第2話

 サガ家のカイトとして、くしくも同じ姓名で生まれたのは16年前。

 貴族の家と気付いたのは言葉が理解できるようになってしばらくしてからだった。

 父は年が離れているのか元からなのか髪は真っ白。厳しい顔でいつも説教しているように冷たい口調で話す。それは赤子の頃からずっとで――


騎士ナイトになりなさい」


 と、生まれた頃から毎度そう言われてきた。

 それは母も同じ。


騎士ナイトになるのですよ。お父様もそうだったのですから」


 対照的に子を産んだとは思えないプロポーションを持つまだ若い母も言った。

 僕は嫡男だったから、騎士として王家に仕えるのだろうと考えていた。


――そういう意味だと思っていた。


 実際に3才を迎えた時から鍛錬が始まったから。

 小型剣から、ついで細剣と軽い武器を使って。

 父の部下という騎士の人たちに教えて貰う毎日。


「小さいからと言って加減はしませんぞ」

「その程度で騎士ナイトになれるとお思いか」


 言葉通り鍛錬は厳しかった。

 手加減はしてくれてたのだろうけど、受けて吹き飛ばされたりもする毎日。

 でも楽しかった。

 叩き伏せられても土の匂い。

 倒れるまで走らされても汗の匂い。

 ここは、この世界は消毒液以外の色々な匂いにあふれていた。

 寝転べば広い空は抜けるような青さで。

 それは夢にまで見た窓ガラスを通さない空の色だったけど、疑問もあった。


――ここはどこだろう?


