第3話 映画館に行くつもりじゃなかった 中編
1階の喫茶店の今日のランチメニューを中心にした晩ごはんに喰らいつきながらすすめられるビールの美味いこと。わたしの友人もいつになく上機嫌に饒舌である。
「しかしこのなれず帳だけど、よくもまぁ記録したものだね、きみも。だって他人の動向だよ?一歩間違えればストーカーじゃないか」
「一歩間違わなくってもストーカーだよ。ボクは完全にそんな気分で動向を追ってた。SNSでの発信はもうちょっと慎重にしなきゃだよ、先生」
ゾッとする物言いだが、何でもかんでもつぶやいていた当時の自分のスタンスこそ怖くもあった。
「まぁ、SNSがなかったらこの再会もなかったかもだしね、今となっては隙だらけだった自分に感謝かな」
この町特有の宵闇が窓の外を覆う。カーテンを閉めに立った友人はその足でカウンターに向かい探しものをしていた。
「ところで先生の面白いデータがあるんだ」
一枚のプリント用紙を持ってきた。それはわたしの2012年のSNSのログデータを記録したものであった。
「ここ、ほら毎月のつぶやきの件数の推移をグラフ化したものだけど、6月までが月に500件前後だったものが7月には倍の1000件近くになり、8月以降は更に倍の2000件近くにまで膨れ上がっている」
理路整然とそう語る友人であるがその行動は常軌を逸している。そして友人経由で直面した過去の自分の情熱もまたまともじゃなかった。
「先生の裏カルな日々を紐解く際にSNSとの相乗な関係性はけっして外せないと思うんだけどどうだろう?」
「外せないも何もこのデータがまさに物語っているじゃないか。SNSがなかったらきっと今みたいな日々を送らなかったよ」
記憶を2012年からさらにさかのぼり、前世紀末へと巻き戻した。
「まだ20世紀だったころのはなしだけどアサヒシネマに何回か行ったことがあってね、あの頃に姫路からアサヒシネマに通うのは随分ハードルが高かったんだよ」
そう、わたしの住処は姫路である。
【アサヒシネマはJR三ノ宮駅から歩いて数分の立地にあった未だ語りつがれる伝説のミニシアター。その歴史は1954年開館のアサヒ東映までさかのぼれ、いくつかの名前の変遷を経たそうだ。3スクリーン体制でミニシアターブームを支えたが、2004年に閉館】
「20世紀だとまだケータイ電話の時代だ。そりゃハードル高いか」
「そこなんだよ。アサヒシネマへ行くってことはそれはそこでしか観られないようないわゆる単館系作品の選択だったわけで、そんな作品を観るにはどの劇場で上映しているのか?その劇場はどこなのか?スケジュールは?と、こまかく調べなきゃいけなかったし、そもそも調べる術もぴあや関西ウォーカーみたいな雑誌のみだったからね。今考えたらよくアサヒシネマまで土地勘もなくたどりつけたなと思うよ」
あんなハードルを難なく越えてミニシアター通いをしていた当時のシネフィルの方々はそれだけで尊敬に値する。
「アサヒシネマは良い映画館だったけど結局数回行ったのみで終わったんだよな。当時はまだ他にも沢山ミニシアターがあったはずなんだけど近づくことはなく、ブームの片鱗にふれつつもその全貌を見ずに終わってしまった感じだね。今思えばもったないことをした…」
【日本のミニシアターのルーツは1973年に始まる三越映画劇場のチェーン店化と、翌年に岩波ホール(1968-2022年)が始めた企画上映エキプ・ド・シネマの二つだといわれている。
本格的な始まりは1981年のシネマスクエアとうきゅうの開館で、これに続くかたちで1980年代を通し都内に多くの単館系劇場が生まれた。
そして1990年代に入ると関西を含む全国にその波は拡がった。
1990年代半ばから2000年代初頭にはお洒落な若者たちを中心に『恋する惑星』『トレインスポッティング』『バッファロー'66』『アメリ』といった作品が爆発的なヒットを記録、ミニシアターブームはピークを極めた】
「2010年代に入ってケータイ電話がスマホになったじゃない?あれで一気に知らない場所に行くハードルが下がったよね。くわえて行った場所で即情報にアクセスできる環境もできたから京阪神から遠く離れた姫路市民な自分でもフットワークが軽くなって当然だよね」
「その上SNSもあるんなら鬼に金棒状態か」
「そうだ、それで一つ思い出深いエピソードがあるんだよ。2010年の年末にKAVCへ『ハロルドとモード 少年は虹を渡る』を観に行ったんだけど、チラシを置いてたコーナーに元町の映画館でアレハンドロ・ホドロフスキー監督の『エル・トポ』と『ホーリー・マウンテン』の上映があると知って、それをSNSでつぶやいたんだよ。ホドロフスキー作品の上映にもテンション上がったし、元町に映画館なんてあったんだ!ってね。そうしたらその劇場のスタッフさんから直でリプライがきて、それがのちのちに縁深くなる元町映画館だったったわけ」
