第26話:教室にて

「……では、本日の講義はこれにて終了です。帰ったらすぐ復習するように」


 教室にマルグリット先生の声が響くと、生徒たちはわいわいと席を立ち上がる。

 一日の授業が終わったのだ。

 いくら国内最高峰の魔法学園といっても、この辺りは日本の中高生と変わらないな。

 なんだか親近感が湧いた。

 隣のカレンとネリーは、授業が終わってもノートに書き込みをしていた。


「今日の魔法史は覚えることがたくさんあったわね。急いで復習しないと間に合わないわ」

「明日もテストだなんて気が滅入っちゃいますよ~」

「まぁ、さすがは国内最高峰の魔法学園だな。勉強会を開いてみんなで復習しよう」


 彼女らの声を聞きながら、俺も一緒に荷物を整理する。

 “ルトハイム魔法学園”では頻繁に実地試験や小テストがあるので、毎日修行や勉強に手を抜けない。

 授業終わりはみんなと勉強し、夜は局部を鍛え、ある意味健康的な生活を送っている。

 断罪フラグはやはり心配だが、充実した日々だ。

 ただ、問題が一つ……。

 懸念点を考えたとき、ドカッと何かが背中にのしかかった。

 ほのかな甘い香りが鼻をくすぐる。


「ギル師匠、ボクも勉強に連れていってください!」

「だ、だから、いきなり飛びつくなって言っているだろっ」


 そう、ルカだ。

 “キタルの森”での試験以来、ギル師匠と呼ばれるほどすっかり懐かれてしまった。

 仲良くしてくれるのはありがたいものの、正直なところ原作主人公と接すると、それだけで断罪フラグを呼び込んでいるようで落ち着かない。

 だが、無下にするとそれはそれで断罪フラグが発生しそうなので、様子見という名の傍観をするばかりだった。


「相変わらず、ギルベルトとルカは仲がいいわね」

「あまりくっつきすぎると迷惑ですよ」


 ルカにベタベタされても、カレンとネリーはそれほど怒らない。

 女の子じゃないからだろう。

 ルカはいいけど、女子と隠れて密会でもしようものなら俺はたぶん死ぬな。

 断罪フラグとはまた別の要因で。

 とにかく真面目に誠実に過ごしたいものだ。

 思いのほか抱きつきの勢いが強く、前かがみになっていたらルカは慌てた様子で俺から離れた。


「ご、ごめんなさい、ギル師匠っ。大丈夫ですかっ」

「ああ、別に平気だよ。ただ、ルカも怪我すると危ないからな」

「その優しさが……ボクをダメにする」

「え?」

「あ、いやっ、何でもないです」


 ルカは俺から離れると、外を見て物思いにふける。

 やけに哀愁漂う顔なんだよな。

 何かこう……内に秘めた自分の意志との葛藤みたいな思いを感じさせた。

 ほぼ毎回行うこの謎の挙動も俺を不安にさせる。

 頼むから断罪フラグは呼びこまないでくれよ。

 さあ帰ろうかと四人で席を立ったとき、ガラッ! と教室の扉が乱暴に開かれた。

 クレマンよりさらにガタイのいい男が姿を現す。

 黄色が強めの金髪はオールバックにまとめ、濃い緑の瞳は猛禽類のように鋭い。

 前世のヤンキーとか不良を思わせる雰囲気だ。

 男は教室を見渡すと、威圧するように言った。


「おい、一年生ども。動くんじゃねえ」


 粗雑なガラガラとした声が教室に響き、一年生はみな帰り支度を止めた。

 男の後ろには、取り巻きと思われる三人の女生徒が控える。

 一年生たちを睨む四人組を見て、教室の雰囲気が変わった。

 隣にいるネリーが心配そうに呟く。


「ギルベルト様、あの人たちはもしかして……」

「ああ、面倒なことになりそうだ」


 先頭の男が誰なのか、前世でゲームをプレイした俺にはわかっていた。

 いや、一年生たちも知っているだろう。

 とある方面で有名だから。

 あいつは……。


 ――ミハエル・エスターライヒ。


 三大公爵家の一角、エスターライヒ家の跡取り息子で、この学園の二年生。

 原作でもギルベルトほどではないものの、高圧的で暴力的なムカつく先輩だった。

 ミハエルに目をつけられると退学するまでいじめられる……という設定があり、”悪童”と呼ばれるほどだ。

 ただ悪いだけでなく、雷魔法の強力な使い手でもある。

 もちろん、ちゃんとざまぁ展開もあり、【メシア・メサイア】の人気に拍車をかけたわけだが……。

 ここに来た理由はわからないが、こういう輩は刺激しないに限る。

 ミハエルは静まり返った様子を見ると、取り巻きを引き連れ満足気に教室の中を歩く。


