第九話:地震、雷、火事、倉田
「でけえなあ!」
栗原が声を上げる。
GW明けの日曜日、僕たち4人は倉田カオルの実家の前に来ていた。門だけで高さ3mほどある破風づくりの豪邸は、隅々まで手入れが整っており、門の前にはゴミ一つない。藍色の瓦は磨き上げられたように光り輝いており、金持ちの家であることが目に見えて分かった。
僕たちは、皆ごくりと唾をのむ。今日の交渉の如何によって、この宇宙計画の命運が決まってしまうかもしれない。
「じゃ、行くわよ」
箭内がインターフォンを鳴らす。妙にねちっこい音が鳴り、サーっというホワイトノイズがしばらく流れる。そして、ガチャッと音が鳴り、高めでハスキーな女性の声が聞こえた。
『はい』
僕らは顔を見合わせる。誰が行くかを目だけで議論を少しする。だが、やはりここは箭内だった。
「矢作高校のものです。倉田徹さんにお話があってきました」
「しばらくお待ちください」
むろんアポイントは取ってある。
「確認が取れました。お入りください」
ギギギッと軋んだ音とともに観音開きのドアが開いていく。伏魔殿へと続く道が、そこに開いた。大理石が飛び石になって庭に埋まっており、真っ白な大粒の砂利が、石の周りに敷き詰められている。
その道を四人で歩いていく。砂利が途切れた先には松が3本ずつ立っている。長く年月を重ねたであろう松は、三本の添え木に支えられ、何とか立っているようだった。
「すげえ家だなあ」
「そうねえ」
「そりゃあ、江戸から続く由緒正しき家系ですから」
「....」
俺は少し複雑な気持ちだった。倉田はこの家に生まれたがゆえに、許嫁と結婚しなければならなくなった。彼女から自由を奪っていたのは、この家の金であり、歴史であり、この家そのものだ。その家に入るのは少しだけ、嫌だった。
箭内が、玄関のこれまた巨大なドアをコンコン、というよりガシャガシャとノックする。すると、中に黒い人影がゆらっと現れ、ゆっくりとドアをスライドする。
そこに立っていたのは、割烹着姿の、この家の使用人らしき人物。
「お待ちしておりました。旦那様はすぐにいらっしゃいますゆえ、応接室でお待ちください」
僕たちは、使用人さんに導かれるまま家に上がると、真っ赤なじゅうたんが敷かれた長い廊下を通る。しばらくたって縁側に出ると、巨大な庭が目に入った。池には色とりどりのコイが泳いでいる。
箭内は使用人の女性にぴったりとくっつき速足で歩いている。紫の瞳をランランと輝かせ、キョロキョロと辺りを見ている。その少し後ろを行く、奥内も控えめに観察しているようだが、その近眼の眼鏡越しの輝きは隠せていなかった。僕と栗原は、歩きながら小声で話をする。
「ほんとにこんな家に住んでたんだな、倉田先輩」
「僕も入るのは初めてだ」
「お前、ワンチャンあったんじゃねえの?」
「ワンチャンって何のワンチャンだ?」
「....」
栗原はわかるだろ? という目で僕を薄目で見つめる。そりゃあわかるが、その手の話は苦手だ。
しばらく歩くとまた、奥まった廊下に入り、ついに応接室に到着した。
使用人さんの仕事はそこまでらしく、「ごゆっくり」と一言いうと、この迷宮へ消えていった。
応接室は、赤いじゅうたんが敷かれており、下座には古い椅子が二つ。上座には新しい長椅子が一つおかれている。上座の壁には赤く『17』と書かれた、ユニフォームが入った額縁と、折れたバット。そして棚にはスペースシャトルの小さな模型が飾られていた。
何をするでもなく、全員が部屋の中をブラブラと探検する。
先ほどの模型を眺める箭内、棚に置かれた本を眺める奥内。バットとユニフォームに興奮する栗原。....と三者三様の反応を見せた。
僕は、椅子に座ると目を閉じる。
「本当に大丈夫なんだろうか....?」
気付けば声が漏れていた。
◇
ガチャリ....とドアが開いてやせ型の男性が入ってきた。目じりにしわがあり、眼鏡をかけている。薄茶色の着物を着た彼こそが倉田徹、その人だった。
全員がビシッと気を付けをして、彼の方に向き直る。
