第2話:頼みと修行

 ◆◆◆


 キンッ! という甲高い音がして激痛が走った。

 …………局部に。

 あまりの痛さに足が止まり、ガクリと固い地面に崩れ落ちる。


「おっ……ごっ……」


 局部を抑えのたうち回っていると、俺の後ろから美しいが恐ろしい女性が姿を現した。

 俺の目の前に来ると冷たい声で告げる。


「立て。三秒以内に立たなければ、貴様の局部を完全に破壊する」

「た、立ちます。きょ、局部をこれ以上破壊しないでください、お願いします」


 痛みを耐え、どうにかして立ち上がった。

 こ、これほどまでに辛い経験をしたことは一度もないのだが……?

 息も絶え絶えの俺を見て、目の前にいらっしゃるお師匠様はニコリともせず言う。


「なぜ私の言ったことができない」

「す、すみま……せん。局部への攻撃を止めていただければきっと……」

「口答えしたな。罰を与える」


 さらに、キンッ!

 朦朧とする意識の中で俺は思う。


 ――断罪フラグを回避する前に俺は死ぬかもしれない。


 想像以上に厳しい修行で死にそうだが、それこそ生き残るためには頑張るしかなかった。


 ◆◆◆



「ギルベルト様、昨日は誠にありがとうございました。おかげさまでゆっくり休むことができました」


 翌朝、扉がノックされたので開けるとネリーがいて、開口一番お礼を言われた。

 深々と大変丁寧にお辞儀をする。


「別にお礼を言われるようなことはしていないよ。そもそも、俺が傷つけたのがいけないんだし」

「いえいえ、ギルベルト様の手際は見事でした。<回復ポーションA>が肌に触れたときの滑らかさは、まるで上等なクリームを塗っているようで……」


 ネリーは事細かに傷が癒えたときの感動を説明してくれる。

 どうやら俺は日々の行いが悪すぎて、当たり前のことをしただけで過剰に喜ばれるらしい。

 情けなさすぎてしょうもない。

 ネリーの隣にはホテルで見るようなご飯を運ぶカートが置かれていた。

 パンやスープ、色とりどりの食事が並ぶ。


「朝食を持ってきてくれたのか、ありがとう」

「え……? は、はい、ギルベルト様のお食事でございます。いつも自室で食べられていますのでお持ちしたのですが……ご迷惑だったでしょうか?」


 途端にネリーは怯えた表情となる。

 こら、ギルベルト!

 お前は悪役貴族なんだぞ。

 何を言っても怯えられるに決まっているだろうが。

 もっと立ち回りを考えなければ……死ぬぞ。


「迷惑じゃない、迷惑じゃないからね! だから、泣かないでー! ……って、ずいぶんと多いな」


 カートには二人分の食事が載せられている。

 ギルベルトは結構な大飯喰らいだったのか?

 そんな設定はなかったはずだが……。


「空腹に苦しむ私の顔を見ながら食べる朝食が一番うまい、とのことで、毎回私の分も召し上がっていらっしゃいました」


 こら、ギルベルト!

