第13話:婚約者
一週間ほど経ち、カレンに会う日が訪れた。
父上が手紙を出して謝罪の場を整えてくれたのだ。
ハルミッヒ家はフォルムバッハ家から馬車で数時間ほどの場所にある。
貴族の中でも結構大きな領地を持つ。
近くには湖畔があり、のどかな光景だ。
普段なら癒されるだろうが、今はそんな気持ちにはなれなかった。
俺はすでに現地に到着しており、屋敷を見ながら深呼吸している。
清潔感あふれる白い外壁に落ち着いた藍色の屋根。
ゲームで見た通りの外観で、ここにあのカレンがいると思うと緊張感が一段と高まった。
傍らのネリーが優しい言葉をかけてくれる。
「ギルベルト様なら大丈夫です。今のギルベルト様を見れば、カレン様もわかってくれるはずです」
「ありがとう……頑張るよ」
カレンの問題は俺が原因なので一人で来るつもりだったが、ネリーの熱意により彼女も一緒に来ることになった。
残念ながら父上は外せない仕事があり、今日は同行していない。
なので、御者と俺とネリーだけだと思っていたのに……。
「あの……どうして、ライラ先生まで……」
まさかの、ライラ先生ご同伴。
来るわけがないと思っていたが、なぜかついてきちゃった。
俺が尋ねると、途端に恐ろしい顔つきになられる。
「……文句があるのか?」
「いえっ、もちろんないのですがっ、なぜいらっしゃったのかと疑問に感じましてっ……はいっ、すみませんっ」
「場合によっては、貴様の局部を破壊する必要があるからだ」
「……そうですか」
聞く前から想像ついたような答えを聞かされる。
まぁ、俺の悪行を考えれば、それくらいはされても当然かもしれない。
そのようなことを考えていると、屋敷から複数の使用人が現れた。
公爵の方が位は高いので他人から見たら不敬に思うかもしれないが、咎めることはできない。
あえて遅れて出迎えたのだろう。
やはり、俺の一件が後を引いているのだと感じる。
ハルミッヒ家の使用人たちは恐怖の中に、ほのかな嫌悪感を滲ませながら俺たち三人を室内に案内する。
応接間に通され、待つこと数分。
両親に連れられ、一人の少女が現れた。
煌めくロングの銀髪に、深い海のような美しい青色の左目。
そして……顔の右半分を覆った無機質な仮面。
ゲームで見たままのカレン・ハルミッヒがそこにいた。
室内に入っても俺の方を見ようとはせず、鉄仮面のような無表情で床を見つめるばかりだ。
彼女の様子を見ているだけで、どれほど深い傷を負わせてしまったのか痛いほどわかる。
俺は気を引き締め直して挨拶する。
「こ、こんにちは、カレン嬢。本日はお忙しい中お時間をいただきありがとうございます」
「…………こんにちは」
カレンは顔を上げず、床を見たまま挨拶を返す。
同じ室内にいるものの、俺たちの間には果てしないほどの距離を感じた。
彼女は元々冷静な性格で、ゲーム中でもそれほど大きく表情は崩さない。
だが、これは単なる性格の問題じゃないんだ。
俺はわずかにカレンに近づくと、丁寧にお話しした。
「本日は、カレン嬢に謝りたく参上した次第でございます。子どもの頃……私が火傷を負わせた件でございます」
「……」
そう伝えると、カレンの左目はピクリと動いた。
わずかな表情の変化が生まれる。
良いのか悪いのか、今の俺にはどちらなのかわからなかった。
俺は下を向いた彼女の視界に入るよう、深く頭を下げた。
「カレン嬢……本当に申し訳ございませんでした。私の愚かな行いにより、あなたに取り返しのつかないことをしてしまいました。ひどい火傷痕をつけてしまい、また今まで謝ることもせず重ねてお詫び申し上げます」
「…………頭を上げてください」
しばしの沈黙の後、カレンの凛とした声が俺の頭に落ちた。
ゆっくりと顔を上げると、俺を見る彼女と視線がぶつかった。
俺は深く息を吸って、一息に話す。
「カレン嬢、私は変わりました。今までの怠惰で愚な自分を恥じ、毎日魔法の努力を積んでおります。結果、信じられないかもしれませんが、私の魔法系統である操作魔法であなたの火傷痕を治せる見込みが生まれました。一度だけでいいので、私に治療させていただけませんか?」
真剣な想いで伝えるが、カレンの表情は変わらない。
室内を再度沈黙が支配する。
受け入れてくれるだろうか……と心臓の拍動を感じていたら、カレンは俺から視線を外さずに告げた。
「謝罪は受け入れました。ですが、結構でございます。どうしても、私はあなたを信じられないのです。ギルベルト様なら、その理由がおわかりでしょう。……どうか、お帰りください」
彼女の声に、瞳に、憎しみや恨みはない。
代わりに……何も感じられなかった。
ただ自分の意志を伝えるだけ……。
それが何よりも、カレンと俺の溝を感じた。
やはり……ダメか。
もう一度自分を見つめ直して、改めて謝罪に訪れた方がいいかもしれない。
今日は帰ります、と伝えようとしたとき……ネリーの声が応接室に響いた。
「失礼ながら申し上げます。ギルベルト様のお話は真実でございます。もう以前の極悪な性格ではなく、他人を慮れる優しいお方になられました。私の大事な花畑も、操作魔法で回復してくださいました。おかげで、私は亡き両親に祈りを捧げることができたのです」
「ネ、ネリー……」
ネリーは真剣な表情でカレンを見る。
俺を……助けてくれるのか?