「あー、劇場とSNSでダイレクトにつながり得られる情報の豊かさやそのスピード感はそれ以前の自分で調べるしかなかった時代とは比べようのないものになったと」
こんな時友人は的確にわたしの思考を言語化してくれる。
【アレハンドロ・ホドロフスキーは1929年チリ生まれの映画監督。1970年に発表した『エル・トポ』が世界的に大ヒット、つづく1973年の『ホーリー・マウンテン』と合わせマジカルな物語りと強烈なヴィジュアル感覚でカルトな人気を得た。その勢いで1975年には『DUNE』の製作に着手するものの頓挫した(その顛末は傑作ドキュメンタリー映画『ホドロフスキーのDUNE』で確認できる)。現在も(95歳!)精力的な活動を展開している】
【元町映画館は神戸市中央区の元町商店街内に2010年8月に開館したミニシアター。DIY魂溢れる66席の小さな劇場ではあるが、確固たる意思で歩みを続け10周年の際には豪華な監督陣が集ったオリジナルのオムニバス映画『きょう、映画館に行かない?』が撮られるほどの存在となった】
「それで翌年の2月に『ホーリー・マウンテン』を観に行ったんだけど、それが初元町映画館だったね」
「ちなみになれず帳によると先生が2012年にいちばん通ってるのが元町映画館だよ」
ご丁寧にも2012年のわたしのSNSログデータにはその年に通った映画館の利用率ランキング、映画館ごとのトータル鑑賞時間までカウントされていた。
「まぁ、2012年の元町映画館は上映ラインナップが神掛かってたし、当時のミニシアターの置かれた状況と自分の心境も相俟ってあれは特別な一年だった」
「よし、それを順を追って整理してみようじゃないか」
ふたりして新しいビールを開封、話は佳境へと突入した。
「『ホーリー・マウンテン』のあとも元町映画館には何回か行ってるんだけど、まだ今みたく休日ごとに映画館に行くまでにはなってなかったからペースで言えば三ヶ月に一回ぐらいだったんじゃないかな?これはという作品の上映にはかけつけてた感じだったね」
「そこが大きく変わったのはどこからなんだろ?」
「それはもうはっきり覚えていて7月から始まったテオ・アンゲロプロスの追悼上映だね」
【テオ・アンゲロプロスは1935年ギリシャのアテネ生まれの映画監督。
ギリシャの歴史を背景とした作品がほとんどのためそれを知らない人間にはなかなか理解するのにハードルが高い作家なれど、独特の長回し/空間や時間のユニークな捉え方/作品をまたいで頻出するモチーフ等々、映画ならではな表現を極めた作風には理解を越えたマジックが宿る。
残念ながら2012年に新作の撮影中の事故により亡くなった】
「アンゲロプロスがその年の頭に亡くなって、全国各地の映画館で追悼上映が行われていたんだけど、元町映画館は日本で劇場公開された全10作品を特集として組んでくれたんだよ。そこまでやってくれた劇場は他になかったんじゃないかな?あっ、ここにリストが載ってる」
なれず帳には友人の判断で雑多なメモが書き込まれている。
モトマチセレクションvol.12
“追悼テオ・アンゲロプロス”
7/14(土)~ 7/20(金)
『旅芸人の記録』
8/ 4 (土)~ 8/10 (金)
『狩人』『シテール島への船出』
8/25 (土)~ 8/31 (金)
『アレクサンダー大王』
9/15 (土)~ 9/21 (金)
『蜂の旅人』『霧の中の風景』
10/ 6 (土)~10/12(金)
『こうのとり、たちずさんで』『ユリシーズの瞳』
10/27 (土)~11/ 2 (金)
『永遠と一日』『エレニの旅』
「そうそう、こんなスケジュールだった!三週間に一度のペースで一週間ずつ、ほぼ製作年代順に一本ないし二本上映してたんだよね。もちろん全部35㎜フィルム上映」
「こりゃすごいスケジュールだな。ミニシアターならではのフレキシブルさがなければ実現しない企画だろう」
「そうなんだよ、単館系、さらに独立系じゃなきゃここまでの融通は効かなかったんじゃないかな」
「しかもこれ毎週じゃないから客側としても通いやすかったんじゃなかろうか?」
「うん、まさに。そもそもこの追悼企画が発表されたとき、代表作の『旅芸人の記録』だけでも押さえておきたいなと思ってて実際に観に行けたんだけど、もうね観終えてコンプリートする!ってなったんだよ」
