第一話:彼女は星になった

「楽観主義者はドーナツを見、悲観主義者はドーナツの穴を見る」

――オスカーワイルド


「長い2か月だった....」


 ドーナッツの穴を覗きながら空を見る。一年先輩の倉田カオルが飲酒運転の車に轢かれて亡くなってから2か月たった。


 学校に続く土づくりが終わったばかりの田んぼが広がる農道、通学路という標識が電柱にかかっている。そんな道で僕は立ち尽くしていた。


 この2か月間、高校の全校生徒――とはいえ四人なのだが――でお葬式に行ってお焼香をあげたり....なるべく感情を平坦に保っていた。自分が壊れるのが怖かったからだ。


 なにせ倉田は僕と交換日記をしていた仲だ。そういう感情がなかったわけではない。つぎはぎだらけで、形だけ人間を保った彼女の体は、あまりにも痛ましかった。


 山の上にぽつりと立っている火葬場で、遺体が焼かれる時は、なんとかこらえて泣かないように頑張ったが、一滴二滴は流れてしまっていたかもしれない。


 彼女の家は元財閥で、このあたりの警察署を立てた人物であり、なおかつ政財界にかなりのパイプがあるらしい。「轢いた男に厳罰を与えてやる」と意気込んでいるが、その姿はむなしく見える。


 なんでお前が先に逝っちまうんだよ....


「おはよ!」

「倉田?」


 僕は顔を上げて後ろに振り向く。

 そこには太陽のような笑顔を振りまく女の子がいた。色白な肌、紫の目にハーフ特有のホリの深さ。その姿は明らかに倉田ではなかった。

 そう、こいつは....


「倉田じゃないわよ! なにドーナッツの穴覗いて、暗い顔してんの?」


 いつもの箭内という同級生だった。


「そんなに暗いのか? 今日はいい天気だぞ」

「ルーメン的な意味での暗さではないの。表情が暗いって意味」


 なるほど。


「表情はいつだって嘘をつく。心の中は超新星爆発ぐらい明るいさ」

「それ消滅しかかってない?」

「....」


 まあ、消滅しかかってるかと言われるとその通りなのだが、でもそんなことは言えないし、言ったところで今度は彼女が暗くなる。じゃあ言わない方がいい。


 なおも、明るい表情を崩さない彼女だったが、少しだけ雲がかかったように彩度を落とした。


「まだ気にしてるの?」

「そりゃな....」

「その気持ちはわかるけど、いつまでも引きずってたら倉田さんも天国に行けないじゃない」


 僕はムッとした。

 その感情が箭内ではなく、自分に向けられていることもわかっていた。それはそうだ。天国に行くことを僕は望んでいる。ただ、行ってほしくない気持ちもある。

 だから、とげを持った言葉が飛び出した。


「まだ二か月だろ。お前だって、犬が死んだときに半年は泣いてたじゃないか」

「あの時は小学二年生だったのよ?」

「....何の用だよ」


 彼女は顎に手を当てて、少し考えてこう言った。


「今日、部室棟のいつもの部屋に集合ね!」

「は?」


 僕は困惑した顔をしていたと思う。


「い・い・か・ら」


 彼女は、僕が持っていたドーナッツをひっつかんで一口食べると、そのドーナッツを持ったまま自転車に乗って真っ直ぐなわき道を走っていった。



「先生の教えたこと、学校の規則に抵抗感なく適応する子だけが、成績がいいという評価を受けてしまう」

――岡本太郎


「今日も遅刻か....」


 古めかしくも、表面だけ見れば奇麗で、どこか懐かしさを感じる教室に入ると、突然先生の声がぐさりと刺さった。

 またか....といった感じで肩を落とす先生からは、もはや説教すら出てこなかた。


「おはようございます」

「おはようございます。じゃない!」


 かろうじて出た先生からの説教は右から左に聞き流す。


 ドーナッツを食べ損ねた僕は、始業より1時間遅れで高校についた。横一直線に4つ並んだ机からの3人の同級生の視線がかなりきつかった。


 とはいえ、こんなことはこの二か月間、常習的に繰り返しているため慣れている。何せ朝がだるいのだ。歩くにしたって足が重い。病院に行けと両親からは言われるが、拒否している。それすらも面倒くさいのだ。


 椅子に座ると、体を横に傾かせて、いつもの坊主頭が声をかけてきた。こいつの名前は栗原、窓際に座っている僕の、一つ内側に座っている。


「どうしちまったんだ。ずっと遅れてるじゃないか」

「最近朝の目覚めが悪いんだ。きっと、太陽がサボってる」

「サボってるのはお前だ。バカ」


 先生が頬をゆがませながらぎろりと睨んだ。それを見て俺たちはぴしっと前を向く。


 この学校は岡山の県北、かなりのド田舎に存在している。高度経済成長期には、600人を数えたこの学校の生徒も、今では4人まで減っている。


 再来年には廃校が決まっており、新入生はもう来ない。


 人数にそぐわぬ巨大な校舎は、さながら一時代を築いたジャンボジェットのようだった。ツタやらひび割れやらでほとんどの教室は使えず、今使っている教室が唯一まともな教室だった。

 この時間は物理の授業。正確には物理基礎だ。まあ言ってしまえば、物理の基礎の基礎を習う。


 僕には簡単すぎてあくびが出る授業だ。


「ふわぁ....」

「遅れた上にあくびをするとは、豪胆なやつめ。では答えてもらおう、『質量が2 kgの物体が、力が5 Nで右方向に加えられます。物体の加速度はいくら』さあどうなる?」


 僕はなるべくポカンとした顔を作って即答した。


「わかりません」


 ガタン....と音がして二つ右隣の席から、ずっこける音が聞こえた。どうやら箭内がいつものボケをかましたらしい。僕はフンッと鼻を鳴らすと、いつものことだが一応目をやる。


 すると奥内は丸メガネを震わせて爆笑していた。普段の大人しい彼女からは想像できないほどの大声だ。栗原もケラケラと笑っている。

 どうしよう。水を差したくてたまらない。


「今、令和何年だよ」


 彼女はそれを聞くと、少し頬を赤らめ急いで制服を正すと、ぴしっと立ち上がる。そして、机をバンッとたたくとこちらを睨みつけてこう言った。


「ボケをつぶさないでくれる⁉」


 相変わらず面倒くさい女だな、と思って視線を窓の外に向けた。緑というのは目にいいらしい。少しだけ溜飲が下がる。


 グゥ....という声が少し聞こえた気がしたが、気のせいだろう。

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