 その疑問が解けたのは御伽噺おとぎばなしを聞いた時。

 決まって聞かされたのは1000年前の勇者の物語。

 勇者クロスと一行の5人が魔王を討伐するという聞いたことのない物語だったからここは違う世界なのだと気付いた。


「坊ちゃんお話をしましょう。今日は――『5番目クインテは森の中』ですよ」


 勇者の物語の中の一つの章に『5番目クインテは森の中』という話がある。

 この世界の子供がもっとも聞かされるであろう話で、この物語で唯一”クインテ”というエルフの視点で話が進む。

 特異な章立てのこの話を繰り返すから、重要なのだろうと子供心に思っていた。


「昔昔のある時。その時エルフは森に里を作っていました」


 そんな一節から始まる物語の概要はこうだ。

 クインテには才能があった。

 蔦の女神に当たられた才能は魔法の才だった――けどそれにあらがった。

 剣を握ったのだ。

 クインテは毎日剣を振るう。

 最初はゴブリンにも勝てなかった。

 1年、2年経っても勝てない。

 けど諦めなかった。

 5年も立つとクインテは剣の技能を身に付けついにはゴブリンをほふる。

 気を良くすると更に修行を続け50年も経った頃、森の魔物の大半と渡り会える力を付け――いつしか達人と呼ばれるレベルに達した。

 剣で里を支えて100年が経過すると森の外にも勇名がとどろくようになる。

 ある日、その森の領主の子がやって来た。

 名をクロス――後の勇者である。

 若干14才で一人で森に入って来たクロスの度胸にクインテは願いを聞き入れた。

 だが、一月もした頃には弟子でなくなる。

 クロスがクインテを上回ったから。

 200年近い鍛錬が1か月で覆されるという話だ。

 話が終わると決まって「蔦の女神様の祝福に抗っては行けませんよ」と言う。

 それは才能に従うほうが幸せという寓意ぐういのある話――と思っていた。

 その真意に気付いたのは15になった年だった。


「やった! 声変わりだ!」


 その年の夏のある朝、起きてみると声が変わっていた。

 前世から数えて20年以上待ちに待った第二次性徴が来たのだ。

 僕は屋敷中を走り回っては、執事に侍女に庭師に声を掛けて回る。

 小躍りしながら、謳うように。

 会う侍女たちも「おめでとうございます」と祝いの言葉を述べてくれた。

 けどやっぱりその意味も少し違う。

 それを知ったのは父の部屋に呼ばれた時だった。


「失礼します。父上」

「おお、本当に大人になったのだな」

「はい! ようやく変わったんです! 遅い方ですか? 僕は余り背も高くないし、もっと掛かるのかと思ってたのですが――」

「いや間に合った。喉をくことが無くて良かった」

「間に合っ――えっ灼く? 喉を――?」

「ああ、16の年が終わるまでになっても大人になれなかったら処分される」

「えっ?」

「何、そう驚くな。昔の話だ。お前はなれたのだから」


 初めて見た父の笑顔に、背筋が凍った。


「それに今は喉を灼く薬がある。もっとも”しゃがれ”になって貰っては困るがな。酷く醜い声だからなあれは。お前が恥ずかしい声にならなくて良かった」


『声が変わったら大人になる』


 そう言われていた言葉は大人へ一つ近づく成長をするという意味じゃなかった。

 父の言葉をそのまま受け取ればこの世界では声変わりが、第二次性徴が成人の証。


――嫌な予感がした


「明日、教会に行ってきなさい。儀式を受け、女神様に騎士ナイトを授かるのだ」

騎士ナイトを――授かる――」

「そうだ。聞いてなかったのか? 大人になったら成人の儀式を受ける。そこで職業を女神様に授かるのだと。お前はそこで騎士ナイトになるのだと。何度も言ったろう」

「いえ、はい! 覚えてます」


 下手に前世の知識があるから、言葉を変に解釈してしまっていた。

 一切の比喩なく、額面通りに言葉を受け取らなければ行けなかったのだろう。

 少なくとも『声が変わったら大人になる』はそうだった。

 じゃあ『職業は蔦の女神様によって授けられる』はどうだろうか?

 この言葉を僕は『仕事というのは蔦の女神様のお陰であるのだから貴賤はない』と解釈していた。

 けどそのままの意味だったらどうだろうか?


『職業は蔦の女神様が決める』


 のではないのだろうか?

 『5番目クインテは森の中』の寓意は『女神の決めた職業に逆らうな』だったら?

 騎士とは王から授けられる身分でなく、女神の決める職業だったら?

 そして儀式にて騎士ナイト以外の職業を授けられてしまったら?


