第20話:悪評と現実(三人称視点)

 全ての組の実技試験が終了してから数時間後。

 ギルベルトが帰りの馬車でカレンやネリーとお喋りをし、ルカがとある思いを抱く中、学園の大会議室に教員陣が集合した。

 無論、入学試験の結果を論じるためである。

 実は大事な人物が一人まだ来ていないのだが、全員が着席するとさっそくスキンヘッドの筋骨隆々な男が口を開いた。


「おい、あの“極悪貴族”ギルベルトがで受験したらしいじゃねえか。何が目的か知っているか?


 2年生の実地試験担当教員、レイモンド。

 王国騎士団で“轟雷”という二つ名を轟かせた彼は、学園の中でも随一の剛力さを持つ。

 ギルベルトの悪評から、特別枠ではなく一般枠で受験したことに強い違和感を感じていた。

 レイモンドの問いに、マルグリットが眼鏡をかけ直しながら答える。


「目的はわかりませんが、実力は本物です。正直……文句のつけようがないかと……」


 彼女が結果表を宙に浮かべて渡すと、レイモンドはざっと眺める。

 そこに記されたのは、筆記と実技、どちらもトップの成績。

 貶すつもりだったが、計画が狂ってしまった。


「……なるほどなぁ。確かに、こんな好成績じゃ文句の一つも言えねえな。学園に入学したら徹底的にしごいてやるつもりだったが、拍子抜けしちまったぜ」


 レイモンドがぞんざいに大きな円卓へと投げ捨てると、今度は別の教員が受け取った。

 さらりとした茶髪に穏やかな茶色の瞳を持つ優男風の男性教員。

 3年生の魔法理論担当、アクセルだ。

 アクセルは結果表を見ると、静かに笑った。


「あの“極悪貴族”と呼ばれるほどの悪童に何があったのだろうね。成績からでも努力の痕跡が窺える。ふふっ、非常に興味深い。2年生や3年生と戦う日が来るのが楽しみだ」


 彼の言葉を皮切りに、他の教員たちも互いに試験結果について話し出す。

 ギルベルトの悪評が持つ印象は強烈で、前評判からはとうてい予想できない結果に、一同は信じられない思いを抱いた。

 ギルベルトについての討論――そのほとんどが良くない話題――が過熱したところで、会議室の扉が開かれ初老の男がひょっこりと顔を出した。


「いやはや、遅れてすまんの。ちょっと昔話に夢中になってしまったんじゃ。年を取るとこれだからいかんの」


 帽子からはみ出る長い白髪を揺らせ、男は中央の空席に腰かける。

 たったそれだけの動作で、教員たちは相談を止めた。


 ――“ルトハイム魔法学園”学園長、シルヴァン・アウストリア。


 十二系統もの魔法を高度に操るシルヴァンは、“最高峰の魔法使い”の名を欲しいままにしていた。

 マルグリットがやや眉間に皺を寄せ、眼鏡をかけ直しながら話す。


「シルヴァン学園長、遅刻癖は直していただきたいとあれほど申し上げたと思いますが?」

「ほんとに申し訳ないのぅ。昔話はいつでも楽しいものなんじゃよ、ハッハッハッハッハッ」

「今日は受験生の合否を決める大切な会議なのですよ」


 笑うシルヴァンに、マルグリットは呆れた表情で言う。

 彼が大事な会議ほど遅刻することは日常茶飯事だった。

 シルヴァンは高笑いを止めると、真面目な顔で語り出す。


「さて、先生方も知っての通り、あの“極悪貴族”ギルベルト・フォルムバッハが一般枠で受験した。理由はともかく、結果はトップだったようじゃな。マルグリット先生、貴殿から見てギルベルトの魔法はどうじゃった?」


 シルヴァンが言うと、マルグリットは姿勢を正した。


「はっきり申し上げて……異次元かと。操作魔法で相手受験生の魔法はおろか、空気さえ操りました。あの“操作魔法で”、です」


 マルグリットは試験の内容を事細かに説明する。

 ルカの光魔法を自分が使ったかのように操ったこと、周囲の空気を圧縮し強力な風魔法のごとく操ったこと……。

 彼女の話を聞いて、会議室は大きなどよめきに包まれた。

 シルヴァンもまた、髭を擦りながら思わず呟く。


「ふむ……想像以上じゃの。ギルベルトは全系統の魔法が使えるに等しい……と言えそうじゃ。まぁ、まだ可能性の域は越えていないが」

「これは魔法学会に報告すべき事案です! “操作魔法の操作対象は小石しかない”、という定説として常識が覆されたわけですから、ギルベルト君から詳しい話を聞いて文献にまとめ……!」