そして全員で声をそろえて挨拶する。
「おはようございます!」
彼はそれを聞くと、「おはよう」と一言発して下座に座った。どうぞ。と言わんばかりに手を差し向けると、箭内と奥内が長椅子に座り、僕と栗原はその長椅子の後ろに立つ。
「宇宙に衛星を飛ばしたいんだってね」
「ええ、そうよ」
箭内は初対面にもかかわらず、ため口で彼に同意する。本当に肝の座ったやつだ。だが、その程度で怒るほど彼は狭量ではなかったらしく、ニヤッと笑うとこう言った。
「君が箭内さんだね。話には聞いているよ」
「Спасибо(ありがとう)」
「どういたしまして」
彼は、今一度僕らを見渡すと、間を取った後、話始めた。
「宇宙は素晴らしい場所だ。衛星を打ち上げれば、地球を一望し、どんな情報でも手に入れられる。人類が古代より夢見たエデンと言えるだろう。商業的にも、ロマンティシズムとしてもどんな宝石にも代えがたい」
これは脈ありかもしれない。
すかさず、奥内がカバンのジッパーを開ける。
「ここに企画書がありまして....」
だが、彼はその言葉を遮った。
「いや、見なくていい」
「な、なぜですか....?」
奥内は不思議そうな表情で聞き返す。
僕は偉そうだなこいつ。
と思ったが、彼は事実として偉いのだからしょうがない。
「君たち。よく聞きなさい。宇宙に行くことを夢に見るのは結構だ。だが、君たちの本業は勉強だ。それに金を絡めれば必ずどこかで不都合が起きる。その不都合が起きた時に君たちの中のだれが責任を取るんだい?」
「私がとるわよ」
箭内が言い放った。彼女の目は真っ直ぐに彼の目を見ていた。
「どうやって?」
「出たとこ勝負よ」
「ほーう」と彼は少し考えると、口を開いた。
「まあ、経営者としてはいい言葉だ。だが、一学生としては間違っている。最終的にだれに責任が行くか考えたことはあるかい? それに両親は宇宙に行くなんてことを望んでいるかい?」
箭内は少し考えると、ニヤッと頬を怪しくゆがめた。
「私は望んでいるわよ」
さすがの箭内だった。水と油のせめぎ合いを見ている気がした。一瞬でその場が沸騰し、水蒸気爆発を起こしそうなそんな間合い。真剣の鍔迫り合いだった。
やれやれといった感じで彼は首を軽く振ると、こう言った。
「本気で宇宙に行けると思ってるのかい? 無謀だと思ったことは一度でもないかい? 他の子だって本気でついてきていると思ってるのかい?」
「ええ、100%」
箭内が断言する。
ついに話は煮詰まろうとしていた。そして、彼は僕の方を見るとこう言った。
「小山君、カオルが亡くなってからずっと遅刻しているそうだね? こんな夢物語を語る前に、まずはゆっくり休んで体を元に戻す方が大事なんじゃないか? 君が流されやすい子なのは知っている。だから....」
「卑怯者」
箭内はその言葉を遮った。彼は驚いて、目を見開く。
「いい、おじさん。この私が今のままで宇宙に本気で行けると思ってるわけ? だとしたらあなたの目は節穴よ。だって行けるわけないじゃない。金も技術もないのに。だから、あなたのところにこうやって来て、恥を忍んで乞食をしてるわけよ。この企画書だって、この奥内さんが必死で何日もかけて書き上げたものだし、この宇宙に行くアイデアだって、栗原と小山がGWを潰して作ってきてくれた努力の結晶よ? それを聞いてどう思うの?」
「それは....」
だが箭内は発言の機会を彼に与えなかった。
「どうせ何も思わないでしょ? だって、娘の感情すら何も理解してなかった男ですもんね。あんたに雇われている従業員が可哀そうよ。そんな奴からもらう融資も小遣いもないわ」
「....」
もはや、倉田徹は何も言わなかった。そして厳しい沈黙の後、箭内が明るい声で僕たちの方に向き直るといった。
「じゃ、帰るわよ!」
帰り際の倉田徹の背中はどこか煤けているように見えた。
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