第五話:現実的なライン
「んでどうするよ」
栗原が口を開いた。
僕らは土手を歩きながら話し合う。水量の少ない小川の中には、雑草に交じり、シロツメ草や、タンポポがぽつりぽつりと小さな島を作っていた。
相も変わらず忌々しいほどに照り付ける傾きかけの太陽が、僕たちの進行方向にデンッと陣取っている。
「どうするって、お前が言ったんだろ。考えるって」
「行こうと思えば行けんことはなくね? だって実際宇宙に行った人もいるし」
ザ・楽観主義者といった顔をしている。
「それは国家プロジェクトとか、大金持ちとかだろ? 僕らはどちらでもない」
「どちらにもなれるだろ?」
「今、どうか、が大事だ」
僕はきっぱりと言い切った。栗原は明らかに何か言いたげだったが、口をグニャグニャとゆがめるだけで、言葉は出てこなかった。
「ま、とにかくなんかアイデア考えないとなあ....」
栗原がしょうがねえなあといった声色で喋る。
「あいつは一回言ったことを曲げると、とんでもなくキレる奴だしな」
あいつ、こと箭内は昔から一度言ったことは必ず達成する、達成するまで続ける。そんな奴だ。だからこそ、同級生はあいつに夢を預けられるし、その利息はきちんと受け取れる。だからこそ、僕を除く同級生が理屈もなくついていくのかもしれない。
「で、なんかアイデアはあんのか?」
なにか、アイデアはあるんだろうか?
なければ、俺が出さなきゃならない。
「とりあえず、宇宙に行くにはいくらかかるのか、調べてみようぜ」
こんな時に検索エンジンは便利だ。なんでも教えてくれる。
『衛星打ち上げ 値段』
検索エンジンの一番上には....
「225万ドル....」
栗原がかすれた声で言う。
今のレートの111円くらいだと、大体....
「25億円ぐらいだな」
「計算はっや! キッモ!」
「キモイは余計だ」
やはり現実的な数字じゃなかった。
高校生からすれば、天文学的な数字。多分集まらないだろう。
クラウドファンディングとかでも....
「クラウドファンディングとかどう?」
言うと思った。
「誰が何に共感して金を出すんだ? 別に何か取り柄があるわけでもないうちの高校のどこに共感するんだ?」
「ご挨拶だなあ....」
栗原は、またも考える。そして何かひらめいたような顔で話し始めた。その頭の上には豆電球が浮かんでいるようだった。大体の予想はついていた。
「く....」
「倉田を出しにするのは、絶対にダメだ」
「だ、だよな....でも、それぐらいしか無さそうな....」
言ってることはわかる。でも、それはあまりにも死者に対して礼儀がなくないか? だが、それぐらいしか道がないことも確かだった。
そして、彼女をある種”出汁”にさせてもらえば、彼女の名前が、少なくともネットの世界には永久に残るのではないか? そんな気がした。
「まあ、一縷の望みはありそうではあるな」
栗原が、びっくりして目を見開く。
「いや、意外だわ。お前が倉田さんを出汁にしていいなんて言うの....」
「ただし、ご両親の許可が取れたらな。それは最低限だぞ」
「お、オッケー」
◇
――翌日――
「却下」
春だというのに氷のように冷え切った部室。机を挟んだ対面で、椅子に座っている箭内がバッサリと切り捨てた。腕を水一滴漏らさないほど固く組み、眉を吊り上げ茶色がかった髪の毛をザワザワさせている。
「....だよな」
「....だよねえ」
僕と栗原はほとんど同じ声色で肩を落とす。椅子に座っている奥内はなるべく関わりたくないのか、カバーがかかった文庫本で顔を隠していた。そしてついに怒号が部屋に響き渡った。
「あんたたち、何を考えてるのよ! そんなことをしたら、ただ同情を買って金を得ようとする乞食そのものじゃない! いい、よく聞きなさい、私たちは学校の足跡を残すためにみんなで夢を見ようとしてるの。同情なんて言うくだらないものを買うために、このプロジェクトをしているわけじゃないの。同情されて宇宙に行くぐらいなら、やらない方がマシよ。私は自らの力で宇宙に行きたいの! 亡くなった人に手伝ってもらうなんて言語道断よ!」
それもそうだ。
すべての言葉が心の奥底に突き刺さった。こんなことをしても、倉田は喜ばない。亡骸で大道芸をしているのと一緒だ。浅はかだった。
「わかった....」
「了解っす....」
僕と栗原は、すごすごと部屋の隅へ引き下がる。箭内は腕を解き、一気にほおを緩めると、奥内に話しかけた。
「奥内さんは何かわかったことはある?」
風邪をひきそうなほどの落差。箭内特有の緩急だった。
「....え、えっと....一応航空法や宇宙法について調べてきました」
彼女は怯えた手つきで、使い込んで古くなったタブレット端末を取り出すと机の上に置いた。指紋だらけで画面が焼けている。
「『ロケット等を打ち上げる場合、航空交通管制圏等の空域においては国土交
通大臣許可が必要。(航空機の飛行に影響を及ぼすおそれがないものであると
認め、又は公益上必要やむを得ず、かつ、一時的なものかを確認)その他の空域では、国土交通大臣への通報が必要。』とのことで、まず最初のハードルはここになるかと思います。そして、条約についてですが、『月その他の天体を含む宇宙空間の探査及び利用は、すべての国の利益のために、その経済的又は科学的発展の程度にかかわりなく行われるものであり、全人類に認められる活動分野である。』とのことなので、全人類という所の定義を広くすれば、我々高校生でも衛星の発射を行う権利はあると解釈できます。そのほかにもいろいろありますけど、全部は言えないので、メモはチャットに投げておきますね」
僕と栗原はそれを覗き込むと、「オー」と感嘆の声を上げる。マークダウン言語で見事にまとめられ、整理整頓されたそれは、『几帳面』がなせる業だった。
箭内が満面の笑みで、奥内に賛辞を贈る。
「よくやったわ、困ったときはこれを見ればいいわけね! あなたのおかげでまた一歩、宇宙に近づいたわ」
「あ、ありがとう....」
奥内は頬を赤らめてもう一度元の椅子に座る。
「まったく、女子が働いてるってのに、うちの男子は....」
箭内は僕らの方にギロリと睨みを飛ばす。
「で、この穴埋めはどうするわけ?」
栗原と僕は顔を見合わせる。多分今二人の考えていることは一緒で、他に手のないことはわかっている。
「明日までに....」
「来週まで時間をくれ!」
僕は栗原の声を遮った。
それを聞いた箭内は、こちらを振り向くと足を組み頬に手を当てた。その姿は女王様そのもの、いや、女帝といった方が正しいかもしれない。
「じゃあ、それまでには絶対にできるのね」
絶対といわれると、気持ちが揺れてしまう。
本当にできるのか? そもそも、今のところ一ミリも進んでいない。それに乗り気じゃないのに、なんでこんなに追い詰められなきゃダメなんだ....
やっぱり....
「絶対できます!」
栗原が僕の言葉を待たずに声を上げた。ええ....マジでやんの?
「でもやっぱり....」
だが、僕の声は月明りのようにするりと箭内の耳を通り抜けた。
「じゃあやんなさい!」
「イエッサー」
栗原が元気よく返事する。
僕は確約なんてとてもできなかった。でも、流れに逆らいたくなかった。
「わかったよ....」
最初にこのプロジェクトが始まって以来、最も後退した一日だったかもしれない。
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