 心の中で再度自分を怒鳴りつける。

 お前はどうして人から嫌われることがそんなに得意なんだ。

 改善するべき事案が多すぎる……。

 いや、逆に言うと伸びしろがあるということか。

 ……頑張れ、俺。


「今日からはネリーも自分の食事をきちんと食べなさい。次からは一人分だけ運べばいい。……いや、俺が直接食堂に食べに行こう」

「え……ほ、本当によろしいのですか、ギルベルト様。単なるメイドごときである私が朝食をいただいても……」

「ああ、俺は変わったんだ。今まで悪かったな」


 俺は自分の分だけ食事を取り、扉近くのテーブルに乗せる。

 ネリーは嬉しそうにカートを押すが、ギルベルトの横暴で疲れがたまっているのだろう。

 背中には疲労が強く滲んでいた。


「ネリー、ちょっと待ってくれ」

「は、はいっ、何でしょうかっ」


 優しく呼び止めたつもりだったが、ネリーはびくりと全身を震わせて振り返った。

 たったそれだけで彼女の俺に対する恐怖がわかる。

 直近の目標は操作魔法の訓練とヒロインたちの問題解決だが、それ以外にもやらねばならないことは盛り沢山だ。

 まずは……。


「これからはメイドの仕事を減らそうと思うんだ。必要以上の過剰な仕事を与えてしまった。辛かっただろう。他の使用人にも伝えるから、みんなを食堂に集めてくれるか?」

「誠でございますか!? ……承知いたしましたぁ。お優しくて涙が出そうでございますぅ」


 涙を浮かべるネリー。

 う、うん、今まで本当に悪かった。

 フォルムバッハ家の使用人一同もこのままでは将来俺の敵となるので、今から媚びを売っておいて損はない。

 というか、売らなきゃ死ぬぞ……俺が。


 その後、朝食を済ませ身支度を整え、俺は食堂に向かった。

 すでに使用人たちは集まっており、俺を見ると軍隊のように直立不動となる。


「「おはようございます、ギルベルト様!」」

「お、おはよう、朝早くからすまないな。楽にしてくれ」

「「!」」


 俺が話した瞬間、使用人一同はポカンと佇む。

「挨拶されたぞ……」、「今謝罪されなかったか……?」、「楽にしてって、どういう意味だ……?」……などなど、とにかくすごい驚きようだ。

 人の信頼は日々の行いの積み重ね。

 少しずつでも善人性を示さねば。


「……こほんっ、みんなちょっと聞いてくれ。俺はみんなを奴隷扱いしていたことにようやく気づいた。使用人は奴隷じゃない、立派な人間なんだ。仕事量を半分に減らし、給金も十倍に増やせないか父上に進言しよう。今までの謝罪の意も込めてな」


 そこまで話すと、ざわめきはもはや小さな騒ぎとなった。

 みんな、隣にいる仕事仲間と相談する。

 彼らの顔には明るい微笑みが浮かんでおり、少しばかりホッとできた。


「……失礼ですが、ギルベルト様。不躾ながら少々信じられない自分がいます」


 ざわめく使用人の中から、ひときわ大柄の女性が現れた。

 灰色の髪をお団子にしたメイド長、サロメだ。

 作中ではネリーの母親代わりを務める。

 血の繋がりはないが二人は実の親子以上の固い絆で結ばれており、俺の断罪では先頭に立つ。

 娘に等しいネリーをいじめ抜いたのだから。

 緊張感を覚えながらも、俺はサロメの目を正面から見て答える。


「ああ、本当さ。俺は変わった」

「変わった……と仰いますと?」

「俺はもうみんなにひどいことをしない、と誓ったんだ。次、何かひどいこと……例えば、熱湯を飲ませたり、崖から突き落としたり、ゴブリンの巣に置き去りにしたりなんかしないということだ」


 口を開くたび、とめどなく今までの悪行が流れだす。

 よく殺されなかったもんだな。

 サロメはしばらく黙っていたが、やがて使用人から棍棒を受け取った。

 な、なんだ?


「ギルベルト様、どうぞ」

「……え?」

「意見を申した罪でございます。さあ、思う存分私を叩き抜いてくださいませ」


 そう言って、サロメは俺に棍棒を渡した。

 無数のトゲトゲがついた痛そうなヤツ。

 ギルベルトの記憶を探ると、気に入らないヤツはこれで滅多打ちにしていたらしい。

 ……オークかよ、お前は。

 俺はサロメに棍棒を返す。


「こんな物はもう要らないんだ。捨てておいてくれ。本当にみんなには悪いことをした。謝って全部が解決する話ではないが謝らせてほしい。今まで申し訳なかった」


 使用人一同に向かって謝罪すると、食堂が静かになった。

 こ、今度はなんだ?

