祓い屋関東支部長の九十九さん

水飴 くすり

祓い屋関東支部長の九十九さん


 丑三つ時に魔が来る。


 中部エリアなら鬼頭へ。九州エリアなら公安へ。そして関東エリアなら九十九へ、というのは祓い稼業に関わる者ならば有名な話だ。


 此処は魔の都東京。関東の負の情報は全て、祓い屋関東支部――ひいては支部長である九十九の元へ集う。


 件の支部長といえば、今日も自身のデスクでブラックコーヒーを飲んでいた。その目は死んだ魚よりもよっぽど濁っている。

 色素の薄い金に近い茶髪と明るい瞳、白過ぎる肌のせいで余計に人間味がない。けれど、表情の無さも相まって人形の様な美しさだ。カメラマンであれば彼女でフィルムを一本使い切り、絵描きであればスケッチブック一冊描いてもまだ足りないだろう。


「九十九さん〜、いい加減許してくださいよぉ」


 九十九の年季の入った、ギコギコと動く度に音が鳴るオフィスチェアの足元から、涙声が聞こえてきた。九十九は何度目かわからないその泣き言に、一つ溜め息を吐いてデスクの足元に視線を投げる。


「まだ許さない」

「そんな〜あ」


 端的に述べる九十九に、声の主は情けない媚びた声で抗議する。


 元々はセットされていたのだろう黒髪は汗と脂でペタリとして、見苦しく額に張り付いていた。彼は地面に四つん這いになっており、その赤くなった掌から、随分と長い間その体制でじっとしていた事が窺える。


 その斜めに下がった背の上に、九十九の白いソックスに包まれた小さな踵が乗せられている。

 情けない涙目だが、こちらも大層整った美丈夫だった。


「もう体疲れたッスよ〜! 昨日の捜査から帰ってからずっとこれ! もう嫌ッス! 労基に訴えるッス!」

「うるさい。それ以上騒ぐと、ガムテープで口塞ぐ」

「う〜〜! こんなんパワハラだ!」

「天野」

「……なんスか」


 天野と呼ばれた男は、不満そうに唇を尖らせて返事をする。九十九は冷たい目で天野を見下ろして、持っていたコーヒーを飲み干した。素早くパソコンをシャットダウンさせる。


「新しい捜査任務が入った。支度して」

「!! よっしゃ! や〜っと人間らしく立って歩けるんスね!」


 九十九が小さな踵を地面に下ろすと、天野は瞬時に立ち上がって大きく飛び跳ねた。

 時計を見ると、零時を回っている。少なくともオフィスチェアに座る時間ではないが、二人にとってはいつもの事だ。


 魔の者は決まって丑三つ時に出る。


 何百年も前から変わらない事の一つだ。


 九十九と天野は素早く衣類を整えると、オフィスを出た。向かう先は近所の月極駐車場に停めてある社用車だ。


「う〜〜! やっぱ人間は二足歩行っしょ!」


 ぐっと大きく体をのばしながら、天野は笑顔を浮かべる。先程まで地面に四つん這いになっていたとは思えない。

 場違いに明るい表情で、天野は慣れた動作で助手席を陣取った。それを見もせずに、九十九も運転席に座った。黒いハイエースが滑るように闇夜を走る。


「九十九さん、今日はどこで仕事ッスか?」

「新宿」

「どんな仕事ッスか?」

「飛び降り自殺の霊が繰り返し出る」

「はえ〜新宿らしい仕事ッスね」


 間延びした返答をして、天野が胸ポケットからタバコとライターを出す。点火し、右手を添えて深くラッキーストライクの煙を吸い込む。数十時間振りに吸うタバコに目眩を覚えたが、中毒者にはそれすら快感だった。


