第二話:南極よりは近い場所

「愛する人が死ぬことはあり得ないの。だって愛は不滅だから。」

――エミリー・ディキンソン


 部室棟のいつもの部屋、202号室の木でできた黒ずんだドアを叩く。中には同級生しかいないため、叩く必要などないが、まあ一応礼儀だ。


 ドアを開けると、同級生三人がズラッと勢揃いしていた。

 ドアの向かいにはホワイトボード、右の壁には、掲示板があり、いつ貼られたのかわからない寄せ書きが太陽光に蝕まれていた。


 古いエアコンのグワーンという音が響いている。ここだけ令和から切り離された、時が止まったようだった。


「なんで集められたんだ?」

「さあな」


 栗原も知らないらしい。奥内も首を振った。

 栗原は丸刈りのスポーツ青年。趣味はラジコンらしい。親父が町工場をやっていて、板金にかなり詳しい。


 この学校の部室棟は、本校舎の北側にあり、本校舎、第二校舎と合わせてグラウンドをコの字に囲むように建っている。こちらのボロ具合も相当なもので、もはや建っていることが不思議なぐらいだった。


 箭内は、机を囲んで座っている僕たちを見渡すと満足そうに声をかける。


「諸君、集まってくれてありがと!」


 その後、彼女はホワイトボードにかすれかけのインクで無理やり文字を書く。何年使ってるかわからないペンは、キィキィときしんだ音を出す。


「買いなおそうか?」


 栗原が声をかける。


「別にいいだろ」


 僕が否定した。


『学校の足跡を残そう!』


 バン! とホワイトボードを叩くと、こう言った。


「この学校は、再来年の4月をもって廃校になるわ。でも、私はこの学校や、この町が大好きだし、何とかして学校があったことを残したい。だから....」


 すぅ....っと息を吸って彼女はつづけた。


「何かアイデアが欲しいの。なんでもいいわ。石碑を残すでも、タイムカプセルを埋めるでも、とにかく学校が存在したという事実が長く残って世界をあっと言わせるようなものがいいわね」


 僕はと栗原は顔を見合わせる。

 長く残って世界をあっと言わせる?

 何を言っているんだこいつは。


「あ、あの....」


 丸メガネのボブカットの子が声を上げる。彼女はいつも本を読んでいて、四人の中でもあまり目立たない。これでも一軒しかない居酒屋の看板娘だ。


 だから最初に声を上げるのは意外だった。


「私は石碑がいいと思います。長く残りますし、でも石碑だと世界をあっとは言わせられないかも....」


 その声は徐々にしりすぼみになっていき、ついには冷房の音にかき消される。

 え、結構乗り気?


「それもそうだな」


 俺は一応、相槌を打つ。

 相槌こそ打つが、この話が早めに収束することを望んでいた。


「ま、とりあえず意見の一つとして書いときましょう!」


 箭内はホワイトボードに書く。「なかなか出ないわねー」と、ちょっとインクにぶー垂れながら。


「深海とか?」


 栗原が意見を出す。

 かなり適当で、あまり気持ちがこもっていない。たしかにコレジャナイ感はある。


「いいんじゃねえの?」


 こちらにも一応、相槌を打つ。

 どうやって見に行くんだ?

 という突っ込みを心の奥にしまった。


「いいアイデアね! 確かに長く残るかも!」


 それもホワイトボードに書く。


「模型に残します?」


 これは奥内の意見。

 模型はたしかにいいかもしれないが、どこにおいておくのかで意見が割れそうだ。しかし、これも箭内がホワイトボードに書く。


「本に残すとか?」


 これをホワイトボードに書いたところで、箭内がこちらを見た。


「小山、あんたはなんかないわけ?」


 彼女が僕の方を向いていった。

 え? 僕?


「みんなアイデア出してるでしょ? あんただけなんもなしに逃げるなんて卑怯よ」


 僕には多分来ないだろうと思っていたため、少し体がフリーズした。


「はい、立つ!」


 言われるがままにがたんと音を立てて立ち上がる。机はギシッと少しだけ揺れ、椅子が悲鳴を上げながら後ろに下がる。


「で、なんかないわけ?」


 彼女は腕を組んで、タンタンと足音を立てている。右目だけで僕をにらみ、トサカにきていることはよくわかった。


 僕は焦りながらも、何とか考えて、言葉を絞り出そうとする。

 長く残って世界をあっと言わせるもの? あったとして俺たちにできるのか?

 それはさておいて、何かアイデアを出さなければ....


「....それこそ、長く残って世界をあっと言わせるんだろ? そんなの宇宙に残すぐらいしかなくないか?」


 それを聞いたとき、彼女の目に光がともり、きらきらと表情を輝かせながら、こちらに向き直った。


 まさか....


