第14話:話
「ギルベルト様、どうぞ遠慮なさらずお飲みください。とっておきの茶葉ですわ」
「は、はい、ありがとうございます」
カップを取り、こくりと飲む。
柑橘類の豊潤で爽やかな香りが、ほどよい苦みとともに広がった。
不思議なことに、それだけで緊張感や不安が和らぐ。
窓から見えるのは、穏やかな晴天と湖畔。
ハルミッヒ家に来たときは景色を楽しむ余裕もなかった。
テーブルを挟んだ向かいにいるカレンも、わずかな微笑みを讃えて景色を見る。
俺は今、彼女の部屋で紅茶を飲んでいた。
使用人もカレンの両親もおらず、ネリーとライラ先生は先に馬車で帰った。
偉大なるご師匠様曰く、帰りは走ってこい、とのことだ。
要するに、正真正銘の二人っきり。
まさかこんな展開になるとは思わず、俺は緊張して何も話せなかった。
「紅茶はどうですか、ギルベルト様」
身体を石のようにしていたら、突然カレンが言った。
びっくりして心臓が跳ね上がり、大慌てで返事をする。
「お、おいしいです! とても! 今まで飲んだどの紅茶も、足元に及ばないというかなんというかですね……!」
もう少し良い褒め言葉を言えよ、ギルベルト……。
慌てれば慌てるほど自分の首を締めてしまう。
二人で話そうと言われたものの、さっきから少しも話題が浮かばなかった。
転生するまでのギルベルトは悪行がひどすぎて、とても口にできるような話がないのだ。
マジで一つも。
こ、このままずっと沈黙が続くのだろうか……。
内心ドキドキしていたら、カレンが丁寧にカップを置いて静かに話し出した。
「実は……ギルベルト様が改心したという噂を、私はすでに聞いていました」
「えっ、そうなのですか?」
「人の噂とは不思議なものですね。聞こうとしなくても、勝手に耳に入ってきます。良い噂も悪い噂も……。あなたの改心ぶりを聞いて、私は考えたくもなかったあなたに、少し興味が惹かれました」
俺が変わったという噂は、知らず知らずのうちに貴族の中で広がっていたらしい。
カレンは伏し目がちに話すも、その顔にはわずかな微笑みがあった。
それを見て、少しだけ安心して話す。
「ですが……俺が改心したなんて、とうてい信じられなかったと思います。実際に会うなんて怖かったでしょう。お会いしてくださって本当にありがとうございました」
座ったままぺこりとお辞儀をすると、カレンがそっと俺の肩に手を当てた。
「ギルベルト様、もう頭を下げる必要はありませんわ。むしろ……頭を下げるのは私でございます」
「え……カレン嬢が?」
顔を上げると、こくりと小さく頷くカレンがいた。
彼女は椅子に座り直すと、背筋をスッと伸ばす。
一転して室内は真面目な空気となり、俺も姿勢を正した。
カレンは太ももの上で手を重ねると、丁寧にお辞儀をする。
そして……感謝の言葉を述べてくれた。
「私の火傷痕を治してくださりありがとうございました。これでもう、仮面をつけなくてすむようになりました。自信をもって人前に出ることができます」
「い、いえ、何を言っているんですかっ。元はといえば、俺のせいでカレン嬢は火傷を負ったのですから、俺が傷を治すのは当たり前ですよっ」
自分の過去の悪行を、自分で清算しただけなのだ。
俺が慌てて言うと、カレンはゆっくりと顔を上げた。
にこりと静かに笑う。
「実際にお会いして、あなたの目を見て、私は実感しました。ギルベルト様は本当に変わられたんだと……。心の根から善人になられたとわかりました。もう、以前のような恐怖や嫌悪感は消えてしまいました」
「カレン嬢……」
彼女の微笑みは、俺の胸中をじんわりと温める。
滅茶苦茶にしてしまった婚約者の人生を、少しだけでも好転できたような気がした。
カレンは少し俯くと、辛いことを思い出すような表情で話し出す。