『仮に騎士になれなかったとしたらどうなるのでしょうか?』


 なんて父には聞けなかった。

 あまりに恐ろしい笑顔だったから。

 すべての疑問を飲み込んで僕は逃げるように自室に戻った。


「お願いします神様」


 そしてその夜、久しぶりに神に願った。


――けど、それはもう遅かった。


 前世だって神に毒づいた僕には転生したという奇跡だけでも大きい。

 それなのに僕は今日まで感謝はおろか祈りも真面目に捧げていないのだから。


「貴方の職業は塔士タワーディフェンダーです」


 ステンドグラスを通した色とりどりの光差す教会の中、蔦に絡めとられた女神様のレリーフの下、木と緑の色の祭服を着た神父様は表情を崩さずそう言った。


騎士ナイト――じゃないんですね?」

「残念ですが――固有職ユニークジョブです」

固有職ユニークジョブ?!」

「そうです。貴方だけの、この世界で唯一の職業をそう呼びます」


 ユニークという響きに思わず声を上がった。

 それに世界で唯一僕だけのと言われれば良い気しかしない。

 それを見た神父様は笑う。

 ただどこか無理に口角を上げたような、作り笑いのようにも見えた。

 人前で常に優しく笑わないといけない人だから、作り笑いくらいする。と、その時はそう思っていた。

 けど僕でも分かる無理した作り笑いの意味を知ったのは両親に打ち明けた時だ。


騎士ナイトでは――なく、八大職でもないのか」

「なんてこと――我が家から固有職ユニークジョブが出るなんて」


 両親がショックを受けたのは一瞬。

 次の瞬間にはしらけたような顔をして、僕のことは目に入らなくなった。


「あなた――お義兄にいさんのところは男の子がまだ余ってたでしょう」

「ああ、それがあったか――よし、明日早速聞いてみよう」


 前の親と同じだった。

 子供がもう期待に応えることが出来ないと分かると目も合わせることはない。

 その冷たい声と目がもう終わりなのだと教えた。

 その日から僕は家に入ることは許されなくなった。


「お坊ちゃま追放ですので」


 申し訳なさそうな執事に渡された金は二か月ほど宿で暮らせる分。

 その金がある間に仕事を探すべきだったけど足が向いたのは教会だった。

 知っている場所がここしかなかったし、職業について聞きたかったからだ。


騎士ナイトとは何なんでしょうか。職業って――捨てられるほどのものですかっ」


 余裕のない僕は開口一番不躾ぶしつけな言葉を投げかけた。


「職業とは女神様に与えられる人の可能性、才能の可視化と言われてます」

「僕の才能――ですか」

「そうです。成人の儀までに鍛えた結果が才能を浮き彫りにし、職業という形で結実する――と言われています。ですので、目指す将来を決めたら鍛錬を詰むわけです。

収集をしたいなら木を切ったり、運送したいなら水汲みとかですね」


 そんな失礼な僕に大して座るように促すと隣に座って話し始めた。

 今度は作り笑いでない優しい笑顔で。


「固有職では悪いんでしょうか?」

「というより騎士ナイトではないというのが不味いのでしょう。貴族は子息を騎士団に所属させることが最大のステータスになります」

「騎士団――って何なのでしょうか?」

「騎士団についてはあまり――ただ騎士ナイトならば所属は容易なのです。騎士ナイトであれば、それ以外他に何もなくとも、貴族でなくとも入団出来ると聞きます」

「じゃあ騎士団に――入れませんか? 騎士団に入ればきっと父上も――」

「無理ですね。固有職ユニークジョブでは残念ながら」

「何でっ!」


 と思わず叫んでしまった。けど神父様は落ち着いて話してくれた。

 今にして思えば多分、この手のことは良くあるのだろう。


「せめて八大職の戦闘系かそれに類する職でないと所属できません」

「八大職? 父上も”せめて”と言ってましたけどそれは?」

「八大職――騎士ナイト猟士ハンター魔術士メイジ癒術士ヒーラー作製士クリエーター収集士パッカー運送士キャリアー農士ファーマーの八つ。これらはすべて汎用職ゼネラルジョブと呼ばれる区分になります」

汎用職ゼネラルジョブ?」

「なんでも出来ると思ってください。騎士ナイトなら前衛を何でも。猟士ハンターなら斥候、魔術士メイジなら魔法、癒術士ヒーラーなら回復。生産系も同様、作製士クリエーターなら何でも作れます。収集士パッカーなら何でも採取できますし、運送士キャリアーなら運ぶのは何でもござれ、農士ファーマーは食料を」

「そんなこと誰でも――」


 と言って口をつぐんだ。

 少なくともこの世界では。この世界の女神様の下では。この世界の住人にはこれを言ってはいけない。


「じゃあ汎用職ゼネラルジョブ固有職ユニークジョブかってだけですか?」

「いえ後は専門職エキスパートジョブと呼ばれる区分があります。これは汎用職ゼネラルジョブの一部を扱える職業」

「一部――?」

「そうです。汎用職ゼネラルジョブとは専門職をエキスパートジョブ寄り集めた職業なのです。汎用は専用を兼ねるから汎用なのです。ですから人々は汎用職ゼネラルジョブであることを願い。貴族はその中でも八大職を狙って子を育てるのです」

「そのための鍛錬だったんだ――」

「大変だったのでしょうね。ですが悲観してはいけません。すべては女神様の御心。固有職ユニークジョブと言っても色々ありますから」

「他に? 僕以外にもいるのですか?」

「ええ、ここでも毎年何人か。女神様の御心です。女神様に与えられた使命です。皆で希望を持って生きるための職業です。安らかに生きていくのですよ」

「安らかに――生きていけるのですか?」

「そうです。女神様の御心ですから」


 その声は今までの深く染み込むような話し方と違ってどこか軽く滑るようだった。

 だからこう聞いてみた。


「仮に神父様がなっても?」


 そう聞くと神父はへたくそな作り笑いで「勿論です」と返して来た。



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