「マルグリット先生。胸熱なところ申し訳ないが、今は入学試験の合否について話す時間じゃから、その辺りはまた今度にしてはどうかの?」


 シルヴァンから諭されるように言われると、マルグリットはハッと口を押さえた。

 魔法史に精通した彼女の記憶でもギルベルトのような操作魔法の使い手はおらず、間近で見た新しい可能性に心を奪われていたのだ。


「……申し訳ありません。少々興奮してしまいました。なにぶん、衝撃的な光景だったもので……」

「いやいや、先生の驚きももっともじゃよ。ワシですら、そんな話は初めてなのだからな。どうやら、ギルベルトが改心したという話は本当だったようじゃの」

「「……改心?」」


 シルヴァンの言葉に、教員たちは疑問の声を出す。

 “極悪貴族”から一番遠い距離にありそうな単語だったからだ。


「一年ほど前から、人格が従来の真反対と言っていいほど変わったらしい。ワシも半信半疑だったんじゃが、この試験結果を見る限り事実だと考えた方が良さそうじゃな」


 そう言われてもやはり納得できないのか、教員たちのどよめきは収まらなかった。


「先生方が戸惑うのも無理はない。実は、ギルベルトの変貌ぶりを証明してくれる人を呼んである。“鮮血の魔導剣士”ことライラ嬢じゃ」


 シルヴァンが扉に向かって言うと、ライラが姿を現した。

 教員たちの視線が一斉に集まる。

 名の知れた冒険者を見て、大会議室は徐々に静けさを取り戻した。


「私はアレキサンダーから頼まれ、この一年ギルベルトの家庭教師を務めた。理由はわからないが、あいつは確かに変わった。善の方向に……。厳しい修行も最後までやり遂げた。あいつは今や誠実な人間だ。私が証明する」


 ライラの話を、教員たちは静かに聞く。

 “鮮血の魔導剣士”の言葉は、学園長に匹敵する重みがあった。


「厳しい修行に耐えた結果、ギルベルトは操作魔法で相手の魔法や、相手自身……要するに人間も操作できるまでに成長した。あいつほどひたむきに努力する人間は他にいないだろう」

「聞けば聞くほど興味が惹かれるの。」


 アクセルとマルグリット含め、教員はみなギルベルトに対する考えを改め始めた。

 だが、ただ一人、レイモンドだけは違った。

 会議室に彼のしゃがれた声が響く。


「おいおい、マジかよ。国王陛下を操ったら国が乗っ取れるじゃねえか。学園長、聞いてくれ。もしかしたら、あの“極悪貴族”はそれが目的なんじゃねえか? 魔法の腕を磨いて国を奪うつもりなんだよ」


 レイモンドもギルベルトの改心を信じたい気持ちがありつつ、根底には“極悪貴族”のひどいエピソードが渦巻いており、最悪の展開を考えてしまった。

 シルヴァンは特に声を荒げたりすることなく淡々と言う。


「まぁ、落ち着いてくだされ。強大な力を持っているのなら、なおさら学園で教育する必要があるとワシは思うの。それに……あのアレキサンダーまで褒めているのじゃよ。“鉄仮面”とも称されるフォルムバッハ当主がな」

「「……っ!」」


 アレキサンダーは人を褒めないことで有名だった。

 だが、ギルベルトの改心で、彼の心境は変わったのだ。

 善良となった息子を自慢したくなった。

 シルヴァンは教員たちに話す。


「実は、ライラ嬢から直接の申し出があってな。教職に復帰させてほしいそうじゃ。ギルベルトの成長を近くで見たいらしい。これほどの逸材、家庭教師で指導が終わるともったいないと言われてしまっての」

「……シルヴァン学園長、後半は言わない約束だったと思うが」


 不満げなライラにシルヴァンは高笑いで答える。

 善の道を歩き出した元悪童と、類まれな力を持つ原作主人公。

 両者が相対することで、この世界はどのように変遷するのか……。

 その結末はまだ誰も知らない。

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