第十話:奥手で内気な強い人
箭内が啖呵を切った翌日。
「おはよう」
今日は曇り空の通学路で、いつもは出会わないはずの奥内とバッタリと会った。そろそろ、田植えが始まるころの田んぼには水が張られている。奥内は、物憂げな表情をしている。電線にはカラスが数匹止まり、甲高い声を上げていた。
「おはようさん」
僕も挨拶を返した。
お互いに何を言うでもなく、微妙な沈黙が流れる。彼女と僕は別に友達ではない。箭内を介しての友達。あえて言うなら友達の友達と言える仲だった。
「どうなっちゃうんだろうね?」
「なにが?」
「このプロジェクト....」
倉田の父親があの様子だったら、多分支援は期待できないだろう。かといって他に当てがあるわけでもない。
「絶望的かもな....」
「だよね....」
空は濃い灰色に染まり、今にも降ってきそうだった。カバンの中の折り畳み傘が出番を待っている。
「まあ、計画を練り直すってのも大事だよ。宇宙に行く以外の道だってあるさ」
「ないよ!」
奥内の甲高い声が辺りに響いた。僕は目を丸くして立ち止まる。カラスがバサバサと羽音を立てて飛んで行った。
「箭内さんが、どんな気持ちで宇宙に行きたいと思ってるか知ってるの? 誰のために宇宙に行きたいか知ってるの? なんでそんなに人の気持ちがわからなくなっちゃったのさ!」
「それは....」
僕は何とか弁明しようとしたが、彼女は止まらなかった。
「それに、倉田さんのお父さんに聞かれたとき、なんて答えるつもりだったの? ….言わなくていい、大体わかるから。だから箭内さんはあなたに答えさせなかった。だって、みんなで宇宙に行きたいから!」
「なんて答えようと思ったか?」確かに、ろくでもないことを言おうとしたのは確かだった。良く言えば現実的、悪く言えば裏切り。そんな言葉を。
だが、僕は....
そこまで言うと彼女は止まった。そして、それまで激しかった彼女の声色は、ゆっくりと小川のように緩やかになる。だが、その言葉には、鋭い棘が確かに込められていた。
「あのロケットの試算だって、本当はそこまで本気でやったわけじゃないんでしょ? もっと安く、それでいて正確に試算しようと思えば、あなたならできたはず。でも、しなかった。あなたは目の前のことに本気で取り組めない。のらりくらりと避けているだけ。だって....」
「そこまでよ」
その声の主は箭内だった。自転車から降りた彼女は、息を切らしながらこちらに近づいてくる。ぜえぜえと息を切らし、肩を揺らしながら息をしていた。顔には汗が玉のようについていた。
「や、箭内さん....」
奥内が身構える。そんな奥内に対し、箭内は優しく声をかけ抱き寄せる。
「まあまあ、そんなに怒りなさんな。お金の件が白紙になっちゃったのはしょうがないけど、何とかなるわよ。まだ完全に幕が下りたってわけじゃない」
彼女は僕の方に「早く行け」と目で訴えかける。僕は学校の方を向き、歩を進めた。
誰のために? 学校の足跡を残すんじゃないのか? もしかして僕?
僕はそこまで考えたところで、首を振った。そんなことを考えたら、僕の心を守る最後の壁が壊れそうだったから。だからこそ、後ろを振り向くことはできなかったし、耳をそばだてることもしなかった。
◇
「現実的になり、不可能なことを求めるのだ!」
いつもの部室で、箭内が声高に叫んだ。窓には、傾きかけた太陽が輝いていた。
「誰かの名言か?」
僕が聞くと、箭内は腕を組んでフンッと鼻を鳴らした。
「私が敬愛する、チェ・ゲバラの名言よ!」
「チェ・ゲバラの出身地は?」
「キューバよ!」
あ、こいつ敬愛してないな、と僕は思った。奥内がすかさず訂正する。
「アルゼンチンだと思いますけど....」
「へーそうなの、まあ細かいことはさておいて....」
箭内は相も変わらず、堰を切ったような勢いで奥内の指摘を押し流すと、カバンを開けて、中から紙の束を取り出した。その紙には、『そうだ、宇宙に行こう』とどこかで見たような、キャッチフレーズが書かれている。
そして、題名の下には大きな文字で”賛成”、小さな文字で”反対”と書かれていた。そして、こうも書かれている。
『この満星町から宇宙に行こう! 矢作高校宇宙投票』
僕らは一人一枚ずつ、それを取ってしばらく眺める。フリー素材とフリーフォントを合わせて作られた簡易な投票用紙だった。
「何に使うんだこれ?」
「投票に使うのよ? 見りゃわかるでしょ?」
そりゃあ見りゃわかるが....
「何の投票なんだ?」
栗原特有の何も考えてない顔で聞いた。
「察しが悪い奴らねえ。奥内さんはわかるでしょ?」
うーんと少しうなった後に喋り始めた。
「宇宙に行くことの是非を問うってことでしょうけど、これを集められたとして、倉田先輩のお父さんが揺らぎますかね?」
箭内は少し不満そうに、唇を尖らせるとやれやれといった感じで意図を説明し始める。
「いい、あんたたち、よく聞きなさい。今更、倉田さんのお父さんを口説き落とそうだなんて、無理よ無理。絶対に無理! 話を最初から聞く気のない奴は、最後まで聞き耳なんて立てないの! だから、こいつを集めて町長に叩きつけるってわけ」
「は....?」
このプロジェクトが始まって以来、何度目かの絶句をする。
「国を巻き込もうってこと....?」
僕は恐る恐る聞いてみる。本当にこいつ、おっぱじめる気なのか? まあ確かに宇宙に何らかの物体をあげる以上、国を巻き込む必要はあるが、もう少し順序というものが....
「その通り! 私たちだって、この国に生きてる”日本国民”よ。巻き込んで何が悪いのよ!」
「たしかに正論ではあるけれど....」
僕は怪訝な表情で彼女を見つめる。
「正論の何が悪いのよ?」
「悪いわけじゃないけど....」
僕はこの間の倉田の父親のことを考える。正直、箭内は勢いで押し切った感じだが、僕らの完敗なのは明らかだった。あんな大人の意見を言われたら、僕なら引き下がってしまう。
「いいじゃない、正論で宇宙に行けるなら。正論はね、すごいことでも、悪いことでもないわ。だって馬鹿でも”事実”とか”現実”とかを並べれば正しいと相手に思わせることはできるわ。そんな、正論と言って説き伏せることばかり考えるくだらない大人を、もてはやす向きもあるかもしれない。でもね、私はそれってただの思考停止だと思うわよ。一度会って言ってやりたいわ。『ばーか』って」
僕は少しだけ感服した。確かに言っていることは、間違いじゃない。それにこいつは、気づいていないかもしれないが、もうすでに同じようなことを言っている。
他でもない、倉田徹に....
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