第十三話:博士の偏屈な愛情

「君は、RANSにCLTを融合したばかりか、計算誤差を0.2%も削減して見せた!」


 僕らの自己紹介の後の、教授の第一声はそれだった。箭内と栗原は、ポカンとしている。隣に座っている女性も、彼の自己紹介も、すべてスキップした第一声がそれである。よれよれの赤いネクタイに、黄ばんだ薄いストライプのYシャツ。大きな丸眼鏡を付けたボサボサの髪の顔には、恒星のような輝きを放つ大きな目が二つ付いていた。


 一方の箭内と栗原は目が死んでいる。なんだこいつ? と思っているであろう。


「きょ、教授....せめて自己紹介を....」


 隣の女性が、奥ゆかしく止めようとするが教授は止まらない。

 でも、この女の人どこかで見たような....?


「君は、CFDのモデルを基礎から自作した。そして、100万点もの計算格子を家庭用パソコンで行い、そのうえ、大規模なモデルを作りきってみせた。まさに革命だ。ぜひ、私の研究室に来ないか!? 絶対に後悔させない! 私とともにナビエストークス方程式を探求しようじゃないか!」

「いや、あのう....」

「高校生だからって関係ない。大学はそういう人物、あえて言うなら、このような斬新な発想をもたらす人物にこそ、門戸を開けるべきなのだ。最近の学生と言うのは、いかんせん学問という....」

「教授! いい加減にしてください!」


 女性の声がカフェに轟いた。一瞬の静寂が訪れ、辺りの視線が僕らの方に集中線のように向けられる。教授は、小さくなってうつむいた。まあ、悪いわけじゃないが、ある種変人なのだろう。わからないでもない。


「んで、RANSとかCLTとかCFDってなんなのよ? サッカーチームか何か?」

「それはだね....」


 教授が説明しようとするが、隣の女性が制止する。そして僕の方にウインクを飛ばしてきた。どうやら僕が説明しろと言うことらしい。


 やっぱり誰かに似ている。


「....まず、CFDっていうのは、飛行機とかの風の動きをシミュレーションするソフトのこと。んでRANSってのは、そのソフトで使う方程式の略。CLTは....話すと明日になってしまうから、計算の精度を上げる奴だと思えばいい」


 それを聞いた教授はごにょごにょと口を動かし、小さくかすれた声で何かをつぶやいている。まあ、その道の人からすると、くそほど簡単に説明しているため、「違う」と言いたくなるのは当然だろう。


「つまり、なんかすごい計算ってこと?」

「せやな」


 なぜか栗原が同意する。多分お前ではない。


「できれば自己紹介をしてもらいたいんですが....」


 僕は恐る恐るお願いする。ハッという顔になり、教授が慌てて説明し始めた。


「僕は情報工学科の佐内という。よろしく」

「私はそこの研究室の倉田コウと言います」


 倉田!? もしかして....


「もしかして倉田カオルさんの....」


 栗原が恐る恐る聞いた。だが、返答はシンプルだった。


「そうです、倉田カオルの”いとこ”にあたります」

「マジで!?」


 僕は久しぶりに大声を出した。


「マジですよ」


 彼女はそう言って微笑んだ。親戚ながら、確かに倉田カオルの笑みの面影があった。なんでこんなにドキドキしてるんだろう....俺....


「カオルがお世話になりました」


 過去形のその言葉には、少しだけ悲哀がこもっている。そりゃそうだろう。これからって時に亡くしたのだ。年齢的には一番小さかっただろうし....


「んで、協力してくれるの?」


 箭内が、思い出トークしようとしてた所を遮る。まあ、理由はわかるが、もうちょっと浸らせてほしかったな....


「もちろんだ!」


 佐内教授の目に一気に光が灯る。テンションの上下が激しい人だなあ。


「私も、いつか宇宙に衛星を飛ばすのが夢だったんだ! 私が関わったプロジェクトでね! だから今回は全力でコミットさせてもらう! 何なら研究を止めてもいい」

「そんなことしちゃだめでしょ、教授」


 コウさんが、柔らかくたしなめる。

 佐内教授がオホンと一つ咳ばらいをすると、今度は落ち着いた声で喋り始めた。


「....それが....私がすべて監修....と行きたいところなのだが、来年で退官な上に研究が忙しくてね....どうしてもすべてやるとなると、無理がある」


 僕らは一様にうつむく。この人もだめか....


「....だが、人を貸すことはできる。コウ君に頼んであるから、彼女とともにこの研究を実現させてくれ!」


 え? マジで?


「やった! ぜひお願いします!」


 僕は大声を出す。それを見た箭内がブスッと表情をゆがめると、チクリと刺してくる。


「なんかうれしそうね? 下心とかないでしょうね?」


 明らかにさげすんだ顔だ。


「いや、そういうわけじゃなくて....」

「言っとくけど、亡くした友達の代わりを親戚に求めるって、結構きもいからね」

「....」


 それはそうだった。


「トイレ貸してもらえるかしら?」

「私が案内しますね!」


 箭内はカバンをもって、コウさんとともに席を外し、カフェの外に出た。



「なんでこんなの打たなきゃいけないのよ....」


 箭内は、大学の公衆トイレで注射器を見つめていた。だが、その注射器の見た目は、通常のものとはかなり違っていた。オレンジ色のペンのような見た目をしている。


「Блин, надоело(うんざりね)」


 彼女は、震える手でお腹に白い部分を当てると、もう一方のキャップのような部分に力を込める。数秒かけて中の輸液が体の中に入っていく。

 その輸液とは、インスリン。

 彼女は1型糖尿病であり、その病は彼女の体をゆっくりとではあるが着実に蝕んでいた。


「お陰でロシアから日本に来る羽目になるし、何回も注射打たないといけないし、本当にくそったれね」


 彼女は、父がロシア人、母が日本人のハーフである。本名を箭内・アナスタシア・ソコロフと言う。箭内が母方の苗字、ソコロフが父方の苗字である。


 母は岡山大学医学部に通っていた。卒業する直前の24の頃、交換留学生として当時のソビエト連邦へと渡ることになる。

 そこで同い年のニコライ・ソコロフと出会い、両親、つまりはアナスタシアの祖父母と絶縁して結婚した。

 ソ連崩壊の混乱の後、しばらくたってアナスタシアが生まれる。上の兄弟から8つ離れた彼女は、日本で言う小学3年生の時に1型糖尿病を発症した。ロシアでの生活に限界を感じた両親は、社会保障の整った日本の、実家がある満星町に帰ってくることになる。

 今では、一軒しかない町医者を夫婦で営んでいる。


 彼女はトイレのレバーを押し上げた。大きな音を立てて水が流れる。


「これだけは黙っとかなきゃね....」


 彼女にとって同情されるということは、プライドが許さなかった。だからこそ、彼女は同級生全員に黙っており、両親も教員以外には言っていなかった。

 彼女はドアのロックを解くと、ゆっくりと外に出た。


「あ、出てきた! 遅かったですね!」


 倉田コウが声をかける。彼女は一気に表情を”普段の箭内”に戻す。


「少々手ごわかったわ」

「説明はしなくていいです!」


 コウは焦った声で制止する。

 彼女たちはトイレから外に出ると、歩道の上を一緒に歩く。

 箭内は、立ち止まり空を見上げ、大きく息を吸い込むとこう思う。


『ま、日本も悪くないわね! 小山もいるし!』


 彼女たち二人は、歩幅を合わせて歩き始めた。

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