第4話:修行の始まりと局部
父上にお願いをしてから三日後。
家庭教師が来たという連絡を受け、俺はネリーとともに(すっかり懐かれてしまった)本邸へと向かった。
屋敷の前には父上と一人の女性がいる。
少しずつ顔がはっきりとわかるにつれ、俺は心臓がドキドキしてきた。
よ、予想以上の大物が来てしまったぞ。
「ようやく来たか、ギルベルト。遅かったな」
「も、申し訳ございません、父上」
「まぁいい、家庭教師のライラだ。私の古い戦友で、お前の話を聞くと嫌そうに引き受けてくれた」
喜んで、ではないのか。
父上の隣にいる女性は厳しい視線を俺に向ける。
俺より10cmほど背が高く、スラリとするも引き締まった肉体から、日々の訓練の積み重ねが感じられる。
タンクトップにダボッとした長ズボンのラフな格好の女性。
――“鮮血の魔導剣士”、ライラ。
魔法と剣術両方ともトップクラスの腕前を持つSランク冒険者だ。
作中で会うのは全クリ後で、主人公の大きな壁として立ちはだかる。
肩くらいまでの髪と凛とした切れ長の瞳は、どちらも血のように赤い。
どんなに強いモンスターも斬り裂き血まみれにすることから、“鮮血”という二つ名がついた設定がある。
まさか、こんな序盤で会えるなんて思わなかった。
唖然とする俺に、父上は相変わらず厳しい声をかける。
「彼女以外、誰も家庭教師を引き受けてくれなかった。お前の悪評のせいでな。ライラに感謝しろ。先生と呼んで敬意を払え」
「さ、さようでございますか……。ありがとうございます、承知しました」
なるほど、大変に納得できる理由だ。
たしかに、俺のような極悪貴族の家庭教師なんて嫌に決まっている。
ライラ先生は俺の前に来ると、これまた怖い声で言った。
「ムカつく顔だな、足を開け」
「え……?」
「早く足を開けというのだ」
あ、足を開け?
どういうことだ?
何が目的がよくわからないものの、言われた通りに足を開いた。
ちょうど体育の授業における“休め”の態勢だ。
ライラ先生は右足を引いたかと思うと、勢いよく振り抜いた。
キンッ! という甲高い音。
数秒してから激痛が走った、局部に。
「……あがあああっ!」
「ギ、ギルベルト様ぁっ!」
のたうち回る俺に、ライラ先生の冷たい声が降る。
「蹴りがいのない身体だ。これは徹底した訓練が必要だな。アレキサンダー、再度確認するがこいつがどうなってもいいんだな?」
「構わん。修行には“経験の森”の使用も許可する。ギルベルトが希望したのだ」
「ふむ……了解した」
ち、父上、少しは構ってください。
下手したら、フォルムバッハ家断絶の危機にあるかもしれません。
……などとは、もちろん痛みで話すことさえできず、父上はスタスタと屋敷に戻ってしまった。
ライラ先生はなおも俺に追い打ちをかける。
「立て。三秒以内に立たなければ貴様の局部を潰す」
「立ちます」
痛みに耐え、震える足で立ち上がる。
ふっ、俺のナニが目的ということか。
あっちの方もたたなくなりそうだ。
……別にうまいことを言おうとしたわけじゃなくてだな。
ライラ先生はニコリともせず話す。
「おい、正直言って貴様はゴミだ。私はゴミの指導はしない。だが、アレキサンダーの頼みであれば断れない。だから、わざわざこの屋敷に来たのだ。……わかっているだろうな?」
「すみません……」
とりあえず謝る。
局部のためにもこれが最善手のような気がした。
「では、まずは“経験の森”へ向かう。私に追いつけなければ局部を破壊する」
「え! あの、ちょっ、待っ……!」
とんでもない速さで走るライラ先生に追いつけるはずもなく、俺は“経験の森”に到着次第更なるキンッ! をいただいた。
□□□
“経験の森”は20万坪くらいもある広大な森で、フォルムバッハ家の北に位置する。
先祖の特別な結界が森全体にかけられ、中にいるだけで強い圧力を受け、経験値がぐんぐん貯まるのだ。
俺は今、森の入り口で堪えている。
キンッ! の余韻を。
原作の設定を思い出すことで、気が遠くなりそうな痛みがようやく引いてきた。
傍らのネリーが静かに労わってくれる。
「……ギルベルト様、大丈夫ですか?」
「あ、ああ、なんとか形は保っているよ」
