第35話 アルケット・バール・サタナ②

 薄汚い服を身に着ける白いひげを長くはやした老人。だがその仕草、姿勢は老人とは思えない圧迫感を感じ取れる。


 この老人、俺がよりはるかに強い。



「こんなバカげたことはさっさとやめろ。時間の無駄だ」


「それは俺の勝手だろ。ほっておいてくれ」


「それは無理だな。今のお前は今でも死にそうな眼をしてやがる。まるで世界に絶望した俺のような眼だ」


「お前と同じ?」


「なぁ、この世界は間違っていると思わないか?こいつらをみろ。まだ小さいっていうのに、親に捨てられ、このまま餓死する運命。また犯罪を犯し、牢屋に連れられ、死ぬよりひどい目に合うか。これをほっておくこの国、いやそんな人がいるこの世界が間違っていると思わないか?」



 俺はつばを飲み込んだ。



「そんな話をして何になるんだ」


「そんじゃあ、率直に言わせてもらうが、俺と一緒に世界を変えてみねぇか?争いのない、誰もが平等で飢え死にしない世界に」


「馬鹿らしいな」


「ああ、だが何かを成し遂げる奴はだいだい最初は馬鹿らしい、妄言だ、不可能だって言う。だがそんな言葉に惑わされず、最後までやり遂げるからこそ、不可能を可能にするんだ。どうして、お前は銀貨をバラまいた?生産性もない、得もないのに」



 理由なんてない。ただ、何もかもに絶望して、適当に銀貨を巻いていただけ。


 特別な理由なんてない。



「理由は単純だ。そこに困っている人がいるからだ」


「んっ!?」


「人間って生き物の大半は困っている奴がいると、こう考えるんだ。”かわいそう”ってな。人間は同情する。同情してしまう生き物なんだ。そして、お前は同情して動いた。世界に絶望していながら。そんなお前だから、提案しているんだ。さぁ、どうする?」



 俺が同情した?いや、たしかに思い返せば、そうかもしれない。


 でもそれとこんないかれた老人の手を取る理由にはならないはずだ。


 …………いや、でもいい機会かもしれない。


 俺の妻と息子はクリスタリア王国の国王が密約した結果、犠牲になった。


 最初は怒りがこみ上げたが、その後、すぐに殺されたことが発表され、心の奥底から煮えたぎる怒りは行き場所を失った。


 それを少しでも晴らすための行動が銀貨を配ることだった。何かの役に立っている。そんな感情が俺の怒りを少しだけ沈めてくれたんだ。



「お前の野望は甘い蜜のような妄言だが、それがもし実現したら、少しはこの怒りが収まるのか?」


「考え方次第だろうな。だがこれが実現すれば、お前のような被害者をなくすことはできる」


「…………」



 失ったものはもう二度と帰ってこない。取り戻せない。


 だが、こんな悲劇をまた繰り返させるわけにもいかない。そして、こいつの野望が実現すれば、二度とあの悲劇は起こらない。


 みんな幸せに暮らす世界。飢え死にすることない楽園。



「いいだろう。その手を握ってやる」


「それでいい。やっぱり、お前は俺の期待通り、いやそれ以上だ。だがあいにくと俺はサポートしかできなくてな。大方はお前に任せるつもりだ」


「どういうことだ?」



 老人はミシミシと体を鳴らす。すると徐々に皮膚に張りができ、身長が少し伸びる。



「ど、どうなってるんだ、気持ち悪いな」



 白いひげはなくなり、若々しく真っ黒な髪が特徴的な好青年へと姿を変えた。だが、その姿とは打って変わり、雰囲気は何も変わっておらず、むしろ、老人の姿よりも圧を感じる。



「ふん、久しぶりの元の姿。すがすがしい気分だ。さてと、俺は分け合って表に出られなくてな。そこで協力者、もしくは共犯者を探していたんだ。こうして、老人の姿に変装してな」