「そこを詳しく聞かせてくれたまえ」
「アンゲロプロス作品は歴史的な背景ありきなものも多くって物語を追おうとすると置いてけぼりくらったり・迷子になったりしちゃうんだけど、理解とか納得とかを越えたところの画の力でひっぱっていってもらえるところがあるんだよね。しかも映画館だとそれを全身の体感として味わえるわけで。これは爆音映画祭でも感じたことなんだけど、たとえば家で見てたら寝ちゃいそうな長い静寂だとか間合いだとかの狙いが頭でなく身体で知ることができる。これぞ映画館鑑賞の醍醐味なんだ!と」
「なるほど、映画はもちろん物語を追うだけではないからね」
「音楽でいえば物語はメロディみたいなもので追いやすいからこそ目がそれ以外をこぼしがち。音楽がメロディだけで成立しないように映画も物語だけで成立してるわけじゃない」
「映画館で体感することでそこがより多層的・複合的に楽しめるようになったと」
「うん、変なたとえだけどもしアンゲロプロス作品を金曜ロードショーみたいな番組で放送するとして、時間内に収めるために編集したらまっさきにカットされるようなシーンにこそ映画の肝が宿ってたことに気づくみたいなね、それぐらいの劇的な効果が映画館体験にはあるとわかった」
「いや、全然変じゃないよ、それはわかりやすいたとえだ」
「あと全作品フィルム上映だったんだけど、傷んでたり褪色してたりなフィルムで映画を観る体験ってもしかしたらこれが初めてだったかも?
2012年って映画館のデジタル化問題が一般レベルでも伝わってきてたタイミングでもあって、自分の中でもフィルム上映を改めて意識しはじめてたから体験としても相当に有意義だったんだよ」
「そうか、2012年はDCP上映にどんどん移行してた時期か」
【DCPことデジタルシネマパッケージは現在の映画館での上映には欠かせない。映像・音声含む上映に必要なデータをデジタルのファイルとして配給から映画館へと送り、専用のプロジェクターで再生する。それまでは全国規模での上映のために派生してた大量のフィルム作成、その搬送や保管・管理等のコストが劇的に削減される他、上映時の作業も減り上映素材の劣化もない。と良い面ばかり強調されてきたが、フィルムの映写機なら経験や知識で対応できたようなトラブルもDCPでは業者を呼ばなければならなかったり、導入から10年程で早くも買い替えが迫られる劇場もあったりとこれまでにない大きな問題点が見えてきた】
「そうだ、元町映画館では翌月にもう一つ重要なフィルム上映の企画があった。元町映画館の二周年企画でのカレル・ゼマン監督の特集だ」
モトマチセレクションvol.13
“幻想の魔術師カレル・ゼマン”
2012年8月18日-8月24日
Aプログラム
「プロコウク氏 映画製作の巻」+『クラバート』
Bプログラム
「水玉の幻想」+『ホンジークとマジェンカ』
Cプログラム
「クリスマスの夢」+『鳥の島の財宝』
Dプログラム
『盗まれた飛行船』
【カレル・ゼマンは1910年チェコスロバキア生まれのアニメーション監督。個性派揃いのチェコアニメ界の中でも群を抜いて独創的な感覚溢れた斬新な映像やストーリーテリングで才気走っていた。いくつかの作品での実写とアニメーションのユニークな融合の手法も見応えたっぷり。ジュール・ヴェルヌ原作の映像化作品が多い】
「もともとゼマン好きだったけど、まさか映画館で観られるなんて思ってもなかったから特集の発表された時歓喜したけど、全4プログラムを1週間の内に観に行けるのか!?ってのもあって。今なら全然余裕なスケジュールだけど、当時はまだまだそんな可愛いらしい葛藤があったっけ」
じょじょにスケジュールの目が詰まりはじめてきてる当時のわたしの動向を記録したなれず帳が愛おしい…
「またフィルムの痛みや褪色がアンゲロプロス以上にはげしくってね、一回途中でフィルムが切れたりもあったな。映画の上映ってこんなライヴ感覚もあるんだ!とこれまで味わったことのないスリリングさもそこに加わったね。あと何年も前に焼かれたであろう、そしてもしかしたら何年にも亘って色んな場所で上映されたであろうフィルムを時空越えてみんなで楽しむことにロマンを感じたりもしたよ」
「まぁ、今のDCPでの上映ではなかなか触れられない感覚だな、それは。あとフィルム上映の時代でも新作のピカピカのフィルムの封切りを観てただけでは味わえなかったか」
「そうなんだよ、まぁ都合のいい話ではあるんだけど、なくなりかけて希少価値上がって知る貴重さが気持ちのかさ上げしてたところもあったとは思うんだけどね」