「それいいじゃない! たしかに、それなら世界をあっと言わせるし、長くも残るわ!」


 それに奥内が、彼女には似つかわしくはない大声で続ける。


「いいですね! それができたら、歴史にこの学校が残りますよ! 下手したら学校の廃校すらなくなるかもしれません!」

「は?」


 まじで言ってる? 半分ネタで行ったのに....僕はすごすごと椅子に座ると、栗原から耳打ちされる。


「珍しくいいこと言ったな」

「うるせえよ」


 一方の箭内は、何かを頭の中で考えているのか、うんうんと頷いている。

 そしてこう言った。


「みんな! 宇宙に行くわよ!」



「絶対に無理だろ」


 僕は絶対に無理だと思った。

 そりゃあそうだろ。高校生が宇宙に行く? ロケットを作って?

 某大富豪だって数年はかかってるんだぞ? 絶対に無理だ。


「誰が無理って言ったのよ?」

 箭内がブスっとして答える。

 紫の目が怪しく光り、こちら側にニュートリノのような見えない矢を飛ばしていた。


「歴史が言ってるだろ? アポロだって何十回失敗したか....」


 栗原が眉を顰める。


「なんでそんなに水差すんだよ」


 奥内が続きを紡いだ。

 明らかに蔑んだ目で....


「町工場がロケット作って飛ばすって物語もあるじゃないですか?」


 栗原が、続きを引き受ける。


「うちの家だって板金やってんだから、なんとかなるべ」


 箭内は指を一本立てて、思いついた言葉を続けた。


「宇宙は南極よりは近いってアニメでも言ってたじゃない」


「それ全部物語だろ?」


 これを聞いて二人とも押し黙る。

 不愉快な沈黙が少し続いた後、箭内が口を開いた。


「あんたねえ、できないできないって言って何ができるのよ。倉田さんだって宇宙に行きたいって言ってたじゃない? だったらあんたもこれに賭けたらどう?」


 なんで倉田のことを引き合いに出すんだよ....


「そりゃあそうかもしれんが、誰が金出すんだ? 誰が実験するんだ? 誰が発射台を作って、誰が制御するんだ? ここにいる奴の誰が経験あるんだ?」

「あんたが言ったことでしょ? まさか、適当にごまかしたわけじゃないわよね?」


 ….まあ確かに僕が言ったのは確かだ。

 とはいえ、採用されるとは思ってもなかったし....


「....言ったには言ったさ」

「なんで言ったのよ?」

「物の弾みというかなんというか....」


 僕はゴモゴモと口を動かすことしかできなくなった。


「あんた、倉田さんの願いをかなえたくないの? ….言い換えるわ、叶えるチャンスを放棄してもいいの?」

「あいつは死んだ! もう帰ってこないんだ!」


 僕はついに声を荒げてしまった。なるべくこういうのは嫌なんだが....

 だが、もう止まらなかった。


「なんでいっつもお前は、あいつを引き合いに出すんだ。それで俺を宇宙計画に乗っからせて何をやろうってんだ? そんなに俺のことが好きか!」

「ええ好きよ」


 僕はそこで止まってしまった。


「でも今のあんたは好きじゃない。抜け殻みたいにボーっとして、何に対しても消極的なあんたなんてあんたじゃない。」

「....俺だって」


 彼女は僕の言葉を遮った。


「生きてるんでしょ? あんたの中じゃ、倉田さんが。死んでる死んでるって言ってるけど、生きてるとあんたは思ってる。だから....」

「それ以上は、だめですよ!」


 奥内が遮った。

 その言葉には、思い出された悲しみと、俺への同情が少しだけ滲んでいる。


「確かに無理があるとは思います。それに打ち上げるのに何億かかるかわからないのも事実です。小山君は昔からこんな感じだし、それを倉田さんまで持ち出すなんて....」


 多分、俺はうつろな目をしていたと思う。虚ろで、何もかもを失った悲劇のヒロイン、客が誰もいない中でずっと演技をしている大根役者。今の僕はそうだった。

 だが肝心の台詞が何も出なかった。


「....じゃあ賭けをしましょ? もし、卒業までに宇宙に打ち上げられたら、あんたと倉田さんの交換日誌を衛星に入れてもらう。ただ、万が一宇宙に行けなかったら、私をあげるわ 悪くないでしょ?」

「いらねえよ」

「じゃあ何が欲しいのよ?」


 俺は少し考える。

 何が欲しい? 正直何が欲しいとかは特にない。幸せになりたいとは思うが、何が幸せともわからない。

 自分で自分がわからない。


「『欲しいもの』が欲しい」


 彼女はにやりと笑うと、こう言った。


「いいわよ! それでいきましょ! じゃあ、あんたも参加ってことで」


 本気で言ってんのか? と思ったが、箭内は自信に満ち溢れていた。


「よっしゃあ! じゃあ今日は決起会ってことで、奥内の家で宴じゃあ!」


 栗原が明るく大きな声を上げた。

 相変わらず箭内というやつは底が知れないと思った。

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