 不気味な静寂に思わず顔を上げると、サロメがだらだらと涙を流していた。

 いや、他のみんなもそうだ。


「「……ギルベルト様が頭を下げられるなんて」」


 使用人たちは感動した様子でさめざめと泣く。

 謝っただけでこの驚きようとは。

 用件は伝えたので、さらなる騒ぎが起きる前に俺はそそくさと食堂を後にする。

 今日はまだやるべきことがあるのだ。



 □□□



 俺は離れを出て、フォルムバッハ家の敷地を歩いていた。

 目指すは本邸。

 つまり、俺の親が住んでいる屋敷だ。

 母上はずいぶんと前に別居してしまったので、今は父上しかいないが。

 フォルムバッハ家は公爵のため仕事が忙しく、ギルベルトは幼少期から離れで使用人に育てられる生活を送る。

 両親からの愛情が少なかったのが、ギルベルトが横暴な性格になった遠因でもある……という設定だ。

 父上もギルベルトの悪評にはウンザリしており親子仲は最悪、なんだよな。

 自分の力だけで解決したいが、操作魔法の訓練も給金の件も父上の助けがいる。

 というわけで本邸に向かうのだが……。


 ――と、遠いね……。


 領地が広大過ぎるからか、本邸と離れは大変に離れている。

 片道十分はありそうだ。


「……ギルベルト様~」

「……ん?」


 後ろから少女の声が聞こえ、振り返るとネリーが走ってきた。


「どうしたんだ、ネリー。今日はもう休みなんだから、俺の世話なんてしなくていいよ」

「いえ、もう少しギルベルト様の近くにいたいんです」

「……そうか」


 なんだか嬉しそうなネリーを連れて本邸に行く。

 ほんの少しずつだが好転している気がする。

 この調子で頑張らないと……。


 五分ほど歩いて本邸に着いたが、俺を見た瞬間使用人たちは恐怖の表情となる。

 離れとは別のメンバーなので、この反応は仕方がないな。

 いずれはこちらの使用人の印象も良くしなければ……。

 父上に会いに来たと告げ、執務室まで案内してもらった。

 使用人はすぐに逃げ帰り、重厚な扉の前で俺とネリーだけが取り残される。

 この世界に転生して初めて両親と話すのか……緊張するな。

 傍らのネリーもドキドキしているようで、顔が張りつめていた。


「ここで待ってくれてていいよ」

「い、いえ、大丈夫でございます。私が今いるのは旦那様の本邸にある執務室の前で、隣にいるのはギルベルト様でございまして……」


 彼女が状況説明を始めるのは嬉しかったり緊張していたり……要するに気持ちが昂っている証拠だ。

 なおさら、俺が緊張してたらダメだな。

 気持ちを整え、硬い樫でできた扉をノックする。


「父上、失礼いたします。ギルベルトでございます」

「失せろ」


 心の壊れる音が聞こえた。

 よ、予想以上に親子仲は悪いようだ。

 だが、ここでひいては何も変わらない。

 俺は勇気を振り絞り、扉に向かって話す。


「申し訳ございません。どうしても、父上に二つのお願いがあるのです。三分でいいのでお時間をいただけないでしょうか……」

「……入れ」


 永遠に続くかと思う沈黙が続いた後、重い声が聞こえた。

 静かに扉を開けて入る。

 執務室は20m四方はありそうなほど広く、父上は一番奥の机にいらっしゃった。


 ――アレキサンダー・フォルムバッハ。


 威厳あふれる骨太な男性で、猛禽類みたいな鋭い碧眼が恐ろしい。

 短い金髪はさすがにくすんではいるものの、未だ煌めきが残る。

 歳はたしか……現時点では四十四歳か。

 中世ヨーロッパ風の世界では珍しく結婚が遅かったのだ。

 今は書類を書いており下を向いている。

 ゲームですら威圧感がすごいキャラなので、俺はもうプレッシャーで潰されそうだった。


「お、お忙しいところありがとうございます」

「用件を言え」


 まったくこちらを見ない姿勢から、俺の嫌われ具合がわかる。

 前世のしょぼい俺ならここで逃げてしまっただろうが、今世ではそうはいかない。

 文字通り、命が懸かっているのだ。


「一つ目のお願いでございますが、使用人たちの仕事を半分に減らし、給金を十倍にしていただけませんか?」

「……なぜだ」


 父上は手を止め、初めて俺を見た。

 真正面から鷲のような鋭い眼光を受け、背筋がぞくりと震える。


「俺……私が彼らに行った仕打ちに対する謝罪の意を示したいのです。私は自分がどれだけひどい人間だったか、ようやく気づきました。人の気持ちもわからない愚か者でした。良い人間に変わりたいのです」