「お前は一体、何者なんだ」


「第3代目絶影アサツ、そう呼ばれている。ついで弟子を現在募集中だ」


「…………ぜ、ぜつえい?」



 聞いたことのない言葉に首を傾げた。



「そうか、もうこの名もすたれたか。まあいい、とりあえず、これでお互い共犯者になったわけだが、言っての通り、俺は表舞台に出られん。そこで、俺の夢を、いや野望をお前に託す。資金についてはある程度用意してあるし、優秀な仲間も何人か集めてある。あとはお前がどう動くかだって、そういえば、名前を聞いていなかったな」


「アルケット・バール・サタナだ」


「アルケットか、いい名前だ。さぁ、さっそく動こう。やっと動き出せるんだ、ここからはあっという間だぞ」



 この時から俺は悪の道へと進み始めた。


 だがこの時は悪という表現はよくない。どちからというと改革に近い。なにせ、世界を変えようとしたのだから。



「だが、まず何をするつもりなんだ?」


「組織を作る。国をひっくり返すほどの組織を作り、まずは一国を掌握する。世界を変えるにはまず国が必要だからな」


「何年かかるんだよ」


「俺の見立てでは8年あれば十分だ。なにせ、狙うはここプルッセラ王国の首都だ。ここさえ、取れればプルッセラ王国を手に入れられる。それに8年後はきっと王位争いで不安定になっているはずだしな」


「本気なんだな」


「当たり前だ。この時のために俺はずっと準備してきたんだからな」



 正直、まだイメージできないけど、アサツの言葉の節々から本気であることを感じ取れる。



「それを取りまとめるのはお前だ、アルケット!お前にしか頼めない!!」


「…………表舞台に出られない理由はなんなんだ?」


「そりゃあ、いろいろあるんだ。いわゆる人には言えない事情ってやつだ」


「そうか、ならこれ以上深くは聞かない」


「それがいい。そのほうがいい。それじゃあ、まずは俺が集めた仲間を紹介してやるよ、俺についてこい」



 こうして、俺はアサツの後ろについていき、バハラの創設メンバーであるコーラやほかの仲間たちと知り合うことになる。


 最初は互いの信頼を得ながら、まず組織の下地を作ることに尽力した。


 その時、俺は一人の女の子を見つける。


 捨てられたのか路地裏で一人、体育座りで顔を伏せる少女。ここはほっておくべきだが、脳裏に野望がちらつき、なぜか話しかけてしまった。



「帰る家がないのか?」


「え?」



 少女は声が聞こえるほうへと見上げる。


 すると、アルケットは声を失った。


 なぜなら、その素顔がすごく息子に似ていたからだ。


 グッと感情があふれ出しそうになった。息子じゃない、息子じゃないとわかっていながら、それでも今にも涙があふれだしそうになった。


 そこで俺は唇をガリッとかみ切ってこらえた。



「もうすぐ、バハラという組織ができる。まだ幼いが、幼いなりに教育の甲斐しがいはある」



 俺は少女を抱っこした。



「覚悟があるなら、俺のもとに来るか?」


「…………うん」



 俺はすぐにアサツのもとに連れていき、弟子としてどうだ?と提案した。



「こいつはいいな。どうやら、ただの子供ってわけでもないみたいだし、よく見つけたな?」


「偶然見つけただけだ」


「本当にそれだけか?」


「ああ、俺の気まぐれでお前のもとに連れてきたんだ」


「お嬢ちゃん、俺たちはな、いま大きな野望のために準備をしているんだ。そこでお嬢ちゃんが気にすることは一つだけ。自分にどれだけの利用価値があるかどうかだ。難しいかもしれんが、簡単に言えば、いるか・いらないか。それは俺との修行の結果でわかることだ。あいつに捨てられたくなければ、価値を示せ。ついてこれるか?」



 少女はアルケットのほうへと視線を向けた後、アサツへと視線を戻し。



「うん」



 大きく頷いた。



「アルケット、こいつ肝が据わってるぞ!これは鍛えがいがある」


「殺すなよ」


「わかってる」



 それから3年後、バハラはアルケットを筆頭にコーラ、クララ、そのほかのメンバーをもとに結成された。


 これがバハラの始まりであり同時に、野望のための最初の一歩。


 だがどんな行いも勝てなければ悪になる。悪は報いを受けるのが摂理。


 それでも前に進むことを決めたアルケットはこうして、バハラのボスとしてのみとを歩み始めた。

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