第25話:ボクの師匠(Sideルカ①)

 “キタルの森”での試験を終え、ボクは寮に帰宅した。

 ベッドに座り深呼吸しても、しばらく胸の動悸を抑えることができなかった。

 目を閉じると鮮明に顔が思い浮かんでしまう。

 眩しい金髪に澄んだ碧眼の、誰よりも強い男子生徒。

 そう……ギルベルト・フォルムバッハだ。

 入学試験で戦って以来、ギル師匠を思うたびボクの心は揺らぐようになってしまった。


 ボクは学園から遠く離れた地方の村、“ユグファイズ”出身だ。

 魔族圏と近いこともあり、日々魔物や魔族の脅威に怯えている。

 大事にしてくれる村の皆が怯える様子を見るのは、子どもの頃から本当に辛かった。

 だから……。


 ――ボクは……“魔王”を倒したい。


 使命と言ってもいい自分の目標を思うと、自然と顔が強張る。

 少しでも早く魔族の親玉を倒して、人類の平穏を取り戻さなければ。

 “魔王”討伐を強く願ったとき、奇跡が起きた。

 天より大変希少な光魔法を授かったのだ。

 大げさかもしれないが、運命だと思った。

 ボクは人類に平和をもたらす人間なのだと、実感できるようだった。

 でも、"魔王"を倒すには厳しい鍛錬を積まなければならない。

 そこで、数々の優秀な人材を輩出してきた、国一番の“ルトハイム魔法学園”に入学することを決めた。

 懸命な勉強や努力を重ねに重ね、試験に備える日々を送るのは、大変だけど充実していた。

 ところが……。


 ――今から一年ほど前、事故で村の秘薬<転換ポーション>をかぶり、女の子になってしまった。


 村長の怪我を治すため<回復ポーション:E>を取ろうとしたら、間違えて<転換ポーション>を取ってしまい、床に落ちていたバナナの皮を踏んで、頭からかぶってしまった。

 結果、ボクは女の子になった。


 ――あのときポーションではなく光魔法を使っていれば……。


 今でも自分のミスを思うと、歯がゆい気持ちになる。

 <転換ポーション>の効き目は、最低でも四年間。

 男の子に戻るには、本人の戻りたいという強い意志が必要だ。

 ただ待つしかできないのは辛い。

 とはいえ、悔やんでもしかたがない。

 過去は変えられないのだから。

 "ルトハイム魔法学園”に入学すれば、もっと早く元の身体に戻れる可能性が見つかるかも……。

 そう思うと、より修行に身が入った。


 一年後、入学試験を迎え……ボクはギル師匠に出会った。

 "極悪貴族"ことギルベルト・フォルムバッハ。

 地方の村にさえ悪名が轟くほどの悪い人間だ。

 緊張しながらも、ボクはあることを思った。


 ――ギル師匠とは……初めて会った気がしない。


 悪名の数々は聞いていたものの、もちろん会ったのは入学試験が初めてだ。

 でも不思議なことに、学園入学前から知っていたような気がする。

 例えるなら、古い友人みたいな感覚……。

 互いに十五歳前後のはずなのに、もう何十年も一緒に旅をした歴戦の相棒のようにも思えた。

 でも、相手が誰であろうと、ボクは全力を出す。

 そう決心したのに……模擬戦闘ではあっさり負けてしまった。

 まるで歯が立たなかった。

 圧倒的な実力差を感じる。

 これまでの努力が通用しなかった事実に、ボクは打ちひしがれた。

 しかも、あの悪名高い“極悪貴族”に負けた……。

 そのショックは大きく、悔しさに震える中、ギル師匠はボクを見下した。

 いったい何を言われるのだろうか……。

 緊張と不安で胸がいっぱいになったとき……。


(君…………才能あるよ)


 あろうことか、ギル師匠はボクを褒めてくれた。

 その言葉はボロボロになったボクの自信を、繭玉のように優しく包み込んで癒してくれた。

 自分の中で“極悪貴族”という悪評は完全に消えたわけではないけど、“ルトハイム魔法学園”への入学をより強く願うようになった。


 その後学園生活が始まり、“キタルの森”でボクはギル師匠の実力を目の当たりにする。

 あのB級魔物、森林タイガーを倒したのだ。

 たった一人で……。

 上空から見ていたけど、王国騎士団にいてもおかしくないほどの剣捌きに、ボクは目が離せなかった。

 ティナの傷を治した回復魔法だって、ボクなんかよりずっと強かった。


 森林タイガーと戦ったときの真剣な顔、ティナの傷を治すときの真摯な顔を見て、ボクは確信を持った。

 ギルベルト・フォルムバッハ……ギル師匠は悪人、ましてや“極悪貴族”などではない。

 聖人にも負けないくらいの善人だ。

 そして、ギル師匠を想うたびボクの胸は淡い嬉しさでいっぱいになった。

 もしかして、この気持ちは……。


 ――…………恋?


 ギル師匠のことを考えると、居ても立っても居られなくなってしまう。

 だ、だめだ、考えては……。


 ――ボクは“魔王”を討伐しに来たんだ!


 淡い気持ちを打ち消すように頭を振り、部屋に飾った黄色い花を眺める。

 これは<微サンダー草>。

 強く擦るとピリピリと電流が走る不思議な草だ。

 可愛いから、学園の庭に生えていたものを少し採ってきた。

 まだ蕾の花もあるので、これから咲くのが楽しみだった。

 <微サンダー草>を眺めていると気持ちが落ち着いていく。


(君…………才能あるよ)


 聞き心地のよい低音の声とともに入学試験の一件が思い出され、自然と蕾に手が伸びてしまう。

 擦り上げるたび電流が走り、身体が痺れる。

 しばし夢中で擦った後、ふと我に返った。

 急いで指を離して、自分に強く言い聞かせる。


 ――ボクは"魔王"を討伐するためにこの学園に入学したんだ! こんなことをしている場合じゃないだろ!


 ふしだらな自分が恥ずかしくなり、急激に後悔した。

 もう何回目だ。

 勉強しないと!

 ベッドから跳ね上がり机に向かう。

 深呼吸して気持ちを抑えるも、目を閉じるたびギル師匠の顔が思い浮かび、ボクの決心を揺らす。


(君…………才能あるよ)


 ――ボクはこのままでも……いいかもしれない。

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