「断る。お前の言うことはとうてい信じられん。悪事を企む暇があったら本でも読め」


 淡々と告げると、父上は机に視線を戻してしまった。

 やっぱりダメ……か。

 そもそもの信用がなさすぎる。

 どうすればいい、と必死に考えていたら、ネリーが父上に言った。


「お、お言葉ですが、旦那様っ。ギルベルト様は本当に変わられたのですっ」

「……お前は誰だ?」


 父上はネリーにも鋭い眼光を向ける。

 フォルムバッハ家の現当主。

 使用人にとっては、俺なんか比べ物にもならないほどのとてつもなく偉い人物だ。

 勝手に話したら、比喩ではなく本当に首が撥ねられる可能性だってある。

 俺は急いでネリーに小声で話した。


「や、やめなさいって、ネリー。静かにしてなきゃダメだよ」

「昨日、ギルベルト様は私に対して、非常に貴重な<回復ポーションA>を使ってくださいました。先ほどは離れの使用人にも、今までの行いを謝罪してくださったのです。ギルベルト様が変わられたのは事実でございます」

「ネリー……」


 危険を冒してまで……俺を援護してくれた。

 俺は彼女から視線を外せない。

 父上はしばし黙ったまま測るように俺を見ていたが、やがて重い声で言った。


「……わかった。使用人の待遇を変えよう。本邸の者たちもそれに合わせる」

「あ、ありがとうございます、父上っ」


 勢いよくお辞儀する。

 ネリーのおかげだ。


「それで、二つ目の頼みとは?」

「私に……魔法の家庭教師をつけてくれないでしょうか。そして、“経験の森”での修行を許可してほしいのです」


 “経験の森”とは、フォルムバッハ家に代々伝わる特別な結界が張られた森だ。

 その名の通り、何倍も効率よく経験値を貯められる。

 反面、爆速で体力を消費するがな。

 原作ではギルベルトを倒した後、この森でさらなる鍛錬を積む。

 学園入学まで一年あると言っても、一年は一年だ。

 魔法の修行は師匠がいた方が良いだろうし、使える物は何でも使って少しでも早く強くならないと……。

 俺の話を聞くと、父上は一段と険しい表情になった。


「なぜだ」

「ま、魔法がもっとうまくなりたいからです」

「だからなぜだ」


 執務室を沈黙が支配する。

 なぜ魔法がうまくなりたいか……?

 破滅フラグを回避するためです、とはもちろん言えない。

 こ、困ったぞ。


「あ、えっとですね……」

「早く答えろ、ギルベルト。二十五文字以内で説明できなかったらお前の首を撥ねる」

「“ルトハイム貴族学園”に首席で合格したいからです!」


 圧力に負け叫ぶように言う。

 “ルトハイム貴族学園”とは、俺たちが暮らすルトハイム王国最高峰の貴族学園で、【メシア・メサイア】のメイン舞台だ。

 とりあえず、首席合格できるほど強くなれば、原作主人公に負けることはないだろう。

 それに、どうせなら作中最強を目指してやれ、という気持ちもあった。

 父上はまた静かに黙っていたが、やがて重い口を開いた。


「……わかった。家庭教師は吾輩が手配する。“経験の森”の使用も許可する。ただし、どんな人間が来ても文句を言うな。お前がどんな目に遭おうと吾輩は知らん」

「あ、ありがとうございます。わかっております。それでは、失礼いたします」


 無事、父上へのお願いが終わり本邸を出る。

 なんかどっと疲れたな。

 ため息を吐いていたらネリーが励ましてくれた。


「首席合格を目指されるなんてご立派でございます」

「いやいや、これくらいはしないとダメだからさ。それはそうと、ネリー……さっきはありがとうな」

「え! な、何がでございますか!?」


 お礼を言うと、彼女は慌てた表情となった。


「俺をかばってくれたじゃないか。ネリーのおかげで父上を説得できたようなもんだ」

「い、いえ! 私はメイドとして当然のことをしたまでです! それより、今私たちはフォルムバッハ家の離れに向かって歩いておりまして、ちょうど四分の一まで来たところです。目の前に広がる木々はそよそよと風に揺れ……」


 ネリーは興奮した様子で状況説明を始める。

 何はともあれ、師匠が来るまでは離れで静かに暮らそう。

 しかし……。


 ――魔法の修行って厳しいのかな……。


 正直なところ、よくわからない。

 ゲームではモンスターを倒したり、NPCと戦うのが基本的だったから、気づけば自然とレベルも上がっていたのだ。

 とはいえ、実際のところはどんな辛い修行でも絶対に耐え切る自信があった。

 俺はこう見えて案外強い男なんだよなぁ~。


 ――若さ溢れる元高校二年生、舐めてもらっちゃ困るぜ!

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