第36話

 王太后とエドウィーズが去っても、その場に枢機卿は残った。

 だが目に見えて落ち込んでいる様子に、誰もがなんと声をかけていいのか躊躇ってしまうほどだ。


 王弟はその様子を気に留めるでもなく、バシバシと枢機卿の背を叩くと「俺の言った通りだったろう」と喉を鳴らすようにして笑った。


「は、まさしく……」


「どういうことです? 叔父上」


「母上は何も親切心であの侍女の言葉に乗ったわけじゃない。今回、ロビンをどこの派閥が得るか、その駆け引きの一つに過ぎなかったのさ」


「え? ええ……?」


 ものすごく迷惑そうな表情を浮かべるロビンに、王弟は苦笑しつつ今回の話の種明かしとやらをした。


 英雄を逃したくないのはどこもそうだ。

 平穏な時間が続けば、民衆の不満というものはどこかに溜まってしまうもの。

 また同時に聖職者にも、領主たちにもおごりと悪心が芽生えていくものであった。


 無論そういった人間ばかりではないことも確かだが、平穏な時間が続けば続くほど安寧の生活の中から欲を覚え、そしてそれによって穏やかに暮らしていた人々が苦しむのだ。


「それを解決するにも、英雄という旗印はとても役に立つ」


 人々の目を眩ませるわけではないが、英雄がいる派閥が粛清の音頭を取ることになっていたのだ。

 女性を、後ろ盾をとあからさまに高位の者たちが名乗り出るわけにもいかず、その派閥の中にもさらなる派閥があるためにロビンの後ろ盾を決めるのは困難に困難を極めていた。


 そんな中で選ばれたのが、中立のベイア子爵だったのだ。

 ちなみにその当人は、現在ヴァンダ補佐官と共に国王から『話があるから』と別室に呼ばれてそれきりである。


「つまり、母上である王太后様は教会よりでありながら枢機卿とはまた別の派閥、娘の話が本当ならばそれを後押ししたとして派閥内での発言力を強めた上に枢機卿も抱き込める……と言う腹だな」


「娘の言葉が真であればと思っておりましたが……」


「兄である国王陛下の力が他派閥を押さえ込めんことは情けない話だが、今回の叙爵が遅れたことでよくわかっているだろうが……」


 苦笑する王弟に王子はなんとも言えない表情だ。

 それは苦々しいのを表に出さないように堪えているのかもしれない。


「結婚が一番手っ取り早いからな。どこも自分のところの派閥から娘をロビンと見合いさせるつもりで準備していたことだろう。ところが、思いのほか早く相手が決まった。……それがベイア子爵のご令嬢だったってことさ」


 それは予想外の話だったのだ。

 初め、それこそベイア子爵が後見人に決まった際、まだアナには婚約者がいた。

 だからこそベイア子爵が選ばれたとも言えるのだ。


 彼は中立であり、娘には婚約者がいて、跡取りもいる。

 金銭的にも余裕があり、妻が豪商の娘ということもあって平民受けも良い。

 領地経営も堅実で、彼自身稼ぎ手であることもあってこれを機に派閥への勧誘も行うつもりだった貴族が何人いるのだろうか?


 ロビンは目を丸くするばかりだ。


「マグダレア夫人が婚約を解消しても、その際にまだ夫人とロビンは面識がなかった。それに、次の婚約が舞い込んでいたからな」


「……本当に、今でも悔やんでおりますのよ。アナにはとても申し訳ないことをしたと……」


「ジュディス様……」


 ジュディスにしてみればいずれ義姉になってくれるかも! という考えがあったことは否めない。

 モルトニア侯爵家としても、アナという女性は好ましい存在であったし良いことだと思ったし、今回の件も考えればジュディスとアナの友情も含め、ベイア子爵家を貴族の派閥に……王家側に引き込むことが容易に思えたのは想像に難くない。


 ところが、そのモーリスも運命がどうと言い出して解消し、そこでロビンと縁づいたのだ。

 誰がそうなると予想できただろうか?


 ロビンは口をへの字に曲げて、ただアナの手をぎゅっと握るのだった。

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