じんわりとした胸の温かさを感じたら、今度は俺の後ろからライラ先生の声が聞こえた。
「私も一言失礼する。こいつの修行に対する態度は本物だ。最弱と言われた操作魔法も、今やずいぶんと強力になった。火傷痕の完治も、可能性は十分にある」
「ライラ先生まで……」
二人の言葉に、胸がいっぱいになってしまった。
――俺の……味方をしてくれてるんだ。
カレンは黙ったまま何かを考えている様子だったが、やがて静かに言った。
「……わかりました。そこまで仰るのなら、治療をお願いします。この……忌々しい傷跡を……」
カレンは俺の前に進み出ると、ゆっくりと仮面を外した。
終ぞ、表には出ない顔が明らかとなる。
額から頬まで焼け落ちてひどく爛れた肌……。
痛々しい、という表現がふさわしいのだろう。
ゲームで見るより一段とひどい。
緑に輝く美しいオッドアイの右目も、力なく俺を見る。
彼女をこんな目に遭わせたのはギルベルトだが、今はもう俺そのものなんだ。
良心が痛み、胸が締まる。
俺はカレンの顔にそっと手をかざした。
死んでも治すという、強い気持ちを込めて。
「では、失礼します。……《回復操作:人間》」
火傷痕に全力で魔力を込めるが、すぐに今までとの違いを感じた。
〈流星花〉のときより何段階も難しい。
傷が治るような実感が全然湧かないのだ。
まるで、俺の前に大きな壁が立ちはだかっているような。
事実、カレンの火傷痕にはまったく変化がない。
同じ回復能力の操作でも、人間と花では桁違いに難易度が違うのだ。
背中を嫌な汗が伝い、目を閉じて気持ちを整えた。
――落ち着け、ギルベルト。大丈夫、お前ならできる。だから……絶対に治せ!
目を開いてカレンの火傷痕を良く見る。
辺縁からじわじわと治るようなイメージを、頭の中で鮮明に描く。
今まで積んだ修行を思い出し魔力を注ぐ。
十秒ほど経つと、変化が現れた。
火傷痕が端っこから少しずつ消え始め……やがて、カレンの火傷痕は完全に消えてしまった。
治った……治ったぞ!
俺は興奮を抑えながらカレンに伝える。
「カレン嬢、これで終わりです。火傷痕は全部消えました」
「……誠ですか? 特にそのような実感はございませんが……」
カレンは怪訝としていたが、彼女が後ろを振り向くと、両親の顔つきが変わった。
信じられない物を見ているような表情に……。
両親から震える手で手鏡を渡されると、カレンは呆然と自分の顔を見た。
「……う、嘘……本当に……本当に…………火傷痕が消えている……」
「「カレンの……カレンの火傷が消えた!」」
両親の喜びの声が轟き、カレンの手からこつん、と鏡が床に落ちる。
それを合図にしたかのように、彼女たちは互いに手を取り合い大歓声を上げた。
その頬には、いくつもの涙が零れる様子が見える。
歓声を聞いてハルミッヒ家の使用人が次々となだれ込み、事情を把握すると、たちまち祭りのような騒ぎとなってしまった。
――よかった……治って。
心の中で、俺もそっと思う。
カレンたちの笑顔が、何よりの報いだった。
「では、俺はこれで帰りますね。見送りはいらないのでお気になさらず……」
歓喜にあふれるカレンたちを見ながら、俺はこそこそと出口に向かう。
もう使命は果たしたし、さっさと退散するのがいいだろう。
扉に手をかけたところで、カレンに声をかけられた。
「お待ちください、ギルベルト様」
「え……? は、はい」
まさか、呼び止められるとは思わなかったので、ドキリとして振り向く。
何を言われるのかと緊張する俺に反して、カレンは至極淡々と言った。
「二人で……少しお話ししませんか?」
凛とした、美しい声で。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます