第89話 不知火洋介
俺、不知火洋介は上野雫に恋している。一目惚れと言っていい。野球を怪我で失って目標を無くした俺は、高校に入り上野さんと出会った。そのキラキラした瞳で見つめられ、一瞬で恋に落ちた。それからは何とか上野さんに気に入ってもらおうと、多くの時間を捧げてきた。だが、いっこうに振り向いてくれる気配は無い。
このダブルデートでも、上野さんは櫻井先輩にかまってばかり。いや、浜辺先輩をからかってばかり。上野さんはこの2人の先輩をとても気に入っている。だから、今日は来てくれた。俺のことはおまけとしか思ってくれていないのは分かっている。
でも、映画の後、俺は先輩にチャンスをもらった。浜辺先輩があんなに号泣していたけど、そこまで号泣する映画じゃ無いし、きっとあれは演技だろう。俺にチャンスを作るために先輩2人が苦心して時間を作ってくれたのだ。それにしても、浜辺先輩、すごい演技だったな。演劇部にも入っていたのだろうか。
「あーあ、不知火、これからどうする?」
上野さんが聞いてきた。
「そうだね……時間をつぶすならゲーセンとか?」
「すぐ下の階にあったよね」
「うん」
「まあ、それでいいか」
二人で下の階に降りる。上野さんと休日に二人で行動なんて初めてだ。少し緊張する。
「ちょっと、離れてよね。あんたとデートしてるなんて思われたくないし」
「ご、ごめん」
上野さんは俺にはいつも厳しい言葉だ。
「で、何する?」
ゲームセンターにはクレーンゲームがたくさん並んでいた。
「……何か上野さん、欲しいものない? 俺が獲るよ」
ここは男気を見せてかっこよく獲ってみせる。
「私、お金無いわよ」
「もちろん、俺が払う」
「オッケー。じゃあ、どれにしようかなあ」
上野さんは上機嫌になって見て回っている。その姿はかわいい。まさに学年のアイドル。こんな子と二人だけの時間を作ってくれるなんて、もう先輩には頭が上がらないよ。
「あ、これかわいい!」
上野さんが気に入ったのは大きな熊のぬいぐるみだった。
「お、大きいね……」
「そうね……これはさすがに無理?」
「いや、大丈夫」
こんなのクレーンゲームで取れるのか? と思うレベルだし、正直、この大きさのものをどうつかんだらいいかも分からない。だけど、置いてあるんだし、なんとかなるんだろう。
俺はお金を投入した。早速やってみる。
「あ、もう少し左なんじゃないの?」
「そうかな」
「まあ、そこでもいいかもしれないけど」
「う、うん」
「あ、もっと奥だって!」
「え?」
「もう」
上野さんが俺にいろいろ言ってくれるのもすごく可愛い。だが、熊のぬいぐるみはなかなか取れない。あっという間に10回終わった。何度やっても進展が無い。次第に上野さんも無口になってくる。
「も、もう一回!」
俺が両替しに行こうとすると、上野さんが俺をつかんだ。
「もういいよ、行こう」
「で、でも……」
「これは取れないって。悪かったわよ、こんな大きいの選んで」
「じゃ、じゃあ、他のにしようか」
もっと取りやすいのに変えてくれるのは正直助かる。
「もういいよ、それにもう陽春先輩も泣き止んだんじゃないの?」
「そ、そうかな……」
俺はがっかりして言った。何の成果を上げられず、このボーナスタイムを終えるなんて……。
「あー、でもアレはちょっと欲しいかも」
俺があまりにがっかりしていたからか、上野さんは近くの比較的小さなぬいぐるみを指してくれた。あれは……クロミちゃんぬいぐるみか。
「よし!」
俺は両替に行き、コインを投入した。
「でも、もうこれで最後よ。これ以上両替は無し」
「わ、わかった」
残されたチャンスは5回か。であれば、最終的に5回目で取れればいい。俺はさっきの大きいぬいぐるみとの戦いで少しコツをつかんでいた。少しずつ、つかみやすい形に寄せて、5回目で勝負だ。
そして、運命の五回目。俺の狙いは完璧に当たった。
「あ、つかんでる! すごい!」
上野さんが喜んでいる!
そして、クロミちゃんぬいぐるみをつかんだクレーンはちゃんと手元まで来てくれた。
「やったー!」
上野さんが手を叩いて喜んでいる。俺が彼女をここまで笑顔にさせたのは初めてだろう。
俺はぬいぐるみを取り出し、上野さんに渡した。
「はい、時間かかってごめん」
「ううん、ありがと。大事にするね」
「う、うん」
上野さんがこんな優しい言葉をかけてくれるなんて最近無かったな。
そんなことを思っているとスマホが震えた。
「あ、陽春先輩、泣き止んだみたいね。行こうか」
「う、うん」
先輩、タイミングばっちりです!
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