「あの火傷は……私にも責任がありました。元はといえば、〈火焔魔石〉でつけた火が見たいなどと私が頼んだのが発端なのですから」
「えっ……」
その言葉を聞いて、カレンが負った火傷のエピソードが思い出された。
幼少期のある日、俺は〈火焔魔石〉の火が見たいとカレンに頼まれたのだ。
〈火焔魔石〉とは火属性の魔力がこもった魔石で、互いに強くぶつけると炎が燃え上がる。
火打ち石みたいな鉱石だが燃え盛るのはただの炎ではなく、赤・橙・黄のグラデーションの光を発するのだ。
希少度はBランクとそこそこあるが、フォルムバッハ家なら入手は容易。
実際に炎を見せる日、俺は少しでも大きい炎を出そうとしたらしく、やたらと紙や木の枝を積み上げた。
結果、カレンの顔にも引火してしまい、彼女は深い火傷を負ったのだ……。
ゲームでは静止画が数枚流れる程度だったが、頭の中ではギルベルトの記憶が生々しく蘇る。
炎に包まれる恐怖と火傷の痛みは大変に苦しかっただろう。
「〈火焔魔石〉なんて珍しい鉱石は入手するだけでも難しいのに、私はわがままでした」
「し、しかし、俺の安全性に対する見通しが甘かったせいで、カレン嬢に火傷を負わせてしまったわけですから……」
「いいえ、大きな炎を出そうとしたのは……私のためだったんです。大きくて綺麗な炎を見て、私に楽しんでほしいと言ってくれました。その頃から、ギルベルト様は優しい心を持っていたんです」
彼女の話を聞いて、ギルベルトとしての記憶が頭の中に浮かび上がる。
たしかに……そのようなやり取りがあった。
事故は起きてしまったが、カレンを楽しませようとしていたんだ。
原作ゲームでもここまで細かくは説明されていなかった。
ギルベルトの隠された一面が明かされた気分だ。
「そう言っていただけると報われます。あなたこそ広い心をお持ちです」
「ギルベルト様とお話しできて、気持ちの整理がつきました。今日、お会いしてよかったですわ」
「俺もです……カレン嬢」
今日初めて会ったときの、張りつめた緊張感はもうなかった。
カレンとの心の距離が縮んだのを実感する。
元はといえば断罪フラグを回避して生き残るために始めたことだが、頑張って努力を積んで、きちんと過去に向き合ってよかったと思う。
悪役貴族というより、一人の人間として……。
カレンは紅茶を一口飲むと、静かに切り出した。
「一つお願いをしてもよろしいでしょうか」
「はい、何でも言ってください。カレン嬢のためならば何でもします」
どんな難しい願いでも大変な頼みでも、必ず達成する。
そう強い気持ちを抱いていたら、告げられたのは意外な内容だった。
「どうか、私のことはカレンと呼んでください。話し方ももっとラフで構いません。だって、私たちは…………婚約者なのですから」
銀髪の隙間から輝く緑と青のオッドアイを見ていると、俺の心が徐々に明るくなり、軽くなった。
そうか……俺たちは婚約者なんだ。
何度も遊んだゲームの設定で知っていたはずだが、改めて言われると嬉しかった。
むずがゆいような甘酸っぱいような、尊い気持ちで胸がいっぱいになる。
無論、カレンのお願いは了承するに決まっている。
同時に、俺からも頼むことがあった。
「でしたら、カレン嬢……いや、カレン。俺のこともギルベルトと呼んでくれ。だって、俺たちは…………婚約者なんだから」
そう伝えると、カレンは一瞬ハッとした表情を浮かべた。
だが、すぐに聖女を思わせる落ち着いた笑みに戻る。
「そうね。これからもよろしく……ギルベルト」
陽の光に照らされたカレンの笑顔は、向日葵のように華やかだった。
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