第262話 引退式②
三上先輩は不知火にはスポーツノンフィクションの本をプレゼントしていた。
「『たった一人のオリンピック』……」
「不知火には『江夏の21球』のことは話したし、収録されてる『スローカーブを、もう一球』は読んだんだろ?」
「はい、買いました」
「だろうな。だから、同じ著者のこれを用意した。もちろん、不知火には野球のノンフィクションも書いて欲しいが、それ以外の世界もあるって知ってもらいたくてな」
「なるほど、野球以外の話ですね」
「そうだ。俺は表題作がとてもお気に入りなんだ。読んでみろ」
「分かりました。ありがとうございます」
不知火もいい本をもらったようだな。
雪乃先輩も冬美さんと上野さんに本を渡していたが何を渡したのかは教えてもらえなかった。乙女の秘密だそうだ。冬美さんと上野さんの顔が少し赤い気がするのは気のせいだろうか。
後藤先輩が立夏さんに渡しているのは何か冊子のようなものだが……
「後藤先輩は何渡したんですか?」
「俺の詩集だ」
「な、なるほど……」
ちょっと引いてしまった。
「ありがとうございます」
でも、立夏さんは大事そうに抱きかかえている。立夏さんは後藤先輩の詩も気に入ってたし、いいプレゼントだろう。
「後藤先輩、まさか私も同じものじゃないでしょうね」
陽春が戦々恐々としている。
「浜辺にはこれだな」
後藤先輩が渡したのはライトノベルだった。
「あ、『負けヒロインが多すぎる!』だ! よく入手できましたね。今、なかなか無いって話ですよ」
「たまたま入手できたんだよ。浜辺は小説は読まないだろ。でも、文芸部としてちゃんと小説も読んで欲しいから、アニメになってて読みやすい、最近流行りのを買ってきた」
「ありがとうございます!」
陽春も大喜びだ。しかし……
「負けヒロイン……私のことみたいで、あんまり好きじゃ無いです」
立夏さんが後藤先輩に言う。
「ん? そうか? 立夏はこれから勝ちヒロインになるんだからいいだろ」
「そんな……」
「負けヒロインなんて忘れろ」
「そ、そうですね……」
なんか後藤先輩と立夏さんが見つめ合っている。
「立夏ちゃん、部室でイチャイチャはダメだよ!」
陽春が言う。
「イチャイチャしてないから。そもそも陽春ちゃんに言われたくないし」
「アハハ。一度言ってみたかったんだよね」
「もう……。まあ、いいか」
立夏さんは笑顔になった。
「それじゃあ、みんな。食べましょう!」
「おー!」
俺たちはお菓子を食べ、飲み物を飲み始めた。みんなでわいわい騒ぎ始めて、しばらく経ったときだった。
「最後に後藤先輩のギターが聞きたいな」
立夏さんが言った。
「……ギター持ってきてると思ってるのか?」
「隠して置いてるの知ってますよ」
「……バレたか。でもなあ、みんな聞きたいか?」
「聞きたい!」
陽春が手を上げた。
「せっかくなので」
上野さんも手を上げる。それを見て不知火も手を上げた。俺も最後に聞きたいと手を上げる。やがて、雪乃さん以外の全員が手を上げた。
「雪乃は聞きたくないようだな」
「だって、恥ずかしいから」
「恥ずかしい歌で悪かったな」
「そうじゃないわよ。私のことを歌った歌を自分で聴きたいって言うのが恥ずかしいのよ」
「ハハ、そりゃそうか。でも、歌ってもいいか?」
「いいわよ。でも、私が率先して聞きたいって言ったんじゃ無いからね」
「わかった、わかった。じゃあ、短縮バージョンでメドレーで行くぞ」
そこからは後藤先輩のワンマンショーだった。陽春や冬美さんが笑うから、みんな笑顔だ。後藤先輩も笑顔で歌い終えた。みんなが拍手する。
「……ああ、最後に満足した。これで、もうこの歌は封印する」
「え、そうなんですか?」
陽春が驚いて言った。
「そりゃあな。俺も完全にこれで区切りを付けた。雪乃、これまでありがとうな」
「私は何もしてないわよ」
「まあ、そうか。でも、ありがとう。これから、三上と幸せにな」
「後藤君、あなたもね」
「ありがとう。俺は俺なりの幸せを探すよ」
そう言ってギターをケースにしまい始めた。
「……しんみりするのは嫌だから、私が歌おうかな!」
陽春が言い出す。
「伴奏するか?」
「いいです、ネットの音源あるので。じゃあ、歌います!」
そう言って歌い出したのは、デデデデの主題歌だ。カラオケではいつも歌っている十八番だが、この歌は叫ぶ歌だから、とにかく声が大きい。上野さんは耳を押さえだした。
「は、陽春ちゃん、それぐらいにしておこうか」
雪乃さんが言った。
「え、そうですか?」
「そうだな、陽春。もう十分、盛り上がったぞ」
「そっか。なら、いいか」
陽春が音楽を止めた。外から苦情が来る前で良かった……
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