第5話:基礎から応用へ

「げはぁ……げはぁ……」

「よし、10周したな。三分間休んでよい」


 “経験の森”で走り込みを始めて三週間。

 森の入り口まで戻ったところでライラ先生のありがたいお言葉を聞き、地面にどさりと崩れ落ちた。

 ようやくフルマラソン(一……回……目……)が終わったのだ。

 柔らかい土がベッドのように受け止めてくれる。

 あまりの疲労感で、もうこのまま眠れそうだ。

 朦朧とする意識の片隅にネリーの声が聞こえる。


「ああ、ギルベルト様の全身から水が抜け、まるでミイラのように枯れているー! このまま放っておくと朽ち果て森に帰ってしまいそうだー!」


 彼女は森の入り口で水やらタオルやらを用意して、俺のサポートをしてくれているのだ。


「で、できたら、状況説明の前に水をくれるとありがたいのだが……」

「申し訳ございません、ギルベルト様っ。お水をどうぞっ」


 震える手でネリーから冷たい水を受け取る。

 これほどうまい水は前世でも飲んだことがなかった。

 修行が始まってからしばらくはワンチャン回復ポーションや滋養ポーションの類を飲めるのかなと思っていたけど、あのライラ先生が許すはずもなかった。

 水しか飲めねえ。

 ランニングコースは森の入り口から始まり、森の入り口で終わる。

 一歩たりとも誤魔化すことや、わずかに内周を走ることも許されず、ライラ先生のキンッ! が飛んでくることは何度もあった。

 おまけに休憩時間さえ“経験の森”の外に出ることは許可されず、就寝時さえ森の中だった。

 理由は経験値をより効率よく貯めるため。

 唯一外に出れるのは風呂の時間だけ(十……分……)。

 修行というより拷問に近い毎日だ。


「ギルベルト、休憩は終わりだ。立て。スクワットを始めろ」

「は、はい……」


 ボロボロの身体でスクワットを始める。

 基礎の修行内容はマラソンだけかと思ったけど、なんと筋トレもセットだった。

 一日でスクワット300回、腕立て伏せ400回、クランチ500回、懸垂600回……。

 ど、とんでもなくハードなメニューだ。

 しかもマラソンの合間に要求されるのが本当にきつい。

 ライラ先生の頭には過負荷だとか、身体を労わるだとか、そんな優しい考えは微塵もない。

 筋トレのフォームだって常に厳しい指導が入り、局部を守るのに必死だった。

 ネリーはもはや静かに涙を流している。

 しばらく汗だくになりながら身体を動かした後、ライラ先生の声が聞こえた。


「よろしい、筋トレを終了しろ。私の前に立て」

「は、はい……」


 どうにかしてライラ先生の前に立つ。

 息を吸うたび、こひゅー……こひゅー……と胸が鳴り、どこか壊れてしまったのではないかと不安になった。

 ライラ先生は黙ってボロボロの俺を見る。

 何も言わずとも目でわかった。

 ああ、局部破壊か……。

 諦めて足を開こうとしたとき、ライラ先生が淡々と言った。


「……お前は思ったより根性があるな。修行が始まって三週間経つがよくついてきている。前評判からは考えられないことだ」

「あ、ありがとうございます!」


 まさか……ライラ先生に褒められるなんて!

 夢じゃなかろうか。

 原作主人公でさえ作中では五回も褒められないのに。

 ジーン……としていたら、キンッ! が飛んで現実に戻った。


「本日より、修行を二段階目の応用に引き上げる」

「……はい」


 絞り出すようにして答える。

 もちろん嬉しいのだが、痛くてそれどころじゃない。


「二段階目の修行は、魔法の基本的な訓練を行う。身体を鍛えた結果、魔力量も大幅に増加したはずだ。私の目から見ても貴様の魔力はずいぶんと上昇した」

「え! 魔法の修行が始まるんですね! 嬉しいです!」

「これだけあれば耐えられるだろう」


 何が、とは聞けなかった。

 怖くて。


「お前は操作魔法で、何を操れるようになりたいんだ?」


 ライラ先生は問う。

 操れる対象か……。

 いずれは、原作でプレイしたみたいに魔族や魔王も操作してみたいな。

 だが、まずはその前に絶対操れるようにならないといけない物がある。


「そうですね……。夏までに……もう少し詳しく言うと、七月七日までに最低限草花が操作できるようになりたいです」


 七月七日。

 それはネリーにとって、一年の中で一番重要な日だ。


 ――亡き両親の命日。


 フォルムバッハ家の一角には、この辺りでは珍しい<流星花スターダスト・フラワー>の花畑がある。

 ピンク色の星型をした可愛い花で、ネリーは毎年、両親が好きだったこの花を墓前に供える(父上も許可している)。

 その花畑が“とある大事な場所”なのだが、設定ではギルベルトが今年の四月のどこかで破壊する。

 墓前に<流星花>が供えられなかったネリーは大変に悲しむと同時に、強い恨みを持つ。

 自分の中のギルベルトの記憶を探ると、よりによって俺が転生した前日に破壊していた。

 荒らされた花畑を発見して悲しむネリーの泣き顔も……。

 マジで勘弁してほしい。

 一日ズレていれば、そもそも花畑を壊さなかったのにぃ。

 でも……。


 ――操作魔法ならどうにかできる。


 操作魔法の能力は応用が幅広く、“対象の回復機能を操作する”なんて芸当もできた。

 花だって元気にできるかもしれない。

 ”大事な花畑”を復活させて、ネリーにしっかり謝りたい。

 ここがゲームの世界であれば、原作のように操作魔法を使えるはずだ。

 今は四月の末だから、残り時間は二ヶ月ほどか。

 どうにかして間に合わせなければ。

 ライラ先生は「七月七日までに草花を……」と聞くと、また顎に手を当て考えていたけど、やがて手の平を上に向けた。


「《火球ファイヤーボール》」

「おおっ!」


 直径30cmくらいの赤い火の玉が生み出される。

 すごい綺麗だ。

 他人の魔法を見るのは初めてで感動した。

 ライラ先生は《火球》を維持したまま話を続ける。


「私の魔法系統は“火魔法”だ。この《火球》は初期の魔法で、使えば使うほど系統レベルが上昇した。だから、貴様もまずは今操作できる物を操れ。繰り返しているうちに、貴様の系統レベルも上がるだろう」

