凛音は手を膝の上で組んで、指をもぞもぞと動かす。


「……あのね、ええっと、自慢とかじゃないっていんだけどね」

「うん」


「授業とかで知り合った男子から、結構連絡が来てるんだ。遊びに行かない? みたいな」


 心臓を冷たい手で撫でられるような、階段を踏み外したような、息の吸い方を忘れたような、昨日の悪夢を思い出したような。不気味な感覚がした。


 内心を気取られないように視線を外して、迷っているフリをする。

 そりゃそうだ。凛音は可愛くて、明るくて、素敵な女の子だ。モテるのは当たり前。


 たまたま、俺の横にいただけ。


 願っていたはずだ。どうか、俺よりいい人を見つけてくれと。


「凛音はどうしたいんだ」


 それなのに、発した言葉は伺うようになってしまった。情けない。


「波風立てずに断りたいんだけど、どうしたらいいかわからなくて」

「そっか……」


 ――よかった。

 よかった? なにを思ってるんだ、俺は。口の中を噛んで、すぐに頭を回す。愚かな考えが、脳にこびりついてしまう前に。


「俺もあんまり詳しくないから、ユナさんと松村さんに聞いてみよう」


 我ながらまともなことが言えた。でも、相談所にはなってない。

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