「最初にヤニ発見した奴ァ、天才ッスわ」

「……車が臭くなる」

「まぁまぁ、ファブッときますって」


 三十分程走った所で、依頼された目的地付近に到着した。九十九は無言のまま、現場を通り過ぎ、最寄りのコインパーキングに車を停める。


「少し歩く」

「りょ」


 短く答えて、二人はそのまま徒歩で目的地まで歩いた。ビル群を抜け、ある一角に辿り着く。

 複数のテナントが入っているようだが、その全てに明かりが点灯していない。そのビルだけ、全ての窓が真っ暗だった。余りにも異質で浮いている光景に、九十九は目を細める。


「目標のせいで客足に影響が出てる」

「そりゃ、目の前の窓で何回も飛び降り見えるんじゃ、廃業にもなりますよね。新しいテナントも、噂聞いたら入るわきゃねえ」


 やれやれと肩を竦めて、天野はもう一本、咥えたタバコに火を着けた。


 時刻は間も無く午前二時。魔の者が蔓延る時間になる。


 何処からかハイヒールが地面を叩く音がした。


 コツコツ。複数回鳴ったそれは暫くすると止み、辺りは無音になる。


「――来た」


 ふと顔を上げて、九十九が小さく呟いた。


 それとほとんど同時に、ビルの屋上から高速で何かが落下する。それは重力に任せた速度で地面に落ち、見るも無惨に割れた。


 二人は無言で暫しそれを見ていたが、瞬きを一つすると消えて無くなった。


「ありゃ〜、マジで出ましたね」

「……」


 どこか間の抜けた声で、天野が遠くを見るように目の上に手を当てて言った。そう言っている間にも、先程と同じ塊がビルの屋上から醜い音をたてて地面に叩き付けられる。


 二度目のそれも無感情に見送った所で、九十九が顰めっ面で天野を呼んだ。


「なんスか」

「仕事して」

「え〜……」

「……はあ」


 九十九は重い溜め息を吐くと、無表情のまま仕方なくスーツの内ポケットに指を入れた。

 そこから一本のコンパクトナイフを取り出し、パチンと高い音をたてて開く。

 天野は機嫌良くそれを見て、愉悦に耽って口端を上げた。


「そうそう、ご褒美貰わなくっちゃね」


 その言葉に、九十九は無表情の顔を嫌そうに歪めた。感情表現が負の方にだけ偏っている上司を、天野は笑顔のままじっくりと見下ろす。


 コンパクトナイフは九十九の掌をゆっくりと滑る。滑らせる端から血の玉がぷくりと浮かび、手首の方まで伝う。


これの分は働いて」

「は〜い」


 天野はまるで貴族のように恭しく九十九の指を取り、その掌に溢れんばかりに広がる赤い滴をべろりと長い舌で舐め上げた。

 そのまま、じゅるじゅると唾液をつけるように、音を立てて舌を這わしていく。


「うま〜」

「時間がない。早くして」

「はいはい。満腹の内から働かせるなんて、本当俺の上司って人使い荒いなあ」

「……テン

「はーいはい」


 苛立った声で愛称を呼ばれ、天野の機嫌は更に上向きになる。

 天野はぺろりと自身の唇を舐め上げた。その瞳は先程までの漆黒ではなく、血の様に赤く染まっている。


「天野、仕事しまーす」


 ふざけた口調でそう告げると、天野はその場で地面を蹴った。その間にも、ビルの屋上からは繰り返し飛び降りる影が見える。


 天野はスキップのような気軽さでビルの屋上まで飛んだ。


(……何が人だよ)


 九十九は心中呆れてそう思いながら、ふう、と息を吐いた。その掌は乾き、傷一つない。


 視線の先には天野がいる。

 けれど、先程までとは大きく様子が変わっていた。


 背には真っ黒の翼が一対あり、風を受けて大きく羽ばたく。そのまま屋上まで行くと、そこには黒い影のような靄があった。


「おいおい、いつまでそんな事繰り返すつもり? もう次に行く時間だよ」


 影は怯えたように大きく揺らめいた。動揺しているようにも見える。


 こんな事を繰り返しても、永遠に彼女は成仏する事はない。そして、彼女を浄化できなければ、天野はまた九十九の椅子にされてしまう。


 天野は口端を大きく上げて、そのモヤを抱き締めるように両手を広げた。


「俺のご主人様は気が短いんだ。さっさと逝こうぜ」


 パン!


 天野が大きく柏手を打つと、黒い影のような物は一瞬で煙のように消えた。


 無感動に天野は暫くその場所を見ていたが、何か変わった事が起こる様子はない。ただの、ごく普通のビルだ。

 それにも飽きた天野でくるりと背を向けて、屋上を後にする。先程の影が地面に落ちる速度よりよっぽど早く地面に到着すると、九十九の前に降り立った。


「終わったッスよ〜」

「お疲れ」

「もっと労ってほしいッスね〜! さっきまで椅子だったんで。仕舞ってても、羽根の付け根に踵乗せられるの地味に痛いんスよ?」

「あれは折檻。天野が前の捜査で怪我したから悪い」


 九十九は欠片も表情を崩さずに言うと、未練もなく踵を返した。


「あ、待ってくださいよ〜」


 天野はそう言いつつ追いかけて、いつもの様に助手席に座る。九十九が運転席に乗り込んだ瞬間、胸元のスマホが大きく音をたてて鳴った。


「――はい。九十九です」

『お疲れ様〜九十九ちゃん。今回も無事だった?』

「問題ありません。完了しました」

『いつも通り、天野くんとでしょ? 彼、大丈夫なの? 血を要求する天狗なんて、普通じゃないわ』

「問題ありません」


 明るい声の主は九十九の上司に当たる、祓い屋の実質的なトップだ。口調は優しげな女性口調だが、声はダンディなバリトンボイスである。


 そんな事は九十九は気にせず、簡潔に報告を済ました。


『それにしても九十九ちゃんも天野くんと組んで長いわね』

「十年程なのでそれ程でもないです」

『十年は長いわよ〜。あの時はびっくりしたわぁ。ちっちゃい九十九ちゃんが、急に天狗連れてきて、部下にするなんて。名前も天狗だから天野なんて、センスあるんだかないんだか』

「問題ありません。報告は終わりましたので切ります。お疲れ様でした」

『あ、ちょっ』


 一方的に会話を打ち切って、九十九はスマホをポケットに戻す。ハンドルを握るとそのまま走り出した。


「本部長ッスか?」

「そう」

「あの人俺の事嫌いッスからね〜どうせまた何か言ったんでしょ」

「別に」


 冷たくも聞こえる声に、天野は呆れて溜め息を一つ溢した。本部長は純粋に九十九を心配しているだけだと、天野は理解している。

 果たしてこのお人形のような女は、それを理解しているのだろうか。天野にだって、誰かを守ろうと思う気持ちくらいは理解できるのだ。


 いつもの無表情で九十九は前を見据える。


「何を言われても、天野は私のもの。これからもずっと、私のパートナーは貴方」

「ッ……あんた、本当そういうとこ狡いッスね」


 何でもない顔をするのに表情筋を酷使しながら、天野が呟いた。

 九十九はフンと鼻を鳴らして、アクセルを踏み込む。


 中部エリアなら鬼頭へ。九州エリアなら公安へ。そして関東エリアなら九十九――そして、パートナーの天野へ。


 それが闇の世界のルールだ。これからも変わらず。


 今宵も丑三つ時に向けて、ハイエースが夜の街を走る。 

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