「なるほど……さすがライラ先生です」

「上がらなければ局部を破壊する」

「……はい」


 修行が一段落上がってもプレッシャーは変わらない。

 むしろ強くなってしまったね。

 まぁ、でも、これくらいの圧力があった方がいいのかもしれないな。


「一度意識を集中し、系統レベルを確認してみろ」

「わかりました」


 ライラ先生に言われ目を閉じる。

 この世界では、特別な魔法や魔道具を使わないと他人のステータスは見れない……という設定がある。

 俺は深呼吸して念じる。

 三週間ぶりだな……ステータスオープン!


【ギルベルト・フォルムバッハ】

 性別:男

 年齢:14歳

 Lv:7/99

 体力値:303.14

 魔力値:143.14

 魔法系統:操作魔法(系統Lv:2/10)

 操作対象:①鉱物(Eランク以下)

 称号:(元)極悪貴族、(元)イキり令息、(元)早く死んでほしい人No.1、(元)この世の悪が詰まった人間、(元)死神が来たら喜んで差し出したい男、(元)自分を俺陛下と呼ぶ痛いヤツ、努力家(New!)、ゴミ(New!)、ザコ局部(New!)



 あ、上がってた!

 ステータスが上がってた!

 努力が実を結んだみたいで素直に嬉しい……。

 悪評が軒並み(元)なのは、改善しつつもまだ内心はそう思っている……ということなんだろう。

 もっと頑張らないといけない。

 努力家はネリーかな。

 ありがたい。

 ゴミ……とザコ局部はライラ先生か。

 ゆくゆくは普通の評価を得たいものだ。

 というか、体力と魔力値が五桁!?

 すげえ!

 ……と思ったら、小数点だった。

 ぬか喜びさせるな。

 円周率が残っているのは気になるが、まぁ見逃してやる。

 そして、最も注目すべきは操作魔法に関しての情報。

 系統レベルが2に上がり、操作対象が“鉱石(Eランク以下)”になっていた。


「どうやら、Eランク以下の鉱物を扱えるようになったみたいです」

「ふむ……本当にできるのか見せてみろ。ちょうどあそこの石がいいだろう。基本的には、小石を操作するときと同じ感覚のはずだ」


 ライラ先生は俺の後ろを指さす。

 樹の下に、直径1mほどの岩石が転がっていた。

 小石よりずっと大きい。

 岩石の近くに行き、ゲームのモーションと同じように手をかざす。

 心の中で浮かべ、と強く思う。


「《岩石浮遊ロック・フロート》」


 岩石はピクッと動いた後…………浮いた。

 宙に浮いた!

 ふわふわと俺の目の前で浮かんでいる。

 とにかく嬉しくて、笑顔でライラ先生に振り向いた。


「ライラ先生、できました! できましたよ!」

「ギルベルト様ー、お見事です!」


 森の入り口でネリーが喜んでいるのが見える。

 岩石を浮かべたままライラ先生の元に戻るが、彼女は真剣な表情で俺を見るばかりだった。

 呟くように言う。


「まさか、本当に小石以外が操作できるとは…………信じられん。……貴様は魔法界の新しい可能性を拓く存在になるかもしれんな」

「ありがとうございます、頑張った甲斐がありました」


 魔法は本当に楽しい。

 なんていうかこう……万能感に酔いしれた感じだ。

 今なら何でもできると思う。


「そこまででいいぞ、ギルベルト。一旦魔法を解除しろ」


 ライラ先生が何か言っている気がするけど、俺は操作魔法を使うのに夢中で何も聞こえない。

 だって、ずっと夢見た魔法だ。

 いやぁ、楽しいな~。

 そうだ、もっと激しい動きを……。


「人の話を聞け」

「ああああ!」

「ギルベルト様ぁーっ!」


 キンッ! が炸裂し、局部に激痛が走る。

 のたうち回る俺を見ながら、ライラ先生は何か閃いた様子で言った。


「ふむ、操作魔法とはちょうどいいな。その石を浮かべたまま走れ。基礎と応用、同時に訓練する」

「え!」

「早くしろ」


 マジか。

 操作魔法、結構疲れるんだが?

 岩石を浮かべながら全力マラソンするの?

 せっかく終わったと思ったのに……。

 絶対死ぬ……いや、待て。

 俺は天下の悪役、ギルベルト・フォルムバッハ。

 言うことを聞く良い子ちゃんではない!

 今こそ抵抗して悪役ぶりを見せてやれ!


「あの…………操作魔法だけじゃ……」

「は?」

「すみません、やります。やらせていただきます。鉱石を浮遊させながら走り込みと筋トレをさせていただきます」


 俺の愚かな行いのため修行は一段と厳しさを増し、さらに一ヶ月が過ぎた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る