第4話 えんじゅ荘で夕飯を
えんじゅ荘に戻ると、外の水道のところにジャージ姿の女性がいた。背の高さでわかる。松村さんだ。水を流しながら、ガシャガシャとなにかを洗っている。
「お疲れさまでーす。委員長さん、なにしてるんですか?」
ちなみに松村さんは、委員長と呼ばれることを嫌がらない。皮肉混じりのあだ名だったらしいが、本人が気に入ってしまったらしい。
振り返った松村さんは、長い黒髪をゴムでしばり、頬に泥をつけていた。食べられる野草探しをしていた、というのは嘘ではないらしい。
「二人とも、おかえりなさい。さっそくだけど、タケノコの下処理を手伝ってくれない?」
「タケノコ⁉」
「これはまた急展開ですね」
「あれ、ササオからなにも聞いてないの?」
松村さんは不思議そうに首を傾げ、二階を見上げた。殺気をまとったオーラが立ち上っている。
……まさか、とは思うが。
「晩ご飯までには戻るように、と言われたんですけど」
「またあいつ、適当な説明をしたのね」
「いえ、俺もちゃんと確認しなかったので……」
会話の流れ的に、茶化されているのかと思ってしまった。まさか本当に、そのままの意味だとは。
「時間が合うときは、住人で集まってご飯にするの。今日はどう?」
「たっ、たっ、タケノコッ⁉」
「ぜひ、ご一緒したいです」
真面目に会話をしている横で、さっきからずっと凛音はタケノコに興奮している。俺の周りを素早く動きながら、松村さんの手元をキラキラした目で見つめている。
「雛森さん、タケノコご飯の準備を一緒にしましょう。久瀬くんはユナの手伝いにいってもらえる?」
「はいっ! 委員長さま!」
「わかりました」
松村のさんの指示に従って、俺たちは二手に分かれる。ユナさんの部屋はドアが半開きになっていて、中をのぞくと小柄な女性が玄関に立ち尽くしていた。真っ直ぐでドロリとした、光のない瞳が薄暗い部屋から俺を捉える。
「……ヤット、キタ」
「こわっ! なんで突っ立ってるんですか」
「見てわからないのかい。私はここでずっと、みのるんの帰りを待っていたんだよ」
「そんな忠犬みたいなことしないでください」
「忠犬はみのるんの方だものね」
「俺はユナさんに腹見せた覚えはないですが……。料理、どんな感じですか」
「台所に、様々な草が並んでいる」
「よしわかりました。全然わかんなくて助けを待ってたんですね」
部屋に上がって状況を確認すると、報告の通り、多種多様な山菜がまな板の上に並べられている。
「なるほど……これをどうしろと?」
「天ぷらにしてくれ、との指令があった。しかし、私は天ぷらの作り方を知らない」
「調べてください」
するとユナさんは、やけに神妙な面持ちで腕組みをする。
「確かに、調べたいのはやまやまなのだがな……。みのるん、私が今日なにをしていたか聞いてはいないかい」
「えっと、奥多摩のやばいトンネル行ってたんでしたっけ」
「いかにも。東京で一番霊が出るというトンネルだ。以来、肩が重くて仕方がないのだ」
「やばいじゃないですか。連れてきちゃったとか」
「まったく幽霊ときたら、足がないからと人に取り憑き、車にただ乗りするなど愚かなことを」
「足がないって、移動手段がないって意味じゃないですからね」
「まあいい。みのるん、料理に戻ろうではないか」
「よくないよくない。お化け両肩に載せてる、妖怪系子供向け番組の主人公みたいな人が横にいるの嫌ですよ」
ユナさんは組んだ腕をほどくと、人差し指を立てて自分の右肩を叩く。なにかするらしい。と思った直後、息を大きく吸い込んだ。
「ん~、破ッ! ふぅ。すっきりした」
「それで済んだら苦労しない!」
どんだけ雑魚の幽霊連れてきてんだよ。そんな大声だけで解決できるの、寺生まれの人しか知らないよ。
頭を抱えていたら、玄関ドアが開いた。前が開いた赤いシャツを着た、派手男の笹岡さんが入ってくる。
「おうおう二人とも、ちゃんとやってるかー」
「ササオ氏、みのるんがなにもしてくれない」
「これ元々、ユナさんに与えられた仕事ですからね⁉」
さっきと一切変わらない山菜の群れを指さして、被害者の顔をしているユナさん。
笹岡さんは額を抑えて、やれやれと首を左右に振る。
「っていうか、ユナさんがお化けのせいで肩が重いとか言うから進まないんですよ」
「どうせ肩こりだろ。おいユナ、後ろ向け」
笹岡さんはユナさんの肩に手を伸ばすと、ためらいなく指で押し込んだ。その瞬間、ユナさんが歯を食いしばって表情を苦悶に歪める。
「ぐぎゃぁああああっ! お、おのれ人間めぇええええ!」
その叫びはもう悪霊本体じゃん。
ユナさんはじたばたともがくが、あまり力はないみたいだ。簡単に押さえ込まれ、十数秒経った頃に解放される。
肩で大きく息をして、ユナさんは押された部位をさする。
「うむ。軽い」
「幽霊だって、こんなぼろアパートには来たくねえって。ほら、料理すんぞ」
腕まくりをして手を洗うと、笹岡さんは慣れた様子で冷蔵庫を開けた。そういえば、入ってくるときもインターフォンなしだった。この部屋はみんなのたまり場みたいになっているし、笹岡さんたちの方が使い慣れているのかもしれない。
「委員長の節約癖には感謝だよな。おかげで俺たちも、新鮮な山の幸にありつけるってもんだ」
「節約癖、ですか」
なじみのない単語に反応すると、暇を持て余したユナさんが頷きながら前に出る。
卵と薄力粉、冷水を混ぜ合わせながら耳を傾ける。
「こず姉は家が貧しくてな、子供の頃から節約生活をするうちに、節約すること自体が喜びになってしまったのだ」
「……なんか、思ったより重いですね」
「うむうむ。えんじゅ荘に住む者は、なにかしら事情を抱えているものであるからして」
「そうなんですか」
「たとえば私は、どうしてもバイトがしたくないから激安物件を選んだのだ」
「恐ろしく浅い理由」
ちょっとしんみりした俺の感情を返してくれ。
油の温度を確かめながら、笹岡さんが自分の番だと発表する。
「ちなみに俺は、車が買いたかったから安いところを選んだ。久瀬はどうなんだ?」
「俺は……適当ですよ」
安かったから、と言えばよかっただろうか。でも、こんなに古い家にする必要があったかと問われれば、そんなことはない。親からはもっといいところにしろ、と言ってもらえたくらいだ。
「へぇ。適当でここを選んだと」
横目で俺を見る、笹岡さんの目は意味深だ。言外に、そんなやつはいない。と言いたげに。だが、すぐに視線は油へと戻る。
「そろそろぶち込むか」
鍋の中で踊る山菜を眺めながら、心の中で思う。
俺がここを選んだ理由など、なにもない。なかったのことが、問題なのだと。
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