「まぁ、そんなに怯えるなよ。今日はちょっとした用事があってな。用が済んだらすぐ帰るぜ」


 一年生たちはみな、びくびくとミハエルの行動を見守る。

 無理はない。

 エスターライヒ家はフォルムバッハ家に匹敵するくらい大きな貴族だから、無暗に逆らうと後が怖いのだ。

 それともう一つ、学園特有の事情もあった。

 三年生は基本的に魔法省か王国騎士団のインターンで不在なので、“ルトハイム魔法学園”では実質的に二年生が幅を利かせている。

 ミハエルは教室を闊歩したかと思うと……俺たちの前で立ち止まった。

 緊張した気配が伝わるカレンたちの前に出る。


「俺たちに何か用ですか? ミハエル先輩」

「用があんのはお前だよ、ギルベルト。聞いたぜ、首席合格したってな」

「修行したので」

「あの“極悪貴族”が、なにいい子ぶってんだ。ご機嫌取りかぁ?」


 ミハエルは馬鹿にしたようにヘラヘラと笑う。

 別に怒りなどは感じないが、これ以上話したいとも思わない。


「努力しようと決めただけです。では失礼します」

「ちょい待てや」


 脇を通り抜けようとしたら、ミハエルが立ちはだかった。


「……まだ何か用ですか?」

「ギルベルト、俺と組めよ。そんなしょぼいヤツらとつるんでないでさ。一緒に学園を支配しようぜ」


 ミハエルは得意げに右手を差しだす。

 その手をピシッと軽く払いのけた。


「嫌です。それに、カレンたちはしょぼくないです。先輩よりずっと優秀で、優しい心を持った立派な人たちですから」

「「ギルベルト……」」


 俺の背中からカレンたちの呟きが聞こえる。

 こんな輩といるより、彼女らといる方が何十倍も楽しい。


「さあ、もう行こう、みんな。……俺たち、勉強があるので失礼しますね」


 カレンたちを連れてミハエルの横を通ったとき、見下した声音が俺たちに降りかかった。


「お前らのこと知ってるぜ。“半面の令嬢”に“親無しメイド”、“ぽっと出の平民”。ずいぶんと滑稽な仲間たちだなぁ。……学園に通ってて恥ずかしくねえの?」


 ミハエルがせせら笑うと、カレンたちは気まずそうに俯いた。

 いずれの蔑称も原作通りで、本来なら俺のポジションはルカだ。

 何の因果か、今は俺がルカの立ち位置にあった。

 だが、そんなことはどうでもいい。

 傷つけられた彼女たちの心境を思うと、胸に怒りが沸く。


「まぁいいや、気が向いたら二年の教室に来いよ。お前の枠は開けといてやるから。じゃあな、ギルベルト」


 ヘラヘラと笑い立ち去ろうとするミハエルの肩を、俺は掴んだ。

 ……許せないから。


「おい……謝れよ」

「……は?」


 ミハエルはゆっくりと振り向く。

 教室に入ってきて一番と言っていいほどの、形相の悪さだった。


「聞こえなかったのか? カレンたちに謝れ、って言ってんだよ」

「んだと、こら。誰に指図してんだ、お前」

「三人に謝罪しろ」


 肩を握った手に自然と力が入る。

 ミハエルはわずかに苦悶の表情を浮かべて言った。


「手を外せ、クソガキ」

「謝罪したらな」


 俺たち以外誰も何も言わず、教室を静寂が包む。

 やがて、ミハエルは力強く俺の手を掃うと、何か良いアイデアでも思いついたような顔で言った。


「……そこまで言うならいいぜ。決闘しようや。この学園は訓練場だけはやたらとあるからな。ただし、俺に負けたら傘下に入れ。……そうだ。ついでに、フォルムバッハ家の領地も少し献上してもらおうか」

「ああ、構わない。その代わり、負けたらカレンたちに謝れ」

「笑わせんな、一年坊がよ。生意気な口が利けないくらい叩きのめしてやる」


 ミハエルが取り巻きと一緒に歩き出し、俺もざわめく教室を抜け訓練場に向かう。

 カレンたち三人が慌てて追いかけてきた。


「ギ、ギルベルトッ、何も私たちのために戦わなくてもいいのよっ」

「そうですよ、あんなの聞き流していればいいんですからっ」

「ボクだって全然気にしてませんよっ」


 三人ともそう言うが、見過ごすことはできない。

 だって……。


「俺が馬鹿にされるのは構わないが、カレン、ネリー、そしてルカを馬鹿にされるのだけは許せないんだ。みんな……俺の大切な人だから」


 拳を硬く握り、誓う。

 絶対に謝らせてやると。

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