実際それまで映画館でフィルムの存在を意識したことはほぼなかったし、本来は意識させるべきではないのだろう。
「とにかくこの企画の4プログラムをコンプリートできたときの興奮が抑えられなくって…SNSで怒涛のつぶやきをしたのは記憶に残ってる」
「記録にも残ってるよ。それがこの8月からのつぶやき件数が2000件の理由…か」
「うん、7月にはじまったアンゲロプロス辺りからつぶやく頻度の加速がついてて、8月のゼマンで一気にギアがトップに入った。あとゼマンの時は元町映画館の公式アカウントからの返信もきたりで、そのやりとりもギアに油差した感じあったね」
「それもミニシアターならではの強さだよね。これがシネコンのアカウントなら拾ってくれないだろうし」
「やっぱりそんな反応が直接くると嬉しいもんだし、次も感想つぶやこうとなるもん」
「で、アンゲロプロスのほうも結局全作観たんだよね?」
「そう、四ヶ月に亘る壮大な旅を制覇したね。とはいえその旅はアンゲロプロスの死で未完となったわけだけど…」
あの四ヶ月、元映に集った見知らぬアンゲロプロス好き・映画好きの方々とたどった旅路は一生モノな宝である。
(ここからしばらくアンゲロプロスとゼマンの上映作品群をどう楽しんでいったのか?一作ずつ内容をふりかりつつ語ってたいたがあまりに脱線が過ぎたので割愛)
「そして1週間の間隔を空けて元町映画館で今度は先生の大好きなタルコフスキーの特集が始まったんだな」
「あっ、そんな流れだったか!うん、このタルコフスキーの特集は元町映画館独自のものではなくって全国で開催されてた企画だったけど、ゼマンとアンゲロプロスをコンプリートしたあとだけにタルコフスキーも全作観てやる!と意気込んだね」
タルコフスキー 生誕80周年記念映画祭
2012年11月10日-11月23日
『ローラーとバイオリン』+『僕の村は戦場だった』
『アンドレイ・ルブリョフ』
『惑星ソラリス』
『鏡』
『ストーカー』
『ノスタルジア』
『サクリファイス』
【アンドレイ・タルコフスキーは1932年のソ連生まれの映画監督。初期こそ物語が追いやすい作品を撮っていたが、じょじょに詩的な映像感覚と様々な隠喩・暗喩に満ちた語り口へとシフト、作品も哲学的な佇まいをもちはじめ、寝落ち必須ともいわれる程の静寂や間合い多し。その一方でどのショットもそのまま美術館で展示できそうな程の美しさと強度を誇る。あと水に物語せたら人類で最強】
「タルコフスキーは好きな映画監督だったけどそれまで映画館では未体験だったからテンションぶち上がったよ。とくに『ストーカー』なんてどんな体感になるんだろ?とゾクゾクしてた」
「で、タルコフスキーも全作コンプリート達成したと」
「いや、それがスケジュール的に『惑星ソラリス』だけ組めなかったんだよなー。ホント残念だった」
「また代表作品が観られなかったんだな」
「うん、でも同時期に京都みなみ会館でもプログラムされていて、そっちで観られることが判明して結局観に行ったんだよ。それが初みなみ会館でもあったな」
【京都みなみ会館…については次のエピソードで!】
「さすが転んでもただじゃ起きない先生だな」
「あと元町映画館では『ストーカー』が最高すぎて2日つづけて観た」
「おいおい、もの好きが過ぎるだろ」
「受付でスタッフの人に昨日もストーカー観られてましたよね?と確認されてちょっと恥ずかしかったけどね」
「ってことはスタッフにも先生のリアルでの存在は認知されだしてたってことか」
「さすがにあれだけ通って・つぶやいてたら存在絞られてバレるよ」
そもそも元町映画館が映画・映画館好きが集まってDIY感覚で立ち上げた劇場だったものありスタッフ陣も観客側な目線のスタンスな方が多かったので交流までのハードルは思いに低かった。
「そのあたりからスタッフの方々に直接声かけられることもふえたし、こっちからも話しやすくなったしね。
タルコフスキーの特集が11月でしょ?その年末に今や売れっ子になった日本の某映画監督の方(配慮①)の特集上映があったんだけど、その時の舞台挨拶の打ち上げに紛れこめるぐらいには元町映画館のスタッフとお近づきになってたよ」
今思いかえせばそうとうに厚かましい気もするが、決して押しかけたわけではない。
「そこにこれまた今は大物なアニメーション作家(配慮②)の方も来られてて、打ち上げの途中で終電なくなりそうになった面々でそのアニメーション作家の方と駅まで走ったなぁ〜」
「あっ、先生終電は???」
とっくに日は跨ぎ、終電はこの町を通り過ぎていた。
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