俺が死んだ場合、死体を屋敷に運ぶ係としてネリーもこの場にいた。
ライラ先生はしばらくストレッチしていたが、やがて俺の方を向いた。
「さて、“ルトハイム貴族学園”に首席で合格したいと聞いた。その心意気は認める。お前の魔法系統はなんだ」
「操作魔法です」
「……操作魔法か」
自分の系統を伝えると、ライラ先生は顎に手を当て真剣な顔で考え出した。
また局部を蹴られるのではないかと冷や冷やしたが、やがて真面目な顔で言った。
「貴様も知っているだろうが、操作魔法は数ある魔法の中でも最弱クラスだ。未だかつて、小石の操作報告しかないからな。首席合格は厳しい道のりになると思え。”操作魔法は小石しか操れない最弱魔法”、これが世の中の常識だ」
「すみません……」
悲痛な思いで謝罪する。
この世界では、“操作魔法は弱い”というのが常識だ。
魔法が生まれて数百年経つけど、ライラ先生の言うように小石の操作報告しかない。
そもそも使える人があまりいないという理由もあるが、何より系統レベルの成長が遅いのだ。
火や水などの一般的な魔法系統の三倍は経験値が求められる。
結果、操作魔法の使用者は冒険者などの道を諦め、操作魔法自体土に埋もれていった……という設定があった。
実際のゲームでもとにかく地道なレベリングが必要だ。
また蹴られるのかな……と思っていたけど、予想に反して蹴られない。
「謝る必要はない。魔法系統は生まれ持った素質だからな。こればかりは仕方がない。できることをするのみだ」
「! ……ライラ先生!」
俺は感動する。
そういえば、操作魔法と聞いても匙を投げたりはしなかった。
つまり、本気で俺を育てようとしている、ということ。
やっぱり、この人は良い先生だったんだ!
「首席で合格できなければ、貴様の局部は完全に破壊するからな」
「……はい」
さっきから気分の浮き沈みが凄まじい。
やっぱり、ライラ先生は厳しかった。
「修行は三段階に分けて行う。基礎、応用、発展と段階を踏み、魔法の開発を試みる。操作魔法も結局は魔法だからな。基本的な訓練で成長するはずだ。まずは、森の外周を一日20周全力でランニングしろ。体力がなければ魔法など使えん。さあ、今すぐ走れ」
「わ、わかりました」
一歩森に足を踏み入れると、すぐに全身がズンッと重くなった。
ボーリング玉が5、6個入ったリュックを担いでいるみたい。
“経験の森”一周ってどれくらいだっけ……4kmじゃないか!
この調子で毎日フルマラソンを2セット……。
想像以上にキツそうだぞ。
ちんたらしていると局部を蹴り飛ばされるのでさっそく走り出そうとするも、ちょっとだけわがままを言いたい自分がいた。
――……操作魔法使いたい。
大事なのはわかるけど、基礎的な走り込みだなんてつまらない。
せっかく魔法がある世界に転生したんだ。
修行でも思う存分、魔法を使って楽しみたい。
そう思っていたら重要な事実に気づいた。
俺が転生したのは、作中きっての極悪貴族ギルベルト・フォルムバッハ。
原作ではユーザーから一番嫌われるほどのワルだった。
今こそ、全プレイヤーを震撼させた悪役ぶりを見せてやれ!
俺は足を止め、勇気を振り絞ってライラ先生に振り向く……!
「あの…………操作魔法……」
「は?」
「すみません、何でもありません。走り込みさせていただきます」
ライラ先生に睨まれ、即座にマラソンを開始する。
……大変に恐ろしい。
蛇に睨まれた蛙どころではない。
俺は狩られる存在なのだとわからせられた。
そもそも俺に悪役気取りなんて無理だった。
全力で走り出してすぐ、キンッ! が飛んだ。
「あ……がっ……。なんで……っ」
「遅い。二倍のスピードで走れ」
「そ、そんな……これで全力で……」
「わかった。貴様の局部を破壊する」
即座に立ち上がり、全力を超える全力で走る。
猛烈に走りながら、“鮮血”という二つ名の裏設定がわかったような気がした。
ライラ先生が戦うたび血が迸るのはモンスターではなく、もしかして男の局……。
恐怖を感じながら走り込み、気